メインコンテンツへスキップ
見出し画像

バックパッカー愛した旅の宿 今や夜のネオン街

    【連載】アジア人は今 第4回

    ジャーナリスト
    室橋 裕和

    インターネットの発達とスマホの普及によって、バックパッカーの旅は大きく変わった。その日暮らしのように気ままに旅する人はめっきり減って、ホテルも交通も事前予約が当たり前。特定の場所に行かなくても情報は集まるから安宿街は廃れ、現地の人々や旅行者同士の交流も少なくなった。その分、旅はイージーに、快適になった。そして若い世代の旅のスタイルもまた、変化を見せているようだ。


    僕はクタクタに疲れ果てていた。
     
    インド北部の聖地バラナシの炎天下を荷物を背負ったまま、既に1時間以上もうろうろ迷い歩いている。予約したホテルが見つからないのだ。
     
    ホテル予約サイト「booking.com」(通称ブッキングコム)に示された住所に行ってみてもそんな建物はなく、電話しても誰も出ず、近隣の人たちに聞き回ったが誰一人そんなホテルは知らず。汗だくだくになってさまよった結果「これはサギである」と、ようやく気付いた。
     
    そういえば、そんなニュースを見たことがあった。
     
    良さげな写真と手頃な値段を予約サイトに掲載して客を釣る。クレカ払いで返金手続きがややこしいからと泣き寝入りする人もいるだろう。結構な実入りになるのかもしれないが、そんなの悔しい。
     
    僕はブッキングコムにクレームのメールを入れまくり、カスタマーサービスのうんざりするほど遅いレスポンスにイラつきながらも、およそ10日後にカード決済の取り消しにこぎつけた。問題の物件はブッキングコムのサイトから削除された。

    画像
    インドの街角では外国人旅行者向けのSIMカード屋台が(筆者提供)

    かつての僕であれば、ホテルなんぞは予約するものではなく、飛び込みで泊まるのが常だった。
     
    ドミトリーを渡り歩いていたバックパッカー時代から、多少はまともな宿に泊まるようになった近年まで、そのスタイルは変わることがなかった。取材で訪れる場合は別として、宿の予約に縛られる旅をしたくなかったからだ。
     
    ところが、ネットとスマホが途上国でも普及した今、予約がないとボロい安宿ですら受付で怪訝(けげん)な顔をされることがある。
     
    予約サイトや自社ホームページ経由で部屋の空き状況を管理していて、イレギュラーなウオークイン(予約のない飛び込み客)は事務処理が面倒なのだろうか、とも思ったりする。
     
    バンコクでは、飛び込みで入った800バーツ(約3650円)程度の中級宿で「えっ、予約がない!? うーん。部屋は空いているんで泊まれますが、スマホからネット予約した方が安いですよ」なんてスタッフに言われた。既にフロントにいるのに「agoda」(アゴダ。予約サイト)で予約を入れてチェックインしたはいいが(確かに100バーツほど安かった)、何だか腑に落ちない気分だったこともある。

    画像
    インドも鉄道のオンライン予約はできるが、手続きが面倒なのでこういう店はまだ健在(筆者提供)

    夜は人混みと大音響
    安宿街がネオン街に

    旅はネットによって大きく変わった。手元のスマホによって予約できるようになったのは宿だけではない。航空券はもちろん、国にもよるがバスや列車、それにビザもオンライン申請が増えている。
     
    となると、機能を喪失しつつあるのが、各国にある安宿街だ。
     
    タイのカオサン通り、コルカタ(東インド)のサダルストリート、ホーチミン(南ベトナム)のデタム・・・安宿と旅行会社が密集し、両替屋や安食堂などが並ぶ「バックパッカーの基地」ともいえる存在は今、急速に姿を変えつつある。

    画像
    2004年、タイ・バンコクのカオサン通り。世界最大の安宿街と呼ばれていた時代(筆者提供)
    画像
    2025年、昼のカオサン通り。看板は規制されてなくなり、道は石畳に。昼は閑散としている(筆者提供)

    こうした場所に行かなくてもチケットは買えるし、ビザは取れるし、旅の情報は集まる。安宿街だけでなくとも、あちこちに自分の求める条件に合った宿が予約サイトから見つかる。だから、わざわざ安宿街に行く人が減っているのだ。商売が成り立たなくなって閉業した旅行会社も多い。
     
    その代わりに、カオサンやデタムあたりで増えているのはバーだ。夜になると大音響を轟かせ、女子が客を引き、外国人旅行者を誘う。自国の若者たちが遊びに来る場所にもなって久しいが、安宿街の歓楽街化はますます進んでいる。

    【動画】2024年のカオサン通り。夜になると、この騒々しさ。
    もう泊まる場所ではない(筆者提供)

    画像
    2024年、ベトナム・ホーチミンのデタム。のんびりした下町の中に安宿が点在していた街も、今やこの状態(筆者提供)

    まだ昔の趣を残しているのは、古くから地元の人々のためのホテル街だったデリーのパハールガンジや、コルカタのサダルストリートくらいだろうか。だが、サダルでもバックパッカーの姿はほとんどなく、かつて日本人のたまり場だった極めつけの安宿「パラゴン」や「マリア」もすっかり寂れた。
     
    バックパッカーの代わりに増えたのは、行商のバングラデシュ人。近くにある巨大市場ニューマーケット(日本人が怪しげな店に連れて行かれ、だまされる定番スポットだった)で服やら靴やらを大量に仕入れて母国で売るらしい。
     
    カトマンズ(ネパール)のタメル地区はまだ往時のたたずまいを残しているが、ここでもインド人の観光客向けの飲み屋がずいぶん増えたなと感じた。
     
    1990年代はたくさんあった日本食(もどき)の食堂や、日本語を掲げた旅行会社はほとんど消え、代わりに中華料理や韓国料理の店が点在する。日本人バックパッカーはどこに行っても本当に少なくなったと実感する。ホテルの客引きも「ニーハオ」と声をかけてきたりする。

    画像
    ネパール・カトマンズのタメルは、今でも安宿街らしい安宿街のままだ(筆者提供)

    客引きが激減
    スリルも半減

    そもそも、客引きという存在自体がずいぶんと減ったように思うのだ。宿は、たいていの旅行者が予約済みだから彼らの仕事はもはや必要がない。
     
    途上国では、しつこくつきまとってくるタクシーの運転手との値段交渉バトルも旅の醍醐味(だいごみ)だったりしたが、今やタクシーだけでなくオートリキシャとかバイクタクシーまで配車アプリで呼べる。ぼったくられる心配がなくなった代わりに、スリリングでそれなりに面白さのあったやりとりも消えた。
     
    それに、現地の人々も自分のスマホに目を落としてばかりで、旅行者をあまり構ってくれなくなったようにも思う。僕だって、道に迷ったら人に聞くよりもついグーグルマップを開いてしまう。旅先で人とコミュニケーションしなくなっている。

    画像
    インド・コルカタのサダル・ストリートは、30年前とあまり変わっていない。ただ外国人旅行者は減った(筆者提供)

    何となく寂しさを感じつつ、ニューデリー駅前を歩いてきた時のことだ。
     
    「コニチワ! ニホンジン? どこ行くの?」
     
    なかなか流ちょうな日本語じゃないか。軽く話してみれば案の定「お前の予約しているホテルはつぶれた」「デリーの次はどこに行くんだ。いい旅行会社を知っているから紹介しよう」とか何とか畳みかけてきて、嬉しくなってしまった。
     
    僕がインドを初めて旅した、30年ほど前と全く同じ場所、同じ手口で、カモを探すサギ師が健在なのだ。断り切れずにいると、強引にそこらの怪しい事務所に連れ込まれ、カシミール1週間2000ドルのツアーとかを勝手に組まれるというやつだ。
     
    目の前でインチキ臭い日本語を連発している彼はどう見ても20代だから、きっと父から子へとビジネスが受け継がれたのだろう。
     
    「これはもう無形文化財に指定すべきではないか」とも思ったが、どれほど情報がはん濫し、デリー駅前の伝統的サギ師集団の危険性がSNSで拡散されようと、相変わらず引っかかる日本人旅行者がいることをまた示してもいる。
     
    近くのパハールガンジで日本人旅行者を助け続けて30年、老舗の旅行会社「シゲタトラベル」の社長ラジェンダ・バトラさんは「今でもだまされたと駆け込んでくる日本人が毎日のようにいますよ」と語る。
     
    そのシゲタトラベルも時代に合わせて少しずつ業態を変え、激減した日本人バックパッカーではなく、インドに進出してきた日系企業のアテンドやインド人観光客の日本への送り出しなどを中心に手がけているそうだ。

    画像
    インド・デリーのパハ―ルガンジは、今も昔も外国人狙いの悪人の巣窟(筆者提供)

    快適、清潔、安全
    現代のドミトリー

    ネットの発達によって、誰とコミュニケーションすることもなく旅が進み、気楽さの一方で味気なさを感じるのは僕が歳を取ったせいだろう。
     
    ネットがなかった時代は、現地の人たちや同じ旅行者たちと話し、どこにいい宿があるか、居心地のいい街やそこへの交通手段、ビザが安く取れる領事館の話、うまくて安い飯処(めしどころ)や治安・・・そんなことを聞き歩き、手探りで進んでいくような旅をしていた。
     
    世界各地の安宿や日本食(もどき)レストランに置かれていた「情報ノート」には、バックパッカーたちの記した、よもやま話からマニアックな地域への行き方までが満載で、時にガイドブックよりも頼りになった。
     
    リアルタイムで触れるニュースは、たまに安宿街の欧米人バックパッカー向けレストランあたりで見る英BBCや米CNNのテレビ放送、それに地元の英字新聞くらい。日本で今、何が起きているのかもサッパリ分からない。SNSで寂しさを埋めることもできない。情報がわずかばかりの異国で、たったひとり。
     
    でも、それが良かったのだ。
     
    不安と心細さを抱えて一人で旅をしていると、自分がちょっとだけかもしれないが成長していく、確かな手ごたえを感じられた。
     
    何て当時を思い返し、ハア~あの頃は楽しかったなあ・・・と同年代の元旅人たちとグチり合うくせに、僕自身すっかりスマホがないと旅ができないカラダになってしまっている。
     
    絶対にWi-Fi(ワイファイ)のある宿に泊まり、旅の様子を毎日SNSにアップする。宿や交通を事前に確保できていれば旅がスイスイ進むので、やっぱり楽なのである。時には冒頭のような新手のトラブルに引っかかることもあるが・・・。

    画像
    こういう日本語の看板も昔はあちこちにあったが・・・カトマンズのタメルにて(筆者提供)

    途上国でも経済成長が続いたことで、旅はさらに快適になった。道路インフラが少しずつ整い、河原みたいなガタガタ道をおんぼろのバスで十数時間・・・みたいな目にはあまり遭わなくなった。地元の人々も旅行というレジャーを楽しむようになったので、ホテルはきれいなものが増えた。
     
    ドミトリーなんてずいぶんと進化した。
     
    昔は病院の大部屋というか刑務所の雑居房というか、プライバシーも何もなくただベッドを並べただけの殺風景な場所に男女かまわず詰め込まれたものだが、今は様変わりした。
     
    エアコンやWi-Fi完備、各ベッドにはカーテン、電灯、電源、USBなどがそろい、個人用の鍵付きロッカーもある。もちろん男女別だ。共用シャワーやトイレは清潔で、おしゃれなたたずまいのロビーでは旅行者同士が談笑している。
     
    世界的な物価高もあって、こうしたドミトリーは近年むしろ需要を増している。昔のように「安かろう、悪かろう」ではなく、そこそこの値段だがその分きれいで快適だ(※タイで300~500バーツくらい。1990~2000年代は100バーツ以下のドミも多かった)。
    ※1バーツ=約4.5円

    画像
    現代のドミトリーは清潔でエアコン付き、男女別、個別の電源は当たり前(筆者提供)

    旅する目的はっきり
    「ちゃんとした」若者

    しかし、そういう宿でも泊まっているのは欧米人や中国人、韓国人ばかりで、日本人の姿は少ない。とりわけ若い人を見なくなった。日本の世相が内向きになったからとも、円安のためだともいわれる。
     
    それでもたまに出会う若い日本人旅行者は、何というかすごく「ちゃんとしている」のである。
     
    90年代の日本人バックパッカー全盛期。思えば僕たちは目的もなくさまよい、安宿街でダベり、そこらの子供たちと遊んで、無為な日々を過ごしていた。
     
    しかし今の若者は、例えばどこそこの料理を食べるとか、語学やヨガを習うとか、ある地域の祭りを見に行くとか、とにかく目的がはっきりしている。あるいは、旅した経験を就職活動で話すため、という人も多い。
     
    そしてキッチリ予定を立て、ダラダラすることなく前へ進んでいく。その姿を見て、僕たちはなんと怠惰だったのだろうと、今さらながら恥ずかしくなる。一方で、時には立ち止まって、何かを得ようと躍起にならず、ゆっくり辺りを見渡す時間も必要じゃないかな、と思ったりもする。
     
    旅の姿はネットによって大きく変わった。しかし人間の好奇心は、知らない場所に行きたい、という気持ちはきっと太古から変わらない。今は少し元気をなくしている日本人も、やがてまた世界を歩きだすはずだ。

    画像
    タイ・タオ島に向かう船が出る桟橋。欧米人バックパッカーはたくさんいるが、日本人は皆無(筆者提供)

    室橋 裕和(むろはし・ひろかず)
    ジャーナリスト
    1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイおよび周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のジャーナリスト、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。
    現在は日本最大の多国籍タウン、新大久保に在住。外国人コミュニティーと密接に関わりあいながら取材活動を続けている。「外国人コミュニティーから見る多文化共生の実情や課題」といったテーマで、大学やメディア、トークイベントなどの講演多数。武蔵野大学非常勤講師。新大久保など多国籍タウンの街歩きフィールドワークも行う。
    著書に『カレー移民の謎』(集英社新書)、『ルポ新大久保』(角川書店)、『エスニック国道354号線』、(新潮社)『日本の異国』(晶文社)など。

    画像

    公式サイト https://murohashi.jp/
    X     https://x.com/muro_asia


    【連載バックナンバー】
    ■3 タイ物価高が暮らし直撃 駐在員もゴルフやめて魚釣り
    ■2 モディ首相のお膝元 インド発展エリアの気安い人々
    ■1 不変のインドが変わる 聖地のお祭り騒ぎ


     
    ■アジアの仕事に使える ■アジアの渡航に役立つ ■アジアの今がよく分かる 共同通信グループでアジア経済・ビジネス情報を配信する、株式会社NNAのウェブマガジン。 業務や渡航、暮らしや趣味に役立つ話題で、アジアに関わるあなたを支えます。