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誰が殺したのか?           エチオピア行って帰って100の疑問!?   No.050          

    殺したのは誰だ?

    はい、私がやりました。
    計画的だったわけではないけど
    最後に手を下したのは確かです。

    後悔はしていません。必要なことでした。


    ご安心ください。
    私が殺したのは事実だけど人ではありません。
    温かくて赤い血が流れるけど。
    鶏です。食べるためなのでしょうがない。

    アビィヤディ日本人会全3人が集結して私の49回目の誕生日を祝うことにした。市場で生きた鶏を買ってきて、私の家で殺すことにした。

    予定ではTくんが殺すことになっていたのに、どうも彼は優しすぎるのか何度も切りつけるのに鶏が絶命しないので、見かねて私が包丁を握ってとどめをさすことになった。

    それからの道のりが長い。羽をむしる、解体する、それからようやく調理に入って焼き鳥にした。
    つくづく思ったのは、殺しは大変だということ。
    なかなか死ななかったりもするし、始末もかなり面倒くさいし、スーパーできれいになった肉を買ってくるのとは労力がまったく違う。

    スーパーではハツと肝ばかりとか手羽ばかりとか
    モモ肉ばかりとかが売っているが、現実に一羽の鶏からは心臓は一つだけ、手羽もモモ肉も2つしかとれない。当たり前だけど実際に目の当たりにしてそうなのだと実感した。

    今までずっと
    誰かが育ててくれた鶏を、
    誰かが殺してくれて、
    誰かが羽をむしってきれいにしてくれて、
    誰かが解体してパック詰めしてくれて、
    誰かが運んで店頭に並べてくれた肉を食べてきた。
    ほとんどの先進国の生活者もそうだろう。

    それは楽で便利だが、自分たちの食べている肉が
    生きていたということを実感しにくい。

    自分の手で殺すとその命をいただくことの重みがわかる。もともと食べ残すことはほとんどしない方だが、食べられるところは全て感謝して食べた。むしった羽では羽箒や筆を作った。骨からはスープを作った。殺した以上は責任があると思ってとことんやった。

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    完全に使い切ろうと思った。

    ちなみに後でヨナタンにこの話をすると、
    彼はエチオピアでは慣習として
    殺しは男性の仕事、
    解体や料理は女性の仕事ということになっている
    と教えてくれた。

    残念ながら日本男子は軟弱で殺しに向かないのだと答えた。周りに聞いてみてもだいたいそういう役割になっているようだ。だからほとんどのエチオピア男子は鶏やヤギを殺したことがあるはずだ。

    生涯に食べる肉の量は先進国の方が段違いに多い。

    でも本当に肉のありがたさを知り、命をいただくことへの感謝を持っているのは自分で捌くことの多い途上国の方なのではないだろか。

    さっきまで生きていたふわふわとした羽の生えた温かい鶏が肉になる。残酷だけど、そうやって私たちは食べてきたのだ。

    決して気持ちのいい体験ではないが、
    肉を食べるならば一度はやってみるべきでは?

     
     
    公立高校美術教諭28年、JICAボランティアでエチオピアで美術教育2年、退職して非常勤講師になって6年目。日々楽しく生きていきたい。美術と旅と読書と自然が好き。

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