
〈無料あり〉#15 花火師になりたかった男の子
過ぎた時間は取り戻せないものだと、自分に言い聞かせてきた。
今日も、時間通りに荷物を届けては、次の家へ向かう。
あの頃、次々に空に打ち上がっていった花火は、もう消えてしまったんだ。
桜はもう散り際で、荷台に積んだ段ボールの上にも花びらが一枚張りついていた。
かつて花火の玉を作っていた私が、今、運んでいるのは、他人宛ての荷物。
今の暮らしとは縁もゆかりもないこの街にも、夏になれば花火大会がある。
配達指定は十四時から十六時。
その日最後の配達先は、町内の夏祭り実行委員会の事務所だった。
「ちわっすー」
プレハブの扉を開けると、入口近くの机が見えた。
見積書が何枚も広げてあり、実行委員を任された町の住民たちが話し合っている。
「ああ、荷物ね。ありがとう」
「うっす」
住民たちの会話に、サインをもらおうとした手が、止まった。
「今年の分は、もう厳しいと思う」
奥にいた年配の男が、低い声で言った。
「警備の見積もり、去年よりだいぶ上がってますし。花火自体も、値上がりしてるらしいですし」
若い方が、見積書を指さして言った。
他人事のはずだった。
聞こえなかったふり。
でも、私はボールペンを構えたまま動けずにいた。
子どもの頃、祖父に手を引かれて見上げた二尺玉。
光に染まった祖父の横顔が同じ色に染まり、声も出せず、その手を強く握り返していた記憶。
夏が近づくたびに、河川敷で発射筒を組む人たちを通学路から眺めた。
「坊主、花火好きか」
フェンス越しに手招きされてからは、わざわざその場所を通うようになった。
高校を卒業した年、あの日声をかけてくれた縁で、地元の花火会社に採用してもらった。
配属された初日、先輩から古びた大学ノートを渡された。
何人もの手を渡ってきた、会社の借り物の配合帳だった。
持ち出し厳禁の、門外不出の代物だと念を押された。
表紙を開くと、挟まったメモに、前の担当者の字で「乾かしすぎるな」とだけ書いてあった。
自分が書き足した最初のページの字は子どもっぽく、消しゴムで擦った跡が残っている。
入ってすぐの数年は、盆と呼ばれる金属の皿を機械で回転させ、泥薬と火薬の粉を交互にかけて星を育てる下働きだけを任された。
作業の合間、先輩が教えてくれた配合の分量やコツを、配合帳に書き留めていった。
埋まっていくページが誇らしくて、ざらざらとした紙を指の腹でなぞった。
冬は指がかじかんで泥薬の乾き具合が分からなくなる日もあったが、硫黄と木炭の匂いを吸うと寒さも忘れて夢中になった。
数年たってようやく、河川敷の打ち上げ会場に立つことを任されるようになった。
発射筒を並べてコードをつなぎ、テスターの針が止まる位置で、導通の合図を確かめる。
繰り返すうちに、その位置は目で追わなくても分かるようになっていた。
初めて一人で現場を任された夜、先輩たちは代わる代わる私の背中を叩いた。
自分が色を決めて詰めた玉が、知らない土地の夜空で開く瞬間。
観客のどよめきが遅れて届き、見知らぬ誰かの歓声に変わる瞬間。
そのすべてが好きだった。
私の一生は夜空に捧げようと、夏が来るたびにそう思った。
2020年、新型コロナウイルス感染症が広がった。
その年の夏の玉を、冬から仕込み終えたばかりの春だった。
決まっていた大会は軒並み中止になり、作った玉は倉庫に積まれていった。
受注はほとんどなくなった。
半年、一年と食いつないだが、2021年の春、社長に呼ばれた。
独り立ちして日の浅い者から順に、席がなくなっていった。
私のものではなくなった配合帳を差し出す。
別れを告げるように、ページの端を親指で一度だけなぞった。
自分の手で埋めた重みごと、持っていかれるようだった。
社長は黙って受け取り、引き出しにしまった。
まだ、白いページは残っていた。
荷物をまとめ、住み慣れた町を出た。
それから宅配の仕事を始めて、もう五年になる。
──二人の声が、また耳に戻ってきた。