
私の好きなぼんやり
私はかつてせかせかと働き忙しくしていた。
時間をムダにしてはいけないと思っていた。
いつも急いで、学校でも走り回り、
生徒を急かしていた。
少しでも早く早くと焦っていた。
そんな生活に息苦しさを感じて、
外の世界を見てみたくなった。
英語が必要になったのでせっせと
すき間時間に英語の勉強をしていた。
英語の勉強の成果もあって、
無事に海外にボランティアに行くことになった。
訓練期間が終わるとちょっと何者でもない期間が
あった。何か不思議な気分だった。
やがてエチオピアに着任した。
最初は首都で訓練を受ける。
そこまではまだある程度は忙しかった。
でも日本よりは時間がゆっくりしていた。
任地のアビィヤディでは何もしない時間がたっぷりあった。停電も断水もあり物事は決して予定通りにはならない。イライラしたところでそれで何かが良くなることはない。
何もしない時間のありがたさがわかった。
いつも何かしなくてはいけないとは
思わなくなった。
停電の夜にぼんやり稲光を見ていた。
特に何者かである必要もないし、
何かをすることもない。ただそこにいるだけ。
日本に帰って、またフルタイムで忙しく働いた。
でも内心そこまで忙しくすることに意味があるのか
と思うようになった。
人生の残り時間は有限だ。
私はその時間を好きなように使いたい。
確かに辞めてしまうと給料は激減する。
私にとって金と時間ならば時間のほうが大事だ。
辞めて非常勤講師になった。
ようやく欲しかった時間が好きに使えることが
多くなった。
以前から時間があればしたかったことが
ようやくできるようになった。
絵を描いたり、旅行に行ったり、
散歩したり、お風呂に行ったり、本を読んだり。
そんなに急いで走り回ることもない。
会議や書類仕事に追われることもない。
学校があって授業がある日でも拘束時間は短い。
授業が終わればぶらぶら歩いて
公園を散歩して帰る。
休みの日は何にも追われることなく
自分のペースでのんびりと暮らす。
私は今ではぼんやりしているのが好きだ。
忙しくがんばって働いていた時よりも
寛容になれた気がする。
時間を有効に使いたいとたくさんの人が思う。
でも、いつも先のことを考え、
いつも急いで、
いつもいらだって、
いったいいつ今を楽しむのだろう?
ぶらぶら歩いて散歩して、
ぼんやり水面を眺めて写真を撮って。
生産的とか効率的とかどうでもいい。
私は今自分が生きていることを感じながら
のんびりぼんやり楽しく暮らしたいのだ。