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祖母を迎えた日

    連れ子との関係性破綻。

    そして、認知症。

    血のつながらない孫が、どのように相対したのか、記憶を頼りに書いています。

    こちらの記事はメンバーシップ限定および有料とさせて頂きます。




    「あのお婆ちゃん、ちょっとボケはじめちゃって」

    とか

    「最近見ないと思ったら、あそこのおじいちゃん施設に入ったらしい」

    などと、知人や近所の話なんかはたまーに聞くことはあった。

    それなりに近い親戚などでも、認知症がすすんじゃった人もちょくちょく出てきた。

    「あんなにシャッキリしていた人でも、そんなことになるなんて」

    と、驚くことも多い。

    けれども、介護現場で勤めているわけでもない。

    病院関係で働いているわけでもない。

    日常的に老人と接するわけでもないから、たまに認知症が進んでしまった人と会っても、「そんなもんなんだ」で済んでしまっていた。


    私は父方に二人の祖母がいた。

    父にとっては生みの親と育ての親、ということになる。

    それを知ったのは、小学校4年生のときだった。

    とは言え、愛知県に住んでいた私が北海道に住む親戚と会うのは年1~2回あるかどうか。

    同居や近所住みの人たちと比べると、遥かに遠い関係の中で育った。

    そこに祖母がひとり増えたとしても、そんなに大きな影響はなかった。

    お婆ちゃんはお婆ちゃん。

    それで問題なかった。


    「育ての親」であったお婆ちゃんは「札幌のお婆ちゃん」。

    「生みの親」であったお婆ちゃんは「宝塚のお婆ちゃん」。

    住んでいる場所で呼び分けることができた。


    北海道は、明治や大正の時期に、鰊ニシン漁で賑わっていた。

    それで大金を得て、御殿が建ったなんて話がゴロゴロ転がっている。

    札幌のお婆ちゃんは、そんな鰊ニシン御殿家庭の娘だった。

    その育ちのせいなのか。

    あまりきっちりと生活するタイプではなかったのではないかと思う。

    遊びに行っても、あまり手料理のようなものを作る印象がなかった。

    覚えているのはカレーライスくらい。


    祖父が若くして亡くなったあと。

    それまで仏壇なんて開けているところを見たことがなかったのに、祖母は急にあれやこれやし出した。

    ある時、霊媒師のような女性が部屋におり、曾祖父の霊を降ろします、とか、しゃがれた風声を作ってあれやこれや言っていた。

    「このかたは、こんな思いを持っていたようですね」

    などと、なんだかありきたりなことを言っているのが、小学生にすらわかる。

    数珠をジャラジャラ鳴らしながら、よくわからないことをブツブツ呟く。

    子供心に、「とんでもなく怪しい人物だ」と思って冷めた目で眺めていたことを覚えている。

    人の感情的な弱みに付け入る商売に嫌悪感を感じるのは、子供の頃、この人物を見たことによる影響が大きいように思う。


    そんな祖母ではあったが、ひとりで生活することができないようなことではなかった。

    父母との関係性も、私が二十歳付近まで成長した頃には特に問題なかった。

    一緒に海外旅行へ出かけたこともある。

    父母と一緒に住んでいた時期もある。

    それでも、人間の関係性なんて、崩れる時には崩れる。

    私の知らないところで、祖母と父母との関係性は破綻していた。


    父は祖父の連れ子で、祖母との関わり上では一人っ子だった。

    母ひとり、子ひとりという関係になる。

    私が大人になるまでの間、情や絆という意味での関係性はあったのだと思う。

    それでも、いろんな事情で、関係性というものは破綻した。


    祖母と最後に会ってから20年くらいした頃だっただろうか。

    札幌の役所から、突然の連絡が来た。

    「お祖母様が札幌の施設に入所されています」

    そんな話は聞いていなかったから、ちょっと驚いた。

    「補助金で賄っているのですが、書類やお金の管理をお願いしたいんです」

    という内容だったと思う。

    祖母の通帳と印鑑を預かり、市から振り込まれたお金を月に一度、施設に振り込む。

    ほぼそれだけのことなのだが、本人の代理として処理をしなければならない。

    それをやる人が誰なのかが不明だったが、子供、そして孫がいることがわかった。

    子供とは連絡が取れない。

    そこで、孫に連絡が来た、ということなのだと思う。

    「それはお受けするけれども、まずは会いに行って現状を知りたいです」

    という回答をした。


    「このままひとりで亡くなるのを待つことになったらお婆ちゃんがかわいそうで」

    施設の職員さんのひとことは、とてもズシンと重たく感じた。

    「お孫さんが、こうして会いに来てくれて本当に嬉しい」

    そう言われた。

    テーブルがいくつも並んでいる娯楽室のような部屋を抜け、その奥の廊下を進むと、いくつもの個室のドアがあった。

    その中のひとつに通された。

    そこにいたのは、記憶よりもかなり老けてはいたけど、間違いなく祖母だった。


    祖母が倒れているのを発見したのはケアマネさんだったそうだ。

    認知症がはじまっていることはわかっていて、連絡が取れないことを心配し、祖母の部屋を訪れたそうだ。

    ケアマネさんには感謝したいが、見つけたのが家族ではないという現実には、複雑な想いがある。


    事前に聞かされていた通り、祖母ははっきりと認知症だった。

    それでなくとも最後に会った20歳前後から、突然40代での登場だ。

    認知症に関係なく、「知らない人」でもなんの不思議もない。

    「お孫さんが会いに来てくれましたよ!」

    という職員さんの声かけにも、興味あるんだかないんだかわからない反応。

    ふと怪訝な表情を浮かべるも、特に応答するわけでもなかった。

    目線だけが、私が何者なのかを品定めしていた。


    祖母の名前を呼びつつ、

    「お子さんいましたよね」

    父の名前も加える。

    そして、

    「その子どもなんです」

    自分の名前も加える。

    この一連の説明をすると、祖母の目の色が変わる。

    驚き、涙を流しながら喜ぶこともある。

    数分に一度、そのような自己紹介をしながらなら、ある程度会話が成り立つことがわかった。


    祖母の話には、どうも複数の人物が混ざったような表現が出て来る。

    曾祖父の話なのか、祖父の話なのか、父なのか。

    あるいはその他の誰かなのかも知れない。

    だから、丹念に話を聞く必要があった。

    いくつかわかったことがあった。

    祖母の目から見て、曾祖父はしっかりした頼りになる人物であろうこと。

    祖父には一目ぼれするほどだったから、すぐに遊びに行ってしまう人だけど、ずっと好きだったのだろうということ。

    そして、学校の勉強という意味で、出来のいい子供という話。

    これはちょっと、誰に当てはまるのかよくわからなかった。

    ひとこと程度のエピソードを語っては忘れ、話がリセットになる。

    だから、自己紹介を繰り返しながら、何時間もかけて話を聞き、整理した。

    家族のことについて、親元で暮らしていた頃にはほとんど聞く機会がなかった。

    なので、最後の機会だと思い、たった数回の面会だったけれども、都度時間をかけて話を聞いた。

     
     
    50代から、AIを相棒に新しい「遊び」を始めました。 なんとなく過ぎる毎日に、自分の手で形を作るワクワクを。 一歩踏み出す日々の試行錯誤や、小さな成功の瞬間を等身大の視点で発信していきます。 Amazonのアソシエイトとして、へろんは適格販売により収入を得ています。

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