
2004年 地球は揺れ、人類はつながり始めた──中越地震とスマトラ島沖地震が示した転換点
2004年という年を振り返るとき、
どうしても外せないのが、地球が2回、
本気で怒った年だったということだ。
10月と12月、わずか2か月の間に、
日本と世界はそれぞれ巨大地震に見舞われている。
10月23日の新潟県中越地震、
そして12月26日のスマトラ島沖地震。
震源地も規模もまるで違う2つの地震だが、
並べてみると、この年がただの1年ではなく、
地球規模で何かが動き出した節目の年だったように見えてくる。
まず中越地震から振り返りたい。
2004年10月23日、土曜日の夕方だった。
新潟県中越地方を震源とする
マグニチュード6.8の地震が発生し、
川口町では震度7を記録している。
この地震で今でも語り草になっているのが、
上越新幹線「とき325号」の脱線だ。
走行中の新幹線が地震で脱線するというのは、
日本の新幹線史上初めての出来事だった。
幸い死者は出なかったが、あの映像を覚えている人は多いはずだ。
線路の上で車体が斜めに傾いている写真は、
新幹線という日本の技術の象徴が自然の力の前でひとたまりもなかったことを物語っていた。
被害はそれだけではない。
山古志村では全村避難という事態になり、
村人たちは長期間、車中泊を強いられることになった。
狭い車内で同じ姿勢を続けたことで、
エコノミークラス症候群という言葉がこの年、
一気に広まったのも中越地震がきっかけだった。避難所生活、繰り返す余震、
テレビで何度も流される新幹線の映像。
当時を生きていた人間としては、
遠い被災地の出来事でありながら、どこか他人事に思えない緊張感があったのを覚えている。
そして2か月も経たないうちに、
今度は日本の外側で、
それとは比較にならない規模の地震が起きる。
2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島沖でマグニチュード9.1という地震が発生した。
これは観測史上でも最大級の規模で、震源から
数千キロ離れた場所にまで津波が到達している。インド洋沿岸の14か国が被害を受け、
死者は22万人を超えたと言われている。
1つの地震でこれほどの犠牲者が出た例は、
近代の記録の中でもそう多くない。
津波警報システムが
インド洋にはほとんど整備されていなかったことも被害を拡大させた要因として、
その後何年も議論の対象になった。
日本人観光客も多くこの地域で被災しており、
テレビには年末年始のニュースとして津波の映像が繰り返し流れていた。
中越地震の記憶がまだ生々しいうちに、
今度はけた違いの規模の災害を目にすることになったわけで、2004年という年が「地震の年」として記憶に刻まれたのも無理はない。
ここで少し視点を引いてみたい。
実は人類が観測してきた歴史の中で、
マグニチュード9クラスの巨大地震というのは
そう頻繁に起きるものではない。
時系列で並べると、
1960年のチリ地震がマグニチュード9.5、
1964年のアラスカ地震がマグニチュード9.2、
そして2004年の
スマトラ島沖地震がマグニチュード9.1、
さらに2011年の東日本大震災が
マグニチュード9.0という並びになる。
1960年代の2つは
南米から北米にかけての地球の西側で起きて
おり、2004年から2011にかけての2つは
インド洋から日本にかけての東側で起きている。
もちろん、これらが一本の線で結ばれた現象だと断言できるわけではない。
巨大地震同士の関連については、
プレート境界ごとの応力変化や地域ごとの条件が複雑に絡み合っており、世界規模で順番に連鎖しているという見方が確立しているわけではない。それでも、
こうして年代順に地図へ落としてみると、
まるで地球が長い時間をかけて少しずつエネルギーを解放しているような補助線を引きたくなる。科学的な結論というより、人類が後から歴史を
振り返るときに浮かび上がる一つの見取り図である。
そう考えると、2004年という年は、
その見取り図の中でひとつの折り返し地点のようにも見えてくる。
新潟県中越地震とスマトラ島沖地震は規模も性質も異なるが、同じ年に日本と世界が相次いで巨大な揺れを経験したという事実は、地球が私たちに自然の圧倒的な力を改めて突きつけた一年だったことを強く印象づけた。
実際、
現在でも2020年代から2030年代にかけては、太平洋プレートを取り巻く地域、
たとえば南米沿岸やアリューシャン列島、
ニュージーランド、カムチャツカ半島などで
将来的な巨大地震の可能性が
議論されることがある。
もちろん、
地震の発生時期や場所を正確に予測することは
現在の科学ではできない。
それでも2004年の二つの地震は、遠い過去の
出来事というより、今なお続く地球活動の長い
歴史の一場面として見ることもできるだろう。
一方で、この2004年という年は、地球の内側が揺れると同時に、人類の情報世界でも静かに
大きな変化が始まった年でもあった。
詳しくは別記事に譲るが、ネットという新しい
文明の基盤が固まり始めたのがこの年だったことだけは、ここでも触れておきたい。
地球は地下深くでプレートを動かし、
大地の姿をわずかに変えていた。
その一方で人類は、情報を結び直し、
新しいネットワークを築き始めていた。
自然は見えない力で世界を揺らし、人類は見えない情報で世界をつなぎ始めていたのである。
そう考えると2004年という年は、
単なる災害の年ではない。
自然と文明が、
それぞれ異なるかたちで大きく動き出した、
象徴的な一年だったように思えてくる。
あの年、
新幹線の脱線映像とインド洋の津波映像を、
同じ年末年始のテレビの前で見ていた記憶が今も残っている。
遠い場所の出来事のはずなのに、なぜかどちらも他人事には思えなかった。
あの感覚は、
自分もまた地球という
ひとつの大きなネットワークの上で、
小さく揺れていたという
実感だったのかもしれない。
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