
"Why?"が首を絞める
相手の内省を促すために"Why?"を繰り返す人がいる。
なぜそう思うの?と。
もちろん、悪意などなく、相手を支援したい、その気持ちで言っている。
しかし、こちらのコンディションが悪いと、というか落ちていると、「なぜ」という言葉に、じわじわと首を絞められているような、逃げ場のない息苦しさを感じたりもする。
シンプルに言えば、責められているようで嫌なのだ。
悪気がないのと、わたしの気分が悪くなるのは別の話である。
今週、間接的にはなるが、その旨をお伝えしようと思っている。
というのも、そう感じているのはわたしだけではないようなので、ファーストペンギンとして飛び込む所存。
その方はトヨタ式の「5Whys」をベースに、我々を解決へ導こうとしているのかもしれない。
しかし、とりわけ相手をマイナスから0以上に引き上げるフェーズでは、"Why?"はほぼ禁句だ(と思っている)。
わたしの主治医も「コミュニケーションにおける"Why?"は要注意。責めるニュアンスを含む言葉だから」と言っていた。
という「医者のお墨付きエピソード」があれば、多少は相手の中の納得感が増すだろうか。
いや、納得してもらわなくても。
悪意がないからこちらが我慢すればいい、はダメなのだ。
お互いが我慢しなくていいコミュニケーションを、と提案してくる。
ダメなら仕方ない。