
ChatGPTの答えに、その人が現れる
同じ課題について、何人かでChatGPTを使ってブレーンストーミングをしたことがある。
テーマは同じ。
使っているAIも同じ。
それなのに、返ってきたものは驚くほど違っていた。
ある人は、前提条件を疑っていた。
ある人は、原因を掘り下げていた。
ある人は、制約条件を細かく与えていた。
ある人は、返ってきた答えをほとんど使わず、自分の考えで書き直していた。
最初は、プロンプトの違いなのだと思った。
もちろん、それもある。
けれど、見ているうちに、別のことが気になり始めた。
同じ答えを受け取っても、人によって反応が違うのではないか。
何を面白いと思うのか。
どこに違和感を覚えるのか。
何を採用し、何を捨てるのか。
そして、どこから先を自分で考えるのか。
そこには、はっきりと個人差があった。
答えの受け取り方に、その人が現れる
ChatGPTは、こちらの問いに答えを返してくる。
その答えを、すぐに採用する人がいる。
一部だけを使う人がいる。
前提から疑い始める人がいる。
何かが違うと感じて、何度も問い直す人もいる。
同じ文章を読んでも、目に留まるところは違う。
その違いは、単なる好みではないと思う。
それまでに何を経験してきたのか。
何を大切にしてきたのか。
どんな失敗を覚えているのか。
そうしたものが、答えを受け取るときに現れる。
AIが何を返したかだけでは、その人の考え方は分からない。
むしろ、返ってきた答えに対して、その人が何をするか。
そこに、その人の思考の癖や姿勢が現れる。
私は、ChatGPTは鏡に似ていると思っている。
鏡は、こちらの顔を選ばない。
立派な顔も、疲れた顔も、そのまま映す。
ChatGPTも、こちらが投げかけた問いや言葉を受け取り、何かを返してくる。
ただし、映っているものをどう見るかは、こちら次第だ。
鏡の向こうから、知らなかった言葉が返ってくる
もちろん、普通の鏡とは違うところもある。
鏡は、こちらが知らない顔を見せてはくれない。
でも、ChatGPTは、ときどき自分の中になかった言葉を返してくる。
自分では別々だと思っていた経験が、1つの線でつながることがある。
うまく説明できなかった感覚に、思いがけない表現が与えられることもある。
その言葉を読んで、
「ああ、私はこれを言いたかったのか」
と思うことがある。
もちろん、その言葉が正しいとは限らない。
違うと思えば、捨てればいい。
しっくりこなければ、問い直せばいい。
大切なのは、返ってきた言葉を、そのまま自分の考えにしてしまわないことだと思う。
AIが新しい言葉を差し出してくれる。
それを受け取るのか、疑うのか、別の方向へ展開するのか。
そこにも、その人自身が現れる。
AIの性能だけでは、思考は深くならない
AIは、これからも賢くなっていくだろう。
文章はもっと自然になり、答えはもっと速くなる。
しかし、答えが良くなることと、自分の考えが深くなることは、同じではない。
もっともらしい答えを受け取って、それで終わることもできる。
反対に、たった1つの言葉に引っかかって、何日も考え続けることもできる。
本を読む。
人と話す。
失敗する。
自分の判断を後悔する。
そうした経験が、次に何を尋ねるかを変えていく。
そして、返ってきた答えのどこを見るかも変えていく。
AIの性能が上がるのを待っているだけでは、手に入らないものがある。
AIを使いこなすというのは、上手なプロンプトを書くことだけではないのだと思う。
返ってきた答えを、自分の頭で扱うこと。
そこにこそ、人間側の仕事が残っている。
画面のこちら側にいる自分
ChatGPTを使い始めたころ、私は「AIをどう使えばいいのか」を考えていた。
今は、少し違う。
AIに問いかけながら、自分が何を知りたいのかを考える。
返ってきた答えを読みながら、自分が何に納得し、何に納得できないのかを確かめる。
ときには、自分が何を大切にしていたのかを、あとから知ることもある。
AIは、私の代わりに考えてくれる存在ではない。
かといって、ただ自分を映すだけの鏡でもない。
こちらの言葉を受け取り、思いがけない言葉を返してくる。
その言葉にどう反応するか。
そこに、自分が現れる。
同じAIを使っても、同じ答えにはならない。
そして、同じ答えを受け取っても、同じ人間にはならない。
画面の向こうから答えが返ってくる。
その答えを読んでいる自分の中に、まだ知らない自分がいる。
まだ読めそうでしたら
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