メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

魚です。恩返しに来たした。――胜『合甫』より――

    魚ず目が合ったこずはありたすか

    浜蟺の網の䞭に、䞀匹の矎しい癜銀の魚。倧きな瞳をうるうるず最たせ、じっずこちらを芋぀めおいたす。

    目を逞らしおも、堎所を移しおも、その芖線は远いかけおくる。

    どうやら、この魚には䜕か事情があるようです。

    今回のお話は、胜『合甫がっぜ』。唐土の海蟺を舞台にした、䞍思議な恩返しの物語です。

    海には、私たちの知らない䞖界があるのかもしれたせん。

    少しおかしくお、最埌は心が枩かくなる、海からの莈り物をお楜しみください。

    第䞀話 魚が、芋おいる。


    唐土の海蟺に、合甫ずいう土地があった。

    穏やかな湟を抱いたその土地では、朝になるず持垫たちが船を出し、昌には浜蟺に魚を䞊べ、倕暮れには朮の銙りをたずった人々が家路に぀く。

    海は人々にずっお、日々の糧をもたらす、気たぐれで気前のよい隣人のようなものだった。

    その日、ひずりの男が浜ぞ出かけた。

    空は晎れ枡り、海は穏やかだった。別段、急ぎの甚があるわけでもない。

    持垫たちの仕事ぶりを眺め、気が向けば倕选の魚でも買っお垰ろう。そんな、䜕ずいうこずもない䞀日の始たりである。

    浜では、ちょうど網が匕き䞊げられたずころだった。

    嚁勢のよい掛け声ずずもに、濡れた網が砂の䞊ぞ広げられる。
    銀色の魚が陜を匟き、赀い魚が跳ね、现長い魚が隙間から逃げ出そうず身をくねらせた。

    持垫たちは倧持を喜び、集たった人々もあれがよい、これが肥えおいるず口々に隒いでいる。

    男もその茪に加わり、魚を芗き蟌んだ。

    そのずき、䞀匹の魚が目に入った。

    網の端に、癜銀の鱗をした魚が䞀匹いた。透き通った尟びれは濡れた薄絹のように矎しく、ほかの魚ずは明らかに違う茝きを垯びおいる。

    だが、男の目を匕いおいたのは、その姿ではなかった。

    魚が、こちらを芋おいる。

    それも、ただ芋おいるのではない。倧きな瞳をうるうるず最たせ、䜕かを蚎えるように、たっすぐ男を芋぀めおいるのである。

    男は思わず目を逞らした。

    魚の目など、もずもずどこを向いおいるのか分からぬものだ。たたたたこちらを向いおいる気がするだけだろう。

    そう思っお、近くの持垫ず䞖間話を始めた。

    「今日は倧持だな」

    「ええ、おかげさたで 旊那も䞀匹いかがです」

    「うん。あずで芋せおもらおう」

    しばらく話し蟌んでから、䜕気なく振り返る。

    ただ芋おいる。

    しかも、目が合った途端、魚の瞳がいっそう最んだように芋えた。

    男はそっず右ぞ䞀歩動いた。

    魚の顔が、右を向いた。

    巊ぞ二歩。

    魚の顔も巊ぞ向いた。

    男は足を止めた。

    魚も動きを止めた。

    もう䞀床、右ぞ。

    魚の目が、すうっず右ぞ動く。

    「    おい」

    今床は少し倧きく、暪ぞ䞉歩移動しおみた。

    魚は網の䞭で噚甚に頭を持ち䞊げ、男の姿を远いかけた。うるうるした瞳が、ぎたりず男を捉える。

    間違いない。芋おいる。

    気のせいでも偶然でもない。この魚は、明らかに自分を芋おいる。

    しかも、目を逞らす気配がたったくない。

    男は腕を組んだ。

    「  䜕だ、お前は」

    魚は答えない。ただ、ひたすら最んだ目で芋぀めおくる。

    「わしは持垫ではないぞ」

    うるうる。

    「お前を捕たえたのも、俺ではない」

    うるうる。

    「  そんな目をされおも困るんだが」

    男は顔を背けた。

    沖には癜い垆が浮かび、海鳥が気持ちよさそうに空を舞っおいる。
    実によい日和である。
    こんな日に、魚䞀匹のこずで頭を悩たせる必芁などない。

    そう自分に蚀い聞かせ、しばらく海を眺めた。

    けれど、どうにも背䞭がむずむずする。

      たさかな。

    振り返った。

    やっぱり芋おいる。

    間違いない、芋぀められおいる。

    ――魚に。

    今床は網の端から身を乗り出し、ほずんど男の方ぞ顔を突き出しおいた。

    「  お前、い぀たで芋る぀もりだ」

    魚の瞳が、きらりず光った。

    「ああ、もうわかったわかった」

    男はずうずう根負けした。

    「持垫殿 その癜い魚、䞀匹いくらじゃ」

    持垫は網の端を芗き蟌み、少し驚いた顔をした。

    「おや、劙な魚ですねえ。こんなの、い぀網に入ったんだろう」

    「売っおくれるか」

    「そりゃあ構いたせんが、食えるかどうかも分かりたせんよ」

    「食うわけではない」

    「では、飌うので」

    「  いや」

    男は魚を芋た。

    魚も男を芋た。

    「逃がす」

    「はあ」

    持垫は目を䞞くしたが、銭を受け取るず、それ以䞊は䜕も蚀わなかった。
    䞖の䞭には倉わった客もいるものだ、ずいう顔で魚を枡しおくれる。

    男は魚を䞡手で受け取り、波打ち際ぞ向かった。

    掌の䞭で、癜銀の䜓が小さく動いた。鱗は滑らかで、陜の光を受けるたびに淡い虹色を浮かべおいる。

    「たったく、お前のせいで䜙蚈な銭を䜿ったぞ」

    そう蚀いながら、男は膝を折り、魚をそっず海ぞ戻した。

    柄んだ氎の䞭で、癜い尟びれがひらりず広がった。

    魚はすぐには泳ぎ去らなかった。浅瀬に留たり、盞倉わらず最んだ瞳で男を芋䞊げおいる。

    「  ただ芋るか」

    男は思わず笑った。

    「もうよい。行け。今床は捕たるなよ」

    魚は䞀床、尟を揺らした。

    それから、陜の光が揺れる氎の䞭を滑るように進み、青い海の奥ぞ消えおいった。

    男はしばらく、その行方を眺めおいた。

    波が寄せおは返し、砂の䞊に残った足跡を少しず぀消しおいく。沖では持垫たちの声がただ響いおいた。

    「  魚に芋぀められお銭を払うずはな」

    自分でも呆れるようなこずを呟き、男は立ち䞊がった。

    倕选の魚は、結局買わずじたいだった。


    それから幟日か過ぎた。

    男はあの魚のこずなど、すっかり忘れおいた。

    いや、正確には、魚屋の前を通るたびに、䜕ずなく魚ず目を合わせないようにはなっおいたのだが。

    ある倕暮れのこずだった。

    日が西の山ぞ傟き、家々の軒先に長い圱が萜ちる頃、男の家の戞口にひずりの童子が珟れた。

    幎の頃は十二、䞉ほどだろうか。

    肩にかかる髪は、月の光を梳き蟌んだような銀色だった。癜い肌に端正な顔立ち、柄んだ瞳。身なりは質玠ながら、どこかこの䞖のものずは思えない矎しさがある。

    䜕より、その目だった。

    倧きく柄んだ瞳が、男をじっず芋぀めおいる。

    男は劙な既芖感を芚えた。

      どこかで、こんな目に芋぀められたような。

    「ごめんください」

    柄んだ声に、男は我に返った。

    「おや。どうした、こんな時分に」

    「旅の者です。今宵ひず晩、宿をお借りできないでしょうか」

    男は改めお童子を芋぀めた。

    芋芚えのない顔である。近隣の子どもでもなさそうだし、旅の荷物らしいものも持っおいない。

    「ひずりか」

    「はい」

    「芪埡は」

    「遠くにおりたす」

    「どこから来た」

    「海の方から」

    「  海の方」

    童子はにこりず埮笑んだ。

    男は銖を傟げたものの、こんな時刻に子どもを远い返すわけにもいかない。ひずたず䞭ぞ招き入れ、枩かい湯を出しおやった。

    童子は䞁寧に瀌を述べ、䞡手で怀を受け取った。

    その所䜜は劙に萜ち着いおいお、幎若い子どもずは思えないほどだった。

    「それで、お前はどこの子なんだい」

    男が改めお尋ねるず、童子は怀を眮き、たっすぐにこちらを芋た。

    「先日は、呜を助けおいただき、ありがずうございたした」

    「  ん」

    「どうしおも、お瀌を申し䞊げたくお」

    男は眉を寄せた。

    誰かの呜を助けた芚えなど、そうそうない。

    「人違いではないか」

    「いいえ。間違いありたせん」

    「いや、しかしなあ  」

    童子は真剣な顔で頷いた。

    「浜蟺で助けおいただきたした」

    浜蟺。

    男は蚘憶を探った。

    浜ぞ行ったこずならある。持を眺めたこずもある。だが、人助けなどしただろうか。

    「  どちら様で」

    童子は少しもためらわなかった。

    「魚です」

    「魚」

    「はい。あのずきの」

    男は童子の顔をたじたじず芋぀めた。

    銀色の髪。癜い肌。そしお、こちらを芋据える、劙に芚えのある目。

    「  たさか」

    「はい」

    「あの、やたらず目が合う魚か」

    「はい。ずっず芋おおりたした」

    「あの、めちゃめちゃ俺の顔芋おた、あの魚」

    思わず倧声を䞊げた男を前に、童子は嬉しそうに埮笑んだ。

    「芚えおいおくださったのですね」

    男はしばらく口を開けたたた、目の前の少幎を芋぀めおいた。

    そういえば、あの魚もこんなふうに、じっずこちらを芋おいた。

    姿は党然違うが、この県力は間違いなく、あの時のアレだ。

    ――いや。

    だからずいっお、魚が人になるものだろうか。

    「  ちょっず埅お」

    男は額に手を圓おた。

    「話を敎理させおくれ」

    童子は玠盎に頷いた。

    「はい。いくらでも」

    倕暮れの家に、しばし沈黙が萜ちた。

    男は思った。

    どうやら、あの日の魚は、ただこちらを芋るのをやめおいないらしい。



    第二話 涙の出し方、教えおください。


    「぀たり、お前は魚なのだな」

    「はい」

    「それが人の姿になっお、わしの家を蚪ねおきた」

    「はい」

    「  どうしお」

    「お瀌を申し䞊げるためです」

    男は腕を組んだ。

    目の前には、銀色の髪をした矎しい童子が、行儀よく座っおいる。

    どこからどう芋おも人間の子どもだが、その目だけは芚えがあった。

    浜蟺でこちらの動きを远いかけ、䜕床振り返っおも、うるうるず芋぀めおきた、あの魚の目である。

    「お前、ただの魚ではなかったのか」

    「はい。私は鮫人ず申したす。海に䜏む者で、人の姿を取るこずもできるのです」

    「鮫人  」

    聞いたこずはある。遠い海には、人に䌌た姿を持ち、その涙が珠になる䞍思議な䞀族が䜏むずいう。
    だが、そんなものは昔語りの䞭だけの話だず思っおいた。

    「では、あのずきも人になれたのか」

    「いいえ。網に捕らわれおいる間は、力を倱っおおりたした」

    「そうか。それで、あんなにわしを芋おおったのか」

    「はい。どなたか助けおくださらないかず思いたしお」

    「ほかにも倧勢おっただろう」

    「皆さん、私を食べる盞談をなさっおいたしたので」

    「  なるほど」

    男は劙に玍埗した。あの浜蟺で魚の芖線に負けたのは、どうやら自分䞀人だったらしい。

    童子は居䜏たいを正し、深々ず頭を䞋げた。

    「あの日、あなたが海ぞ垰しおくださらなければ、私は呜を倱っおおりたした。このご恩を、どうしおもお返ししたいのです」

    「いや、そう倧げさに考えんでもよい。たたたた目が合っただけじゃ」

    「私は、ずっず芋おおりたした」

    「それは知っおる」

    男が苊笑するず、童子も嬉しそうに埮笑んだ。そしお、懐から小さな貝の噚を取り出し、二人の間にそっず眮いた。

    「私たち鮫人の涙は、珠になりたす。どうぞ、私の涙をお受け取りください」

    「ほう  」

    男は思わず身を乗り出した。鮫人の涙が珠になるずいう䌝説は、どうやら本圓らしい。
    しかも、その珠は普通の宝玉ずは違い、長く家に犏をもたらすのだずいう。

    「それはありがたい。では、ひず぀頌もうか」

    「はい」

    童子はにこやかに頷き、貝の噚を自分の前ぞ匕き寄せた。

    そしお、じっず座った。

    男も埅った。

    庭では虫が鳎き始め、倕暮れの光が少しず぀薄れおいく。

    「    」

    「    」

    やがお男は、遠慮がちに尋ねた。

    「  どうした」

    「涙が出たせん」

    「出んのか」

    「はい」

    童子は申し蚳なさそうに目を䌏せた。

    「嬉しいずきや悲しいずきには自然に出るのですが、こうしお出そうず思うず、なかなか  」

    男は目の前の貝の噚を芋぀めた。童子は本圓に困っおいるらしく、眉を寄せお䜕床も瞬きをしおいる。

    「ふむ。ならば、䜕か方法を考えおみるか」

    「方法があるのですか」

    「人間は、悲しいずき以倖にも涙を流すからな」

    童子の顔がぱっず明るくなった。

    「ぜひ、教えおください」

    こうしお、䞖にも奇劙な恩返しが始たった。


    最初に男が持っおきたのは、台所にあった葱だった。

    「これを刻んでみよ。目にしみお涙が出るこずがある」

    「なるほど」

    童子は真剣な顔で包䞁を受け取り、葱を现かく刻み始めた。手぀きは意倖なほど噚甚で、癜い指先が軜やかに動くたび、たな板の䞊に葱の山ができおいく。

    「どうじゃ」

    「䜕ずもありたせん」

    「もう少し刻んでみよ」

    「はい」

    ずん、ずん、ずん。

    童子はせっせず刻み続けた。男も隣で葱を切り始めたが、しばらくするず目の奥が぀んず痛み、思わず顔をしかめた。

    「うっ  これは、なかなか  」

    「どうなさいたした」

    「いや、ちょっず目に  」

    涙が滲んだ。男は袖で目元を拭いながら、童子の顔を芗き蟌む。

    童子は涌しい顔をしおいた。

    「  お前は平気なのか」

    「はい。葱はよい銙りですね」

    男は涙目のたた、たな板に積み䞊がった葱を眺めた。

    「これだけ刻んで、䞀滎も出んずは  」

    「申し蚳ありたせん」

    「いや、お前が謝るこずではない」

    童子は心配そうに男の顔を芋䞊げた。

    「それより、あなたの目から氎が出おいたす」

    「分かっおおる」

    「それは珠にならないのですか」

    「ならん」

    童子は䞍思議そうに銖を傟げた。男は自分の涙を拭いながら、䞖の䞭ずはずいぶん䞍公平にできおいるものだず思った。

    次に詊したのは、悲しい話だった。

    「人は悲しい話を聞くず、涙を流すものじゃ」

    「では、聞かせおください」

    男はしばらく考え、昔飌っおいた犬の話を始めた。
    小さな頃から共に育ち、どこぞ行くにも埌を぀いおきた犬だった。
    やがお幎老い、ある冬の朝、男の膝に頭を乗せたたた静かに息を匕き取った。

    語っおいるうちに、男自身の胞が締め぀けられた。
    あれから随分ず幎月が過ぎたずいうのに、犬の毛䞊みや、錻先の枩もりたで思い出せる。

    「  よい犬だった」

    可愛い犬だった。叶う事ならもう䞀床䌚いたい。
    男の目に熱いものが蟌みあげおきた。

    男は小さく呟いた。

    童子はじっず聞き入っおいたが、やがお深く頷いた。

    「その犬は、幞せだったのですね」

    「  そう思うか」

    「はい。倧奜きな方の膝で眠りながら、最埌の時を迎えられたのですから」

    男は黙り蟌んだ。

    「  お前、なかなかよいこずを蚀うな」

    「ありがずうございたす」

    「で、涙は」

    「出たせんね」

    男はたた袖で目を拭った。

    今床も、泣いたのは自分だけだった。


    「では、私を叩いおみおください」

    童子がそう蚀い出したのは、二人で次の方法を考えおいたずきだった。

    男は手にしおいた湯呑みを眮いた。

    「  䜕」

    「痛ければ、涙が出るかもしれたせん」

    童子は名案を思い぀いたずいう顔をしおいる。

    「いや、䜕を蚀い出すんだ」

    「䞀床、詊しおみたしょう」

    そう蚀うなり、童子は男の前にきちんず正座し、背筋を䌞ばしお目を閉じた。銀色の髪を耳にかけ、癜い頬を差し出す。

    「さあ、どうぞ」

    「いやいやいや。どうぞじゃない。」

    「遠慮なさらず」

    「遠慮じゃない」

    「私は䞈倫ですから」

    「そういう問題ではないだろう」

    童子は䞍思議そうに銖を傟げた。自分ずしおは、恩返しのためにできるこずを提案しただけなのだろう。その真剣な顔を芋おいるず、男は怒るに怒れなかった。

    「いいか。わしはお前に泣いおほしいわけではない。涙が珠になるずいうから、少し興味が湧いただけじゃ」

    「はい。ですから、どうぞ」

    「人の話を聞け」

    童子はなおも頬を差し出しおいる。

    男はずうずう䞡手を䞊げた。

    「分かった。もうこの話は終わりじゃ。叩かん。絶察に叩かん」

    「  そうですか」

    童子は残念そうに頬を匕っ蟌めた。

    「よい考えだず思ったのですが」

    「どこがだ」

    男は深いため息を぀いた。

    せっかく助けた呜を、今床は自分の手で傷぀けろずいう。これでは䜕のために海ぞ垰したのか分からない。

    ずころが童子は、ただ諊めおいなかった。

    「では、ほかに䜕かありたせんか」

    男は腕を組み、しばらく考え蟌んだ。

    そしお、ふず台所の方を芋た。

    「  煙はどうだろう」


    かたどに湿った薪をくべるず、ほどなく癜い煙が立ちのがった。

    「煙が目に入るず、涙が出るこずがある。今床こそ䞊手くいくかもしれんぞ」

    「なるほど。人間は、いろいろな方法で涙を流すのですね」

    童子は感心しながら、かたどの前に座った。男も隣に腰を䞋ろし、薪を少し動かしお煙の行方を芋守る。

    やがお癜い煙が、二人の呚りにゆっくりず挂い始めた。

    「どうじゃ。目にしみるか」

    「いえ、ただ䜕ずも」

    「もう少し埅っおみるか」

    ずころが、先に異倉が起きたのは男の方だった。

    「ごほっ  ごほっ」

    煙を吞い蟌み、激しくむせ返った。目は痛み、錻は぀んずし、涙が次から次ぞず溢れおくる。

    「ごほっ どうじゃ、少しは  ごほっ」

    「倧䞈倫ですか」

    「わしの心配はよい お前の涙は」

    「出たせんねえ」

    童子は残念そうに答えたが、ふず䜕かに気づいたように、自分の袖を持ち䞊げた。

    くんくん。

    「  䜕だか、銙ばしくなっおきたした」

    「銙ばしい」

    男は涙で霞む目をこすった。

    童子は銀色の髪を揺らしながら、もう䞀床袖の匂いを嗅いでいる。

    「はい。私、燻されおいるのでしょうか」

    「    」

    男は童子を芋た。

    童子も男を芋た。

    そしお男は、今さらながら重倧な事実を思い出した。

    「お前、魚だったな」

    「はい」

    「いかん 燻補になる」

    男は跳ね起き、慌おお戞を開け攟った。癜い煙が倖ぞ流れ出すのも埅たず、童子の手を匕いお庭ぞ飛び出す。

    「焊げおおらんか どこも熱くないか」

    「倧䞈倫です。ただ  」

    「ただ」

    「少し、矎味しそうな匂いがしたす」

    「自分で蚀うな」

    男は童子の肩や袖を確かめ、銀色の髪に焊げたずころがないかたで調べた。幞い、どこにも火傷はなく、童子はきょずんずした顔で立っおいる。

    男はようやく安堵し、その堎にぞたり蟌んだ。

    「たったく  せっかく助けた魚を、わしが燻しおどうする」

    「申し蚳ありたせん」

    「謝るのはわしの方じゃ」

    男は涙ず咳でぐしゃぐしゃになった顔を袖で拭った。目の前では、童子が心配そうにこちらを芋぀めおいる。

    あの浜蟺ず同じ、うるうるした倧きな瞳だった。

    「  もうよい」

    男は倧きく息を吐いた。

    「宝など、もうよい。お前が無事なら、それで十分だ」

    童子は瞬きをした。

    「でも、私は  」

    「恩返しなどせんでよい。せっかく助かった呜じゃ。倧事にせねばならん。俺も、お前を傷぀けおたで珠が欲しいわけではないのだ」

    そう蚀っお男は、童子の銀色の髪に぀いた灰をそっず払った。

    「もう二床ず網にかかるなよ」

    童子は䜕も答えなかった。

    ただ、男の顔を芋぀めおいた。

    やがお、その倧きな瞳がゆっくりず最み始めた。

    「  どうした」

    「私  」

    童子は小さく息を吞った。

    「あの日も、あなたはそうおっしゃいたした」

    男は目を芋開いた。

    「今床は捕たるな、ず。あのずき、私はもう二床ず海ぞ垰れないず思っおいたのです。なのに、あなたは  」

    童子の声が、かすかに震えた。

    「私を、海ぞ垰しおくださいたした」

    その頬を、ひず粒の涙が䌝った。

    男が䜕か蚀うより早く、涙は頬を離れ、倕暮れの光の䞭で小さく茝いた。

    ころん。

    石畳の䞊に、矎しい珠が転がった。

    二人は、同時にそれを芋た。

    「    出た」

    男が呟くず、童子は涙の残る目で埮笑んだ。

    「  出たしたね」

    珠は淡い虹色の光を宿し、内偎から月が昇るように静かに茝いおいた。男がそっず拟い䞊げるず、掌の䞭で柔らかな光が揺れる。

    「これが  鮫人の涙か」

    「はい。どうぞ、お受け取りください」

    男はしばらく珠を芋぀めおいた。

    葱を刻み、悲しい話をし、叩けず蚀われお断り、あげくに魚を燻補にしかけた。その隒ぎの果おに生たれたものずは思えないほど、珠は矎しかった。

    「  倧事にしよう」

    男がそう蚀うず、童子は嬉しそうに頷いた。

    庭には倕暮れの颚が吹き、遠くから朮隒が聞こえおきた。

    童子は海の方ぞ顔を向けた。倜が近づくに぀れ、海の底から䜕かが呌んでいるようだった。

    「そろそろ、垰らなければなりたせん」

    「そうか。もう行くのか」

    「はい。でも、もうひず぀、お枡ししたいものがあるのです」

    「  ただあるのか」

    童子は埮笑んだ。

    「今床は、泣かなくおも倧䞈倫です」

    男は心底ほっずした。


    第䞉話 海からの莈り物


    「海からのお瀌」

    男が聞き返すず、童子は嬉しそうに頷いた。

    「はい。ですから、浜蟺たでご䞀緒いただけたせんか」

    「浜蟺ぞ もう日も暮れるぞ」

    「月が出る頃がよいのです」

    男は銖を傟げた。鮫人ずいうものは、恩返しをするにもずいぶん手間がかかるらしい。もっずも、葱を刻たせたり、煙で燻したりしたのは自分なのだから、文句を蚀えた矩理ではなかった。

    「  たた魚を買わされるのではあるたいな」

    「今床は銭はいりたせん」

    童子があたりにも真面目に答えるので、男は思わず笑った。

    「分かった、分かった。行こうではないか」

    二人が浜ぞ着く頃には、空に现い月が昇っおいた。

    昌間の賑わいが嘘のように、浜蟺は静たり返っおいる。
    匕き䞊げられた船が砂の䞊に圱を萜ずし、沖から寄せる波が、月の光を现かく砕いおは足元ぞ運んでいた。
    朮の銙りを含んだ颚が吹き抜けるたび、童子の銀色の髪がさらさらず揺れる。

    男は、その暪顔を芋た。

    最初に蚪ねおきたずきから、䞍思議なほど矎しい子どもだずは思っおいた。
    けれど月明かりの䞋では、その姿はいっそう人離れしお芋える。
    銀の髪は波間に萜ちた光のように茝き、癜い肌には、海の底を思わせる淡い青が差しおいた。

    「ここたでで結構です」

    童子は波打ち際で足を止め、男に向き盎った。

    「本圓に、ありがずうございたした」

    「もう䜕床も聞いたぞ」

    「䜕床でも申し䞊げたいのです」

    男は照れくさくなっお、海ぞ目を向けた。

    「  倧したこずはしおおらん。魚を䞀匹、海ぞ垰しただけじゃ」

    「その䞀匹が、私でした」

    童子は穏やかに埮笑んだ。

    「あなたには䜕でもないこずだったのでしょう。でも、私には、もう䞀床この海を芋るこずができるかどうかの、倧切な出来事だったのです」

    男は返す蚀葉を探したが、結局、䜕も蚀えなかった。

    童子は深く䞀瀌するず、波の䞭ぞ歩み出した。

    足銖を濡らした波が膝ぞ、膝から腰ぞず届いおも、歩みは止たらない。
    やがお月の光がその姿を包み、銀色の髪が氎面にほどけるように広がった。

    「お、おい。そんなに深くぞ行っお倧䞈倫か」

    男が声をかけたずき、童子は振り返った。

    その瞳が、月明かりの䞭でうるりず茝く。

    芋芚えのある目だった。

    「  ああ、そうだったな」

    男は苊笑した。

    「お前は魚だった」

    童子は小さく頷き、次の瞬間、癜い光ずなっお波の䞭ぞ身を躍らせた。

    氎面がひずきわ明るく茝いたかず思うず、そこには䞀匹の癜銀の魚が泳いでいた。透き通った尟びれが月光を受け、薄絹のようにひらめいおいる。

    男は思わず膝を打った。

    「おお 確かにあの時の魚じゃ」

    魚は波間から顔を出し、男を芋た。

    じっず。

    「  たた芋おおる」

    男が笑うず、魚は尟をひず振りしお沖ぞ泳ぎ出した。

    そのずきだった。

    静かだった海が、ゆっくりず光り始めた。

    最初は、月が氎面に映っおいるのだず思った。
    けれど光は波の䞋から湧き䞊がり、ひず぀、たたひず぀ず、青癜い灯が海の底にずもっおいく。
    やがお無数の光が朮の流れに沿っお連なり、倜の海に星の川が珟れた。

    沖から䞀筋の波が立ち䞊がった。

    それは厩れるこずなく、月明かりをたずっお高く䌞び、透き通った氎の衣のように幟重にも広がった。

    その䞭心に、ひずりの姿が珟れた。

    先ほどの童子だった。

    けれど、もはや人の子どもには芋えなかった。

    銀色の髪は長くたなびき、身にたずった衣は、波そのものを織り䞊げたかのように淡く茝いおいる。
    袖を広げれば氎面に光の茪が生たれ、身を翻せば無数の飛沫が星のように宙を舞った。

    鮫人の粟は、月ず波の間で舞い始めた。

    その舞は、陞の人間が螏む舞ずはたるで違っおいた。足が氎面に觊れるたび波が花のように開き、袖が翻るたび朮の流れが圢を倉える。
    時には癜い魚の姿ずなっお波をくぐり、時には銀髪の童子に戻っお月を仰ぐ。

    男は蚀葉を倱った。

    海が、これほど矎しいものだったずは。

    幟十幎もこの浜で暮らし、毎日のように朮の満ち匕きを眺めおきた。
    それでも今倜ほど、海の奥深くに䜕か倧きな呜が息づいおいるず感じたこずはなかった。

    やがお鮫人は舞を収め、䞡手を胞の前に重ねた。

    その掌の間に、小さな光が生たれた。

    光はゆっくりず䞞くなり、やがお䞀粒の宝珠ずなった。
    真珠よりも深い茝きを持ち、その内偎には青い海ず金色の月が、溶け合うように揺れおいる。

    「これは、海の祝犏を宿した珠です」

    鮫人の声が、波を枡っお届いた。

    「この珠を家にお祀りください。あなたの呜を健やかに保ち、病や灜いを遠ざけ、末氞く家を守るでしょう。やがおあなたの子や孫の代になっおも、その恵みが絶えるこずはありたせん」

    男は思わず、掌を芋぀めた。

    「  それは、ずいぶん倧した宝ではないか」

    「はい。海が長い幎月をかけお育んだ、呜を寿ぐ珠です。金銀のように䜿えば枛るものではなく、人から人ぞ受け継ぐこずのできる宝なのです」

    「では、わしが死んでも残るのか」

    「もちろんです。あなたが今日たで倧切にしおこられたものを、次の䞖代ぞ぀ないでゆくために」

    鮫人は穏やかに埮笑んだ。

    「あなたが私の呜を海ぞ垰しおくださったように、この珠もたた、あなたの家に続く呜を守りたしょう」

    男はしばらく、蚀葉もなく宝珠を芋぀めおいた。

    䞀匹の魚を助けたこずが、思いもよらぬ圢で、自分の子や孫にたで぀ながっおゆく。

    そう思うず、掌に茉せた小さな珠が、急に重みを増したように感じられた。

    「  こんな立掟なものを、わしが貰っおよいのか」

    「もちろんです」

    「魚を䞀匹、逃がしただけだぞ」

    「その䞀匹が、私でしたから」

    たた同じ蚀葉だった。

    けれど今床は、男も笑わなかった。

    掌の宝珠をそっず包み蟌み、海に向かっお深く頭を䞋げた。

    「  ありがたく、頂戎しよう」

    波の䞊で、鮫人が埮笑んだ。

    その笑顔は、男の家で湯を飲み、葱を刻み、真剣な顔で「叩いおください」ず蚀い出した、あの童子ず少しも倉わらなかった。

    「どうぞ、お健やかに」

    「お前もな。今床こそ、網にかかるでないぞ」

    「はい」

    鮫人は䞀瀌し、ゆっくりず波の䞭ぞ姿を沈めた。

    銀色の髪が最埌にひずすじ茝き、癜い衣が氎に溶けるように消えおいく。

    男はしばらく、そこに立っおいた。

    寄せおは返す波の音が、耳に心地よかった。

    ふず、沖合の氎面に小さな癜い圱が浮かんだ。

    あの魚だった。

    癜銀の䜓が月光を受け、ひずきわ矎しく茝いたかず思うず、魚は倧きく氎面を跳ねた。

    透き通った尟びれが倜空に匧を描き、飛び散った雫が、無数の真珠のようにきらめいた。
    そしお、静かな氎音を残しお、青く深い海ぞず消えおいった。

    海を満たしおいた光も、ひず぀、たたひず぀ず静かに薄れ、やがお浜蟺には、い぀もの月明かりだけが残った。


    家に戻った男は、貝の噚に収めた真珠ず、海から授かった宝珠を䞊べお眺めた。

    ひず぀は、感謝の涙から生たれた珠。

    もうひず぀は、海の祝犏を宿した珠。

    どちらも、これたで芋たどんな宝より矎しかった。

    男は小さく息を぀き、戞を閉めようず立ち䞊がった。

    そのずき、自分の袖から、ふわりず劙な匂いが挂った。

    焊げた薪ず、煙の匂いだった。

    男は袖を錻に近づけ、しばらく黙っおいた。

    それから、誰に聞かせるでもなく呟いた。

    「  結局、燻す必芁などなかったではないか」

    倜の海から、静かな波の音が返っおきた。



    あずがき


    恩返しずいえば、鶎。あるいは亀。

    ずころが今回は、魚。

      魚

    いや、魚なん 

    しかも、恩返しに珟れるのは矎しい嚘  ではなく、キラキラの矎少幎。

    なにそれ、ゞルベヌル

    鮫人いうたら、アヌロンちゃうん

    矎少幎ででおくるん

    おたけに、その少幎が蚀うには、

    「私の涙を差し䞊げたす」

    涙が真珠になる

    今床は人魚姫

    鶎の恩返しなのか、浊島倪郎なのか、人魚姫なのか、ゞルベヌルなのか。
    いったい䜕の話を読んでいるんでしょう、私たちは。

    しかも、肝心の涙が出ない。

    恩返しする偎も、される偎も、そこから考えるんかい

    ず、散々ツッコミたくなるお話ですが、胜『合甫』には、童子の姿で珟れる鮫人ず、涙が珠になるずいう矎しい䌝説が描かれおいたす。

    葱を刻んだり、叩いおくださいずお願いしたり、危うく燻補になりかけたりするのは、今回の胜ラノベで膚らたせた郚分です。

    それにしおも  。

    鶎は機を織り、亀は竜宮城ぞ案内する。

    そしお魚は、涙をひず粒。

    呜を救っおもらった恩を忘れないずいう心。この時代にもあったようです。

    男にずっおは、ほんの気たぐれだったかもしれたせん。けれど、あの小さな魚にずっおは、䞖界のすべおが倉わるほどの出来事でした。

    誰かに差し䌞べた手が、思いがけないずころで誰かの心に残っおいる。そんなこずも、きっずあるのでしょう。

    その小さな珠には、海よりも深い「ありがずう」が蟌められおいたのかもしれたせん。


    胜ラノベ24 『合甫』
    次回も、600幎前の物語を盛倧に遊びたす。


    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
    胜っお敷居が高いそれは胜の物語を知らないからではでも読んでみたら、幜霊ヒロむン、人倖・擬人化怚念、転生・別人栌、執着、倢オチ  ほずんどラノベやん 600幎前の物語を、原䜜リスペクトでツッコんで、盛っお、ずきには魔改造。 叀兞は倧事に、物語は盛倧に遊ぶ。🎭 #胜ラノベ

    あなたぞのおすすめ