
似合わない青を、それでも着たい日がある
似合わない青
好きな色と、似合う色は違う。
私には、似合わない青がある。
夜の海のような青。
晴れた冬の空のような、深い青。
その色を見ると、胸の奥が少し静かになる。
だから、何度も青い服を選んできた。
青いネクタイ。
青いコート。
鏡の前に立つ。
青はきれいだった。
でも、その青を着た自分は、どうもしっくりこない。
少し顔色が沈んで見える。
輪郭も、どこか硬い。
好きなのに、似合わない。
その事実は、思っていたより小さく傷つく。
似合う色
それを言われたのは、ずいぶん後だった。
「もう少し温かい色が似合うよ」
友人にそう言われた。
テラコッタ。
くすんだ緑。
深いワインレッド。
試してみると、たしかに鏡の中の自分が少し明るく見えた。
青より自然だった。
人に見せるなら、こちらのほうがいい。
そう思った。
でも、テラコッタを着て出かけても、帰りに青い服を見つけると目が止まった。
結局、好きなのは青だった。
ここに、妙なねじれがある。
似合う色を着ると、外側は落ち着く。
好きな色を着ると、内側が少し満たされる。
どちらかだけでは、何かが足りない。
服を選ぶ朝
服を選ぶのは、もっと単純なことだと思っていた。
今日はこれを着よう。
それだけでいいはずだった。
でも、実際にはそうでもない。
少し強く見られたい朝がある。
近づきやすく見られたい朝もある。
できるだけ目立ちたくない日もある。
自分の好きなものを、そのまま外に出したい日もある。
同じ自分なのに、朝によって着たい色が違う。
鏡の前で服を合わせながら、
今日は、どの自分でいようか。
そんなことを考えている。
私にとって服は、身体を覆うだけのものではない。
言葉にするほどではない気持ちを、少しだけ外へ出してくれる。
見せたい色
好きな色を着るとき、私はたぶん、自分の中にあるものを少しだけ外へ出したい。
私は、この色が好きだ。
この青の中にいると落ち着く。
それだけのことなのだけれど、小さな自己紹介にもなる。
けれど、服を着れば、自分の思った通りに見てもらえるわけではない。
青を着ている私を見て、
「爽やかだね」
と言う人もいるかもしれない。
「少し冷たく見える」
と思う人もいるかもしれない。
こちらが何を思って着ているかなんて、相手にはわからない。
それでいいのだと思う。
他人は、自分の鏡ではない。
自分とは違う記憶と感性で、自分を見る。
だから、見せたい自分と、見られている自分は少しずれる。
そのずれを完全になくすことはできない。
似合わないこと
以前は、好きな色が似合わないことを残念に思っていた。
好きなのだから、似合ってほしい。
心が惹かれるものなら、外側にも自然に馴染んでほしい。
そう思っていた。
でも、今は少し違う。
似合わないからといって、好きではなくなるわけではない。
むしろ、その青を好きになった理由は、肌の色や顔立ちとは別のところにある。
夜の海を見た記憶かもしれない。
冬の空気かもしれない。
昔から好きだった青いものかもしれない。
外から見える自分だけでは説明できないものが、好きという気持ちの中にはある。
だから、似合うかどうかだけで決めなくてもいい。
そう思うようになった。
それでも青を着たい日
私は今も、ときどき青を着る。
似合わないと知っている。
鏡の前で、
やっぱり似合わないな、
と思うこともある。
それでも着る。
その青を着ていると、自分の中にある静かなものが、少しだけ外へ出ている気がするからだ。
誰かに褒めてもらうためではない。
きれいに見せるためでもない。
今日は、この青でいたい。
それだけの日がある。
逆に、テラコッタを選ぶ日もある。
少し柔らかく見られたい。
誰かとの距離を近くしたい。
今日は、自分の好きな色より、相手との間にある空気を大切にしたい。
そんな日は、似合う色を選ぶ。
それも、私だ。
青を着る私も。
テラコッタを着る私も。
どちらかが本当で、どちらかが偽物ということではない。
1色ではない
人間は、1色ではない。
好きな色と、似合う色。
見せたい色と、見られている色。
その全部が、少しずつ違っている。
その違いを、無理に1つにまとめなくてもいい。
似合わない青を着ている日は、
今日はこれでいい、
と思う。
似合う色を選んだ日は、
今日はこっちだな、
と思う。
服を選ぶというのは、案外そんな小さなことなのかもしれない。
誰かに説明するほどではない。
けれど、自分にはわかる。
今日は、この色でいたい。
その気持ちだけは、誰にも似合うと言ってもらえなくても、手放さなくていい。
似合わない青を、それでも着たい日がある。
そんな日は、鏡の前で少しだけ迷って、それでも袖を通す。