
500年続いた八代のい草が、223戸に。まず「ちゃんと知る」ことが支援になると思ったお話。
昨日、福岡で八代のい草農家の方の話を聞きました。
私は八代で育ちました。
畳の産地だということは当然知っていますし、小学校でも習いました。
それでも、昨日聞いた話はほとんど初めて聞くものばかりでした。
気になって、帰ってから調べました。
調べるほど、自分が何も知らなかったことが分かりました。
そして、思っていたより話が急いでいることも分かりました。
まずは数字から。
農林水産省が今年1月に出している「いぐさ(畳表)をめぐる事情」という資料があります。
そこに載っている数字を並べます。
熊本県のい草生産農家は、平成27年産の536戸から、令和7年産で223戸になりました。
10年で6割近く減っています。
作付面積は687ヘクタールから242ヘクタール。
畳表の生産枚数は274万枚から103万枚。
直近の1年だけを見ても、農家数が16%、作付面積が24%、生産枚数が27%減っています。
10年で、ではありません。
この1年で、です。
もう一つ、この資料で知ったことがあります。
農林水産省のい草の統計は、令和4年産以降、熊本県だけを対象にしています。
他に数えるほどの産地が残っていない、ということです。
日本の畳表は、この223戸が作っています。
7月28日の震度7は、い草の産地でした。
今年7月28日の16時27分、熊本県熊本地方の深さ16キロを震源とするマグニチュード7.1の地震が発生しました。
気象庁が「令和8年熊本地震」と命名した地震です。
震度7を観測したのは、宇城市と氷川町でした。
ここが、い草の産地です。
氷川町が属する八代郡では、約500年前からい草が栽培されてきました。
私は地震のあと、阿蘇のキャンセルや道路の復旧の話ばかりを追っていました。
同じ県の、自分が育った方角で何が起きているかを、ちゃんと見ていませんでした。
壊れたのは、用水路。
ここが、調べていていちばん驚いたところです。
今回の地震の被害の中心は、織機でも加工場でもありませんでした。
農業用水路です。
八代平野の用水路と排水路を維持管理している土地改良区の役員を務める八代市の農家の方が、SNSでこう報告されています。
用水路に甚大な被害があり、農業用水の供給が不可能になった。復旧の目処が立たない。
い草の栽培暦を確認します。
夏から秋にかけて苗を水田の苗床に移して育てる。
11月下旬から本田に植え付ける。
翌年の6月下旬から7月中旬に収穫する。
今年7月の地震の時点で、今年の収穫はすでに終わっていました。
だから、今年の畳表の量に影響はありません。
いま産地にあるのは、来年のための苗です。
水が来なければ、その苗が育ちません。
震度7を観測した宇城市のい草農家の方は、7月末にSNSにこう書かれています。
地震で家のことばかり考えていたら、9月に株分けする畑苗がまずい。こうも色が抜けているとは。急いで除草して入水しなければ。今年はい草を植えられない。
今年11月に植え付けができなければ、来年6月の収穫はありません。
今日は10月12日です。
植え付けまで、1カ月半もありません。
地震の被害は、来年の畳表の量という形で表に出てきます。
そして、来年の収穫がなかった農家が、再来年も続けられるかどうか。
223戸という数字が、もう一段下がる可能性があります。
二年続けての被災。
前年の令和7年8月豪雨では、八代地域で刈り取り機などの機械類に13億3千万円の被害が出ています。
八代市が発表した速報値です。
収穫直後の原草や加工場が浸水し、専用機械が水を被りました。
その修繕が終わるか終わらないかというところに、今年の地震が来ました。
中国産との、2.3倍の壁。
なぜここまで減ったのか?いちばん大きいのは、中国産の畳表です。
1990年代後半から急増し、平成12年(2000年)には輸入量が2,030万枚に達しました。
国内市場の6割を握り、ネギや生シイタケとともに暫定セーフガードの発動対象になるほどの問題になりました。
このとき、国産畳表の平均取引価格は1枚1,016円まで落ちています。
その後、産地は「ひのみどり」や「涼風」といった独自品種への転換を進め、品質で差別化を図りました。
その結果、国産畳表の平均取引価格は2,000円台まで戻っています。
ただ、中国産の輸入単価は1,000円を切る水準にとどまっており、2倍以上の開きが残ったままです。
品質の差は、確かにあります。
国産は、十分に成熟した原草を刈り取って、天然染土で泥染めをします。
これで葉緑素が固定され、経年とともに黄金色に退色していきます。
バニリンなどの香り成分が残り、調湿機能やホルムアルデヒドの吸着能もあるとされています。
中国産は、コストを下げるために早刈りされた未成熟の草が使われる傾向があり、耐久性や弾力性で劣ります。
色ムラを隠すために着色剤が使われている例もあり、摩擦で衣服に色移りしたり、黒ずんだりすることがあるそうです。
ここまで読むと、国産を選べばいいじゃないか、と思います。
でも、現実の市場はそうなっていません。
新築の建売住宅、賃貸の集合住宅、大手ハウスメーカーの定額リフォーム。
この三つでは、初期コストの圧縮が最優先されます。
そして、日本の畳の大半はこの三つで消費されています。
いま、国産畳表の国内シェアは2割程度。
樹脂や和紙の工業化畳表が2割。
中国産が5割を超えます。
八代の生産者は、個人住宅の本格和室、寺社仏閣、高級旅館、文化財という、極めて狭い市場に閉じ込められています。
農業と製造業を、一軒でやっているという特徴。
八代のい草農家は、ただ草を育てているのではありません。
苗を作り、植え、育て、刈り取り、泥で染め、乾燥させ、選別し、織機で畳表に織り上げるところまでを、一軒の農家が全部やります。
農業と製造業を一軒で完結させる形です。
これが八代の品質を支えてきました。
土づくりから織りの調整までを同じ人が管理するから、均一さが出る。
ただ、この形は、一軒あたりが抱える機械の量が異常に多くなります。
八代市の補助制度の対象機械の一覧を見ると、よく分かります。
ハーベスタ、結束機、苗処理機、泥染機、移植機、加湿器、乾燥機、織機、色彩選別機、苗たたき機、苗掘り取り機、選別機、ござ乾燥機。
これだけの専用機械を、一軒で持っています。
しかも、全部がい草専用です。
い草は草丈が120センチから150センチ以上あり、繊維も繊細です。
米や麦の農機では代用できません。
繊維産業の一般的な織機でも織れません。
農家が5,000戸から223戸に減ったということは、この専用機械の買い手が40分の1以下になったということです。
メーカーにとって、市場が消えました。
八代市が今年度実施している「いぐさ・畳表生産体制強化支援対策事業」の説明文に、こう書かれています。
いぐさ専用機械の老朽化と生産中止が加速する中で、機械の有効かつ継続した利用を促進する、と。
行政の事業概要に「生産中止が加速」と書かれる状態です。
新品が買えないから、既存の機械を長く使えるように支援する。
これが現在の政策の前提になっています。
いま八代で織機の製造と修理を担っているのは、地元の小さなメーカーです。
織機を1台作るのに、熟練工の手作業で1カ月前後かかるとされています。
年間に作れる台数は、どう頑張っても限られます。
そして、そこでも技術者の高齢化と後継者不足が進んでいると聞きました。
現場では、故障した機械から使える部品を外して別の機械に移す整備が常態化しています。
鋳造部品や制御基板が壊れたら、代わりがありません。
機械が1台止まっただけで、畳表を出荷できなくなります。
出荷できなければ、廃業するしかない。
ここが、いちばん怖いところです。
やる気のある若い人がいても、機械がなければ参入できません。
需要の問題は、時間をかければ取り返せます。
設備の問題は、一度途切れたら戻りません。
行政は、動いている。
八代市も何もしていないわけではありません。
まず、災害対応です。
八代市は「農業用機械・施設等復旧支援事業(令和8年熊本地震)」を実施しています。
農業用機械や施設の修繕、再取得に9割の補助。
被災した格納庫などの撤去費は全額。
関連事業として「いぐさ畳表加工再開支援事業」も用意されています。
この事業の要望受付会が、明日から今週いっぱい、八代市内で開かれます。
令和8年10月13日(火)から16日(金)まで、八代地域農業協同組合の北部営農購買センターです。
その後も、営農再開ワンストップ窓口と八代市農林水産政策課などで、11月末まで第2回の受付を予定しているとのことです。
該当する方が周りにいらっしゃったら、是非お伝えください。
前年の豪雨については、「八代市い業機械復旧支援事業(8月豪雨)」が実施されました。
国等の補助の対象外になったい草専用機械の修繕や再取得に、税抜き事業費の3分の2以内、上限30万3千円。
ハーベスタの修繕なら、50万円の工事で30万3千円が出る計算です。
この制度には、今後3年以上い草と畳表の生産を継続予定であること、という要件がついています。
平常時の制度としては、八代市に「い業機械再生支援事業」があります。
新品が買えないなら、既存の機械を修理して延命させる、という発想の事業です。
今年度の「いぐさ・畳表生産体制強化支援対策事業」は、専用機械の導入支援と機能強化支援を補助率2分の1で行うものです。
ブランド面では、2016年に農林水産省の地理的表示(GI)保護制度に「くまもと県産い草」「くまもと県産い草畳表」が登録されています。
基準を満たした県産品だけにGIマークを認めることで、輸入品の偽装を排除する仕組みです。
県議会は昨年、議員提案でい草と畳の振興に関する条例を制定しています。
よくやっていると思います。
ただ、正直に書くと、これらは延命策です。
機械の修理に補助を出しても、修理できる技術者がいなくなれば終わります。
そして、補助金では注文は増えません。
構造を変えるなら、三つだと思う。
ここからは、私個人の意見です。
専門家ではないので、間違っているかもしれませんし、既にやっていることかもしれません。
一つ目は、製織の共同化。
223戸の農家が、それぞれ400キロ近い織機を抱えて、乾燥機も選別機も自前で維持する。
この形は、もう無理だと思います。
稼働率が下がるほど、1枚あたりの機械コストは上がります。
そして機械の故障が、そのまま廃業につながります。
栽培と製織を分ける。
稼働する織機と熟練の製織技術者を一箇所に集めて、共同のファクトリーとして運営する。
高齢の農家や新規就農者は、良質な原草を育てることに専念する。
これが現実的な姿だと思います。
ただ、ここには正直な難しさがあります。
八代の品質は、土づくりから織りまでを同じ人がやるから出ている、とも言われてきました。
分業すると、その一体性が崩れる恐れがあります。
それでも、品質が少し落ちても産地が残るほうがいいという判断を、どこかでしなければならない段階に来ていると思います。
全部を守ろうとして全部を失うのが、いちばん悪い結果です。
二つ目は、機械と部品を地域の公共財として扱うこと。
小さなメーカー1社の努力に依存した供給体制は、すでに限界です。
撤退したメーカーから設計図面や金型を公的に引き取り、県の産業技術センターのような機関で一元管理する。
地域の精密金属加工企業や、熊本大学の工学部、高専と組んで、3Dスキャンと金属3Dプリンタで部品を作れるようにする。
廃番になったギアやカムを、必要な分だけ作れる体制です。
同時に、いま残っている技術者の調整技術を、動画とデータで記録する。
地域おこし協力隊や職業訓練の枠を使って、い草機械の保全技術者を育てて雇う。
農家を支援するだけでは、産地は残りません。
機械を直せる人を残さないと、農家も残りません。
三つ目は、売り先を変えること。
中国産の1,000円以下と、樹脂や和紙の工業化畳表が相手の価格競争には、戻れません。
戻ったら負けます。
国産い草の競争優位は、床材としての性能ではなく、健康と環境の価値のほうにあります。
バニリンを主成分とするリラックス効果、二酸化窒素やホルムアルデヒドの吸着、調湿、抗菌。
この価値が効く場所は、和室ではありません。
ヨガマット。
瞑想やストレッチ用のマット。
フローリングの上に置く置き畳。
壁面の吸音パネル。
高級車や特急車両のシート表皮。
抗菌インソール。
ホテルや空港ラウンジ。
六畳間に敷き詰める建材だという前提を外すと、使い道はかなりあります。
実際、八代産い草を100%使ったヨガマットは、高価格帯でも受け入れられているみたいでした。
農家の加工度を上げて、利益率を改善する形でもあります。
募金から、受注へ。
調べている途中で、ひとつ考え方を教えられる取り組みに出会いました。
大阪の、畳店向けに経営指導をしている方の話です。
この方は、昨年8月の豪雨のときに募金の取りまとめ役を引き受けました。
畳店や治療家など25社から集まった70万円を、手数料を自己負担して減らさずに届ける形で、昨年11月にJAの八代い業部会長に手渡しています。
そして今年の地震を受けて、やり方を変えました。
募金ではなく、畳店向けのチャリティーセミナーを開いて、受講料を全額産地に寄付する。
しかも、セミナーの中身は「畳店が高品質な国産畳表を売って、利益を残す方法」です。
その理由が、腑に落ちました。
設備が壊れても、復旧後に注文が入る見通しがなければ、農家は買い替えに踏み切れない。
投資をためらえば、生産量はさらに落ちる。
この悪循環が、災害のたびに産地を細らせてきた。
だから必要なのは、復興後に注文が戻ることだ。
寄付は一度きりだけれど、注文は続く。
これは、支援のかたちとして相当に筋がいいと思いました。
災害が起きるたびに、私たちは募金をします。
それは大事なことです。
ただ、募金は被災した時点の損失を埋めるものであって、その先の事業を回すものではありません。
事業を回すのは、注文です。
観光の仕事をしていても、同じことを何度も感じました。
地震のあと、応援したいという声はたくさんいただきました。
でも、宿が立ち直ったのは、予約が入ったからです。
観光の側にいる人間として、何ができるか?
私は職業柄、客室の広さも、水回りも、寝具も、かなり細かく見ます。
それなのに、畳の産地を聞いたことが一度もありませんでした。
これが、産地が置かれている状況の本質だと思います。
いちばん畳の上で寝ている人間が、産地に関心を持っていない。
そのうえで、宿の側の経済を考えてみます。
仮に客室が10畳だとします。
国産と中国産の施工差が1帖あたり1,500円だとすると、1室あたり15,000円の差です。
畳表の表替えは、数年に一度です。
仮に5年に一度として、年3,000円。
その部屋が年間200泊稼働するなら、1泊あたり15円です。
1泊2万円の宿にとって、15円です。
コストの問題ではありません。
知らないか、気にしていないか、どちらかです。
逆に言えば、宿が決めれば変えられます。
そして、変えたならそれを書くべきだと思います。
この部屋の畳は八代産です、と客室に一行あるだけで、泊まる人の意識は変わります。
私が気づかなかったのは、どこにも書いていなかったからです。
南小国町には黒川温泉があり、阿蘇全体では相当な客室数があります。
九州の旅館が国産を選ぶだけで、103万枚のうちの何%かは動くはずです。
これは募金ではなく、注文です。
もう一つ、物産館の話をします。
当社では物産館の運営も行っています。
売り場を持っている、ということです。
ただ、置くだけでは売れません。
観光客が物産館で買うのは、その土地のものです。
南小国の物産館に八代のい草製品が並んでいても、文脈がありません。
やるなら、熊本県のものとして見せる形だと思います。
休日を熊本のセレクトショップとして回す方針でやっているので、県産品の棚という形なら置き方はあります。
私たちにできること。
一人でできることも整理しておきます。
一つ目は、畳替えのときに産地を聞くこと。
畳店に、国産ですか、と聞く。
GIマークはついていますか、と聞く。
聞く人が増えれば、畳店が仕入れを変えます。
川下から変わるほうが、たぶん早い。
二つ目は、和室がなくても使うこと。
置き畳、ヨガマット、インソール。
フローリングの部屋でも、い草は置けます。
三つ目は、ふるさと納税。
八代市の返礼品に、い草製品があります。
災害支援としての代理寄附も、各地の自治体が受け付けています。
四つ目は、宿に泊まったときに聞くこと。
ここの畳はどちらのものですか、と一言聞く。
聞かれた宿は、次から考えます。
最後に。
八代のい草は、室町時代の1505年に始まったとされています。
500年以上です。
それが223戸になり、今年の地震で用水路が壊れ、来月の植え付けが危ぶまれています。
数字だけ見れば、もう間に合わないのかもしれません。
ただ、できるかどうかを先に判断基準にすると、何も始まりません。
やるかどうかを先に決めないと、近づくことすらできない。
これは、自分が仕事でいつも言っていることです。
八代で育った人間として、昨日まで何も知らなかった人間として、まずは知ったことを書いておきます。
畳は、消えるときに静かに消えます。
和室がなくなったから消えたのだ、という説明で、たぶん片付けられます。
でも実際には、用水路が直らなくて苗が育たず、機械を直せる人がいなくなって消えるのだと思います。
その違いを、知っている人が少しでも増えたほうがいい。
近いうちに、八代に行きます。
実家もそちらなので、ついでではなく、ちゃんと見に行こうと思います。