
「学校が好き」「学校が嫌い」の奥にあるもの
「学校、好き?」
そう聞いたとき、子どもから返ってくる「好き」や「嫌い」という言葉。
ひと口に「学校が好き」と言っても、その中身は本当にさまざまです。
友達と会えるのが楽しいのか。
休み時間に校庭を走り回るのが好きなのか。
勉強が分かるからなのか、給食が楽しみなのか。
はたまた、校舎のあの雰囲気が落ち着くのか。
子どもはざっくりと「学校」とひとまとめに表現しますが、その言葉が指している要素は、実はとても細かく分かれています。
それは、「学校が嫌い」という言葉でもまったく同じです。
場所や建物自体がしんどいのか。
勉強についていけないのか。
あるいは、何をして過ごせばいいか分からない「休み時間」のような空白が苦痛なのか。
「学校」という大きな言葉でまとめて見てしまうと、その中にある大切な事柄が見えなくなってしまう気がします。
勉強につまずいているなら、学び方の工夫や手立てが必要かもしれません。
校舎の硬いタイルに響く音や、蛍光灯の光といった刺激が苦手なら、環境を調整することで楽になる部分があるかもしれません。
「学校が嫌い」という言葉は同じでも、その理由が違えば、必要な対応も変わってきます。
けれど、「好き」や「嫌い」という感情はあっても、「何が自分にその気持ちをもたらしているのか」までを子ども自身が自覚し、言葉にするのは、とても難しいことです。
だからこそ、大人の出番なのだと思います。
生き生きしているときの共通点や、嫌がったり表情が曇ったりするときの共通点を、日々の丁寧な観察から見つけ出していくこと。
もちろん、観察しただけで子どもの気持ちがすべて分かるわけではありません。
だからこそ、目の前の姿から考えたことを手がかりにしながら、本人の言葉にも耳を傾けていくことが大切なのだと思います。
私自身も含め、大人はどうしても、子どもが口にした表面的な言葉をそのまま受け取ってしまいがちです。
でも、言葉として表明されていることだけで、その子の気持ちやニーズのすべてを理解できるとは限りません。
例えば、機嫌を損ねた子が、
「お菓子食べない!」
と言ったとします。
その言葉だけを受け取れば、お菓子はいらないのだと思うかもしれません。
けれど、本当は食べたいのに意地を張っているのかもしれないし、何か別のことで嫌な気持ちになっているのかもしれません。
もちろん、実際に食べたくないのかもしれません。
言葉の裏に何かがあると決めつけるのではなく、その言葉だけでは分からない気持ちがあるかもしれない、と考えてみる。
「学校が好き」「学校が嫌い」という言葉も、同じなのだと思います。
子どもが口にした言葉を否定するのではなく、その言葉を出発点にして、まだ見えていないものを一緒に探していく。
「学校が好き」「学校が嫌い」という大きな言葉の奥底にある、子どもの本当のつぶやき。
それを丁寧に拾い上げられる大人でありたいなと思います。