日本に城壁が少ない理由、地形で全部説明がつく
日本の城を見て「あれ、城壁少なくない?」と気づいた瞬間から歴史と地理にハマる人がいる。
> ひと言で言うと、日本の城は石垣より地形そのものが武器だった。
この記事のポイント
・なぜ日本は城壁より山城が主流だったか
・堤防と同じで地形改変にはトレードオフがある
・城下町の構造は今の街の地形にも残る
何が起きたか
東洋経済オンラインのライフ記事で、筆者が「日本って城壁少なっ」と気づいたことをきっかけに地形・城下町・歴史への関心が広がった経緯が語られた。ヨーロッパの都市のように街全体を囲う城壁は日本では主流ではなく、代わりに山そのものを要塞化する山城が各地に築かれた。岐阜県の岩村城や埼玉県の天神山城など、地形を生かした城の実例が全国に残っている。
なぜ日本は城壁より山城を選んだのか
地形の使い方という視点で見ると、日本の山城は堀切や竪堀といった土木加工だけで防御力を作り出していた。尾根をぶった切る堀切、斜面を縦に走る竪堀。どちらも石垣を積まずに、山の起伏をそのまま兵器に変える発想だった。
パリに残るフィリップ・オーギュストの城壁は 全長5.4キロ で街ごと石垣に囲む発想だった。小田原城の総構も 約9キロ の堀と土塁で城下町を丸ごと囲んでいて、実はこのタイプは日本でも存在した。ただし日本全体で見ると、平地を長大な城壁で囲むより、山という地形資源をそのまま活用する方がコストが低かった。
技術面の転換点もある。石を積む技術は7世紀の朝鮮式山城、鎌倉時代の元寇防塁と途切れながら伝わり、織豊系城郭でようやく高石垣として定着した。歴史ライターの西股総生によれば、近世城郭ですら総石垣造りは全体の半分程度で、石の城への移行は一直線ではなかった。
この地形依存の発想は、現代の防災とも地続きだ。名城大学と東北大学の研究グループが宮城県丸森町の1908年の地形をデジタル復元してシミュレーションしたところ、堤防や河道の直線化は外水氾濫を抑える一方、弱い雨では内水氾濫を悪化させることがわかった。令和元年東日本台風のような極端な豪雨では、整備の効果が大幅に小さくなることも示された。地形を変えれば安全になるという発想自体に、昔も今も同じ構造の落とし穴がある。
この気づき、仕事の地図の読み方に効いた話
私がコンサル時代にクライアント企業の拠点選定プロジェクトに入ったとき、担当者は立地を人口動態と交通アクセスだけで見ていた。でも実際に現地を歩くと、川の氾濫原だった土地に盛土して開発されたエリアだとわかった。地形の履歴を見ずに数字だけで判断すると、見えないリスクを拾い損ねると私は学んだ。
日本の城が石垣ではなく地形で守ろうとしたという話は、インフラ投資の判断軸としても効く。 安全な開発のパラドックス という言葉がある通り、堤防整備で安全になったと認識されるほど、本来危険な土地に開発が進んでしまう。これはオフィス移転や工場立地の意思決定でも同じ罠だと私は見ている。
城下町の構造を読むクセがついてから、私は初めて訪れる街でも「この道が曲がっているのは防御のためか、地形のためか」を考えるようになった。ビジネスの現場でも、今ある制度や慣習がなぜその形なのかを地形的に遡って考えると、改善すべき箇所が見えてくる。これは地理に限らず、組織の歴史を読むときにも使える視点だと私は思っている。
歴史と地政学をセットで学ぶと、こうした地形の読み方がもっと体系的に身につく。日中台の関係史を地政学で整理した一冊は、台湾有事リスクを考える土台づくりにも役立つ本だった。
地形を読む目は、街づくりもリスク判断も同じ見え方になる。
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