
2026年の自己紹介・生き急いでる男、にこ太郎!
生まれつき身体が弱く、
中学生の頃、母に突然
「あんたは他の人より早く死ぬ」
と絶望宣言をされて以来、死というものに深く向き合わざるを得ない人生を送ってきた。
家族は、同級生の妻と五歳の息子。
現在の職業は、ざっくりと医療従事者。
個人事業主の一人院長なので、飢え死にしない程度に働きながら、自分の体調を最優先にした省エネ生活をしている。
医療従事者を志したのは、やはり「死の恐怖」が原動力で、「人の身体を良くしたい」よりも、「自分の身体を理解したい」という動機の方が強かった。
で、色々勉強していくなかで、遺伝学的には生物としての人間は遺伝子を次へ残していく存在だということを理解した。だけど、それは「人間という種」の説明であって、「私が生きる意味」の説明ではなかった。だから…
死の恐怖を克服するには全然足りない!
「死の恐怖」が生み出すデカいエネルギーが、内側から叫び続ける。
「まだ探せ!あるだろ!俺が俺である理由!」
一種の強迫観念である。
死とは何か。生とは何か。自分とは何か。
あまりにも抽象的で、言葉だけではつかめないものを、形として残したい。という衝動に突き動かされて、これまでいろいろな作品を作ってきた。



趣味と言えば趣味なのだが、楽しんでいたというよりも、必要に迫られてやっていたという方が正しい。
最近は、その衝動も収まってきて、文章で表現する方向に形を変えた。といっても、やってることといったら、格ゲー攻略記事まとめと、このnoteくらいなもんだけど。
ところで、AI時代に、わざわざ人間が文章を書く理由は何だろうか。AIに聞いてみた。なるほど。AIには自分自身の経験も、身体感覚もない。言葉を並べることはできても、どの経験にどの言葉を与えるのかは、まだ人間が引き受けるしかないらしい。ありがたや。
多分、私はいまだに「死の恐怖」に捉われている。こうして文章を書くのも、世界の構造を見つけ、バラバラのものを統合し、自分が理解できる形にして残すことで安心したいから。自分が生きていたことに、輪郭を与えたいのかもしれない。
作品は、思考の子孫である。
名言っぽくない?
かつての強迫観念じみた創作意欲はもうない。それは、息子の存在が大きいと思う。肉体の子孫ってやつだ。それである程度落ち着いた。だけど、私が何を考え、どう世界を見ていたのかが、息子に100%伝わるわけではない。そもそも、全部を伝える必要もないが。
だからこうして文章を書いて、日々の思考や出来事を、少しずつ排出していく。一つひとつはほとんど意味のない断片かもしれないけど、いつか俯瞰したとき「何か大きな意味を持つもの」になればいいな、と淡い希望を抱いている。

これも昔の趣味の一つ
結局、私が知りたいのは、何のために生まれ、何をして喜ぶのか、ということなのだ。
ああ。これ…
言いたいこと全部、
アンパンマンのマーチに集約されてたわ。
と、いうわけで。このnoteでは、日々の出来事や違和感を文章にしながら、人生の意味らしきものを探していこうと思います。
朗らかに、毒を吐きながら、
楽しく続けていけたらいいなあ。
どうぞよろしくお願いします。
最後に、この記事のイメージソングを。