
私家版ファミリーヒストリー、102年ぶりにはじめまして 山口の旅その2
前に父方の親戚に会いに高知に行ったことがある。
その時に本と文化を愛して血が脂っこくなりやすい家系だとわかった。
今度は母方のルーツを探ってみたくて、
曽祖父の墓地を訪ねることにした。
母が従兄弟に聞いてくれて寺の名前がわかった。
姉がお寺に手紙を書いて問い合わせた。
では訪れる前に予習しよう。
私はネット検索をしたり、家系図を書いたりした。
姉は調べ物が得意である。
国会図書館に検索をかけたり、
戸籍を取り寄せたりした。
徹底して調査してくれた。
どうも私たちの曽祖父は当時は
けっこう有名人だったらしい。
学歴はたいしてないが官僚になり出世して、
民間に転じて活躍した。
大正の終わり頃に亡くなったので、102年経つ。
言うならば明治のノンキャリの星である。
さて、いきなり墓に参るにも場所が分からない。
姉がお寺に手紙を書いてくれた。
ご住職
(正確には代替わりされていて前住職なのだが
ややこしいのでご住職と表記させていただく。)
はたいへん丁寧に調べてくれて、
位牌はあるがその寺の墓所ではなく、
近くの山に墓があることが分かった。
当日お寺に来てみれば、
80代のご住職と奥さまが車で
墓がある山の入口まで乗せてくださった。
上の写真がその竹山の入り口である。
そのうえ竹山の中の道を案内してくださったので、
無事に先祖の墓にたどり着けた。
さてお墓参りに必要なものは何か?
数珠や線香やチャッカマンは使わなかった。
持っていって良かったのは、
軍手とキッチンバサミ。
なぜなら積もった落ち葉や土をのけて、
根を張りかけている木を引っこ抜いたり、
抜けなかったら折って断ち切るために
軍手とハサミが大活躍したのだ。
なんとかある程度の掃除をしてお花を供えることができた。ご住職がお経を詠んでくださった。

ご先祖様たちまではがんばりきれなかった。
お花を供えるので許して下さい。

おそらくこのあたりに家があったのだろう。
その後、お寺で過去帳を調べてわかったことを
教えていただいた。ご住職が膨大なお手間をかけて
過去帳を調べ上げてくださったのだ。
昔の過去帳というのは亡くなった年月日、
戒名と戸主の名前と戸主との関係だけが分かる。
ということは何歳で亡くなったのか?
戸主と次の戸主の関係は?
ということがわからない。
女性の名前が一切わからない。
戸主との関係のみ、母とか妻とか娘とか祖母とか。
また、詳細な記録のあるところも
飛び飛びにしか記録がないところも
100年くらい飛んでいるところもあった。
たくさんのことがわかったが、
いろいろと謎や未解明のところもある。
まだ調べればわかることもあるだろうが、
まずその前によく勉強しないといけない。
この地域の歴史や背景をよく知らないと
理解できない。
また超ややこしいのは
元は〇〇という名字だったけど後に△△を名乗り、養子に行って✕✕を名乗り、だけどまた△△に戻り〜
キーッとなる。
う〜む。
よくわからないが、幕末明治の有名人とかとも
ひょっとすると共通の祖先がいるかもしれない。
まあ先祖を辿っていくと数が増える。
両親は2、祖父母は4、
曾祖父母は8、高祖父母は16、その上で32。
どこかで有名人と共通の祖先がいたとしても
おかしくはない。
もしそうだとしても、だからなんだという話だが。
祖先の墓のはずが意外と昭和の墓もあり、
見てみたら母の従兄弟だった。
幼いころに亡くなったのだ。
今よりも乳幼児死亡率が高く、
結核でたくさんの人が命を落とした時代。
この墓の曽祖父の娘である私の祖母も早くに
結核で亡くなったので私は会ったことがない。
人がなかなか死ななくなり長生きができる時代は
なんとありがたいことかと思う。
長い間放置されていた墓なので行くことができるか心配だった。だがご住職の奥さまが覚えておられて場所がわかった。
幸いその竹山の持ち主の方が手入れしていて
くださるおかげで道があり行くことができた。
その後ありがたいことにご住職に市内の菜香亭に
案内までしていただいて本当にお世話になった。



数々の有名人の書が飾られている百畳の大広間。
ぜひまた山口を再訪したい。
まだまだ行きたいところがたくさんある。
今までそうらしいとしか知らなかった
父祖の地を感じることができた。
動乱の幕末や明治を祖先が生き抜いてくれたから
自分が生きているのだ。
私家版ファミリーヒストリーをやってみると
自分が今生きていることが
なんとありがたいことかと思う。