
ベトナム語が読めない それでも売場は漢字で読める 【新連載】
【新連載】アジアの売場から
合同会社 Beyond Nippon
代表 田中 良介

海外で人気のトレンドを取り入れたのに、日本では響かなかった。日本で人気の商品なのに、なぜか海外では全く売れない。そんな経験に戸惑ったことはありませんか。なぜ、こうした「ズレ」が生じるのでしょう。私は食品マーケティング業界で、トレンドの分析や海外進出サポートなどに長年携わってきました。連載では、アジアの売り場を歩く中で発見した、さまざまなズレの理由をご紹介していきます。初回は、ベトナムの売り場を水面下で動かしている「沈んだ漢字圏」の話です。
フーコック、ふこく、富国
7月にベトナムを訪れ、ハノイとホーチミンの食品売り場を歩いてきました。ベトナム語って、難しいですよね。文字は全く読める気がしませんし、発音に至っては、もうお手上げです。
そんな中で唯一、文字でも音でも読めた言葉がありました。
Phú Quốc 。フーコック島、聞いたことのある方も多いと思います。ベトナム名産、魚醤(ぎょしょう)の産地です。なんだか覚えやすい響きだと思いませんか?

フーコック、ふこく、富国? 連想がつながって、まさかと思って調べてみたら本当に漢字の「富国」から来た名前でした。
またある朝、ハノイの旧市街のバインミー店で朝食を食べました。バインミーとは、フランス由来のバゲットに具を挟んだ、ベトナムの国民的サンドイッチです。そこでも、お、これは読めるかも、という文字に出合いました。メニューの最上段をご覧ください。

ĐẶC BIỆT と書かれていますよね。「ダック、ビエット」と読みますが、早口でいいかげんに発音したら「トク、ベツ」とも読めないこともない。「空耳アワーか!」と自分で突っ込みを入れつつも調べてみたら、なんとĐẶC BIỆTは正真正銘「特別」という意味でした。漢字の特別から来ている言葉なんです。
高級ビール、その名は「大越」
こちらのビールの棚をご覧ください。

左側には1万7000ドン(約100円)の白い定番ビール、333(バーバーバー)。その右隣に、庶民に親しまれるベトナムの生ビール「ビアホイ」を冠した黄色の人気商品ビアホイハノイが並んでいます。このビアはフランス語由来です。価格は2万1000ドン(約125円)。
そして一番右側が、333の倍近い3万2000ドン(約190円)の黒ビール Đại Việt 。漢字由来の言葉で、かつての国号である「大越」を名乗っています。
比較的安価な定番商品ではベトナム固有語やフランス語が使われ、格(値段)が一段上がる商品には、1000年以上前に入ってきた漢字由来の言葉が呼び出されているのです。
他にもスーパーの棚で、商品の格や由緒を語る言葉を拾ってみると、漢字由来の言葉が結構ありました。
cao cấp :高級(カオカップ)
gia truyền :家伝(ザーチュイエン)
truyền thống:伝統(チュイエントン)
đặc sản :特産(ダックサン)
bổ dưỡng :補養(ボーズオン)
これらを読むことはさすがにできませんが、実はことごとく漢字から来ているのです。
即席麺の例を見てみましょう。複合企業マサン・グループ傘下で食品製造を手がけるマサン・コンシューマー・コーポレーションの袋フォーには gia truyền(家伝)と truyền thống(伝統)の文字が刷られ、ハノイの老舗フォー店の印まで付いています。一袋9200ドン(約55円)の現代の商品が家伝を名乗っているのです。

格や由緒を示す言葉だけではありません。ハノイで買った、200円ほどの小さな瓶飲料。ツバメの巣と冬虫夏草を配合したドリンクをご覧ください。

ラベルの中央には bổ dưỡng(補養)と書かれています。栄養がある、ではなく足りないものを補うという意味ですね。このような特別な効果を示す時も、漢字由来の言葉が使われています。
スーパーでは似たようなドリンクのギフト箱が棚一面を埋め、見舞い用に、子供用に、目上の人への贈り物に、テト(旧正月)の手土産にと売られていました。上位品は一箱30万ドン前後(約1800円)。日常の一本から贈答用まで、幅広くラインナップされていました。
沈んだ漢字圏
ここまで見てくると、難解なベトナム語に親近感というか日本語との共通点を感じます。実は、推計に幅はあるもののベトナム語の言葉は4割から6割ほどが漢字由来の「漢越語」とされます。
現代では漢字は使われなくなりましたが、音と意味は日々の言葉の中に残ったんです。しかもその音の中核は、1000年以上前、唐代前後の中国語を写したもので、日本語の音読みと同じ親を持ついわば兄弟だといえます。ダックビエットが「トクベツ(特別)」に聞こえたのは、偶然ではなかったわけです。
おいしい、冷たいといった「感覚の言葉」はベトナム固有語が受け持ち、特別、高級、伝統といった「格の言葉」は漢越語が受け持っています。
さっきの袋フォーの裏書きが良い見本で、澄んだスープやショウガ風味といった味覚を刺激するような「舌の言葉」は固有語で、香味のような格調の高い言葉は漢越語で書かれていました。一つの説明文の中でも、きれいに住み分けています。
つまり、値札の金額を正当化しようとする時、漢越語が呼び出されるのです。私はこれを「沈んだ漢字圏」と呼んでいます。
沈んだといっても、衰退の話ではありません。水面の上からは見えなくなっただけで、水面の下では今も現役で働いている、という意味合いです。
街中やお寺では漢字をよく見かけますが、現代の多くのベトナムの人は、日常的には読みません。意味を読む文字というより、歴史や格をまとった意匠として受け取られる場面が多いのです。
見える漢字は、読まれない意匠。
見えない漢字は、現役の言葉。
速い表面、遅い深層
棚の表面には、healthy のような売り文句や、true を冠したブランド名など、英語表記も目立ちます。ここだけを見ると、グローバルトレンドがそのまま流れ込んでいるようです。

トレンドの中身は動きが速く、次々と入れ替わっていきます。でも、その速さだけを追いかけると、本質を見誤ることに注意が必要です。沈んだ層は流行とは別の、もっとゆっくりした時間で動いていて、英語の視界には映らないからです。
では、漢字が読めないのに、なぜ漢字由来の言葉が買い物に効くのでしょうか。ベトナムの人たちは漢字を読み取って買っているわけではありません。đặc biệt (特別)もcao cấp(高級)も、彼らにとっては母語の中の、少し改まった響きを持つ言葉です。
私たち日本人も「始める」と「開始する」を無意識に使い分け、「特選」の二文字に語源を考えることなく高級感を覚えます。それと同じことが、ベトナムの売り場でも起きている。響きが格を運ぶから、読めなくても効くのです。ただし日本語と違って、ベトナム語ではこの層が字面に現れません。音の中にだけ残っている。だから、見えないのです。
同じ成分でも、どちらの層の言葉で名乗るかで、並ぶ棚も、値段も、贈答の対象になるかどうかも変わる。速い表面ではアルファベットが語り、その下では、1000年以上前からこの地に息づく沈んだ漢字圏が働いている。ベトナムの売り場は、少なくともこの二層で見る必要があるのです。
そして、この沈んだ層には日本人にとってありがたいねじれがあります。ベトナムの人たちにはもう読めないのに、私たちには読み解きやすいのです。

トレンドの背後に潜むもの
冒頭で、全く読める気がしないと書きました。それは今も変わりません。ただ、言葉の裏に漢字が透けて見えた瞬間、話は別です。
特別、高級、家伝、補養、冬虫夏草。裏にある漢字はどれも日本語でおなじみですから、そこをキーワードに、何が沈んでいるのかの見当がつく。商品に何と名乗らせるか、格の階段をどう積むか、効能をどの言葉で語るか。その設計図を読む手がかりを、日本人は最初から持っているのです(もちろん、翻訳アプリは必須です!)
例えば、売り場の視察なら、値段の高い商品のパッケージに翻訳アプリをかざしてみてください。裏に漢字が透ける言葉と、透けない言葉が、一つのパッケージの中に混ざっているはずです。どの言葉が漢字の層から来ていて、その言葉に何を語らせているのか。それが見えてくると、商品の設計が読めてきます。自社の新商品を出すならその逆です。「どの層の言葉で名乗るか」から、狙う棚と値段を設計できます。
今回は、7月のベトナムの売り場で気付いたことを書きました。ベトナムの棚の下に沈んでいたのは、漢字圏でした。ただ、これはベトナムだけの話ではありません。沈んでいるものが国ごとに違うだけです。
どの国の売り場にも、表面の流行の下に、その国ならではの何かが沈んでいて、いまも棚を動かしている。表面に何が見えるかと、その下に何が沈んでいるか。この連載では、その両方を現場を歩きながら読んでいきます。
田中 良介(たなか・りょうすけ)
合同会社 Beyond Nippon 代表
世界の食品トレンドと異文化理解を軸に食品産業に10年以上携わる。各国の売り場を自ら歩いて得た一次情報と、Culture Map理論を提唱者から直接学び、食の領域へ発展させた独自フレームワーク「Food Culture Map」を掛け合わせ、日本と海外の「伝わり方のズレ」を立体的に読み解く。食品企業の商品開発・海外展開における実務支援に取り組む。FABEX、Anugaなど、国内外の主要食品展示会での講演実績を持つ。
