
400円で買える温もり、1杯の牛丼が俺に元気を与えてくれた
あれは平成4年、高校3年の4月。
17歳だった俺は、少しばかり面倒くさい高校生だった。
兄の影響で、尾崎豊をかじっていた時期があった。
その歌声や、生き方に感化されていた17歳の俺は、大人に逆らうことはカッコいいと思っていた。
今思えば、思春期をいい具合にこじらせていた俺がいた(笑)

そして、高校生だった俺にとって、
身近にいる「大人」といえば教師だった。
つまり、先生だ。
先生の言うことだから正しい。
学校が決めたことだから従う。
そんな理屈に、どうにも素直になれない自分がいた。
納得できないなら、言えばいい。
おかしいと思うなら、声を上げればいい。
17歳の俺は、本気でそう思っていた。
そんなある日。
ある校内行事をめぐって、生徒たちの間から不満の声が上がった。その内容については、今となってはちょっと恥ずかしいので、ここでは伏せておく(笑)
ただ、当時の俺たちは本気だった。
「もう一度、先生に考え直してもらえないかな」
そんな声が、あちこちから上がっていた。
当時、俺は生徒会の役員をしていた。
校内行事に関わる先生たちとも比較的距離が近かったこともあり、何人もの生徒から頼まれた。
「のっぴから先生に話してみてくれないか」
そう言われたら、行くしかない。
いや。
正直に言えば、
少しだけ燃えていた。
ここで先生たちを説得できたら。
みんなの要望を通すことができたら。
俺、ヒーローじゃねえか。
17歳なんて、そんなもんだ。
その日の放課後。
部活動を終え、先生が職員室へ戻る途中だった。
俺は先生を呼び止めた。
「先生、ちょっとお話が……」
先生も、おそらく気づいていたと思う。
生徒たちが水面下で何か動いていることを。
俺は先生に伝えた。
「生徒たちから、こういう要望が出ています。もう一度、考え直してもらえないでしょうか」

そこからだった。
話は10分では終わらなかった。
30分。
1時間。
そして、2時間。
俺は食い下がった。
冷え切った職員室の空気の中で、俺はただ、行き場のない正義感をぶつけていた。
何年も、何千人もの若者を見てきたその目は、俺のちっぽけな反抗など、すべてお見通しだったのかもしれない。
一方こちらは、ちっぽけな正義感を振りかざし、思春期をこじらせた自己陶酔の中にいた、17歳の青二才だ。
言葉をぶつけても返される。
理屈を並べても崩される。
……そりゃそうだ。
大人の理屈の前に、こちらの武器はあまりにも無力だった。
それでも、引き下がりたくなかった。
俺の後ろには、俺に託してくれた生徒たちがいる。
ここで「分かりました」と帰ったら、何のために俺が来たんだ。
先生の答えは変わらなかった。
「今さら覆ることはない」
何度話しても。
何度食い下がっても。
その言葉は、まるで分厚い壁だった。
俺の言葉は、その壁にぶつかって、全部跳ね返されてきた。
結局、何ひとつ変えることはできなかった。
自分の無力さが、どうしようもなく情けなかった。
校舎の中は、もうすっかり静まり返っていた。
さっきまで燃えていたはずの気持ちも、いつの間にか行き場を失っていた。

悔しかった。
先生という、かよわき大人の代弁者の前では、俺たち子羊たちは無力だった。
みんなの期待に応えられなかったことが悔しかった。
そして何より、17歳の俺が信じていた、
「声を上げれば、何かは変わる」
そんな思いを、大人の理屈で踏みにじられたような気がして、悔しかった。
涙が出た。
情けないとか、
恥ずかしいとか、そんなことを考える余裕もなかった。
ただ、悔しかった。
俺はそのまま、生徒会室へ戻った。
ヒーローになるはずだった男の帰還としては、ずいぶん格好悪い。
ドアを開けると、男子の生徒会役員が何人か残っていた。
俺の顔を見て、事情を察したのかもしれない。
でも、誰も長々と慰めたりはしなかった。

一人が、いつもの調子で言った。
「今から吉野家行くけど、のっぴも来るか?」
それだけだった。
俺は一緒に行った。
実はその日まで、俺は吉野家に行ったことがなかった。
人生初の吉野家だった。
店に入り、牛丼を頼んだ。
目の前に置かれた丼から、湯気が上がっていた。
箸を入れて、肉と玉ねぎとご飯を、一緒に口へ運んだ。
うまかった。
とにかく、うまかった。
さっきまであんなに悔しかったのに。
先生には勝てなかったのに。
何ひとつ変えられなかったのに。
牛丼は、そんな俺の事情なんか知ったこっちゃないという顔で、ただただ美味かった。

一口食べる。
もう一口食べる。
仲間とくだらない話をしながら食べているうちに、ちっぽけな俺の心に吹いていたからっ風が、おさまった。
戦いには負けた。
ヒーローにもなれなかった。
それでも腹は減る。
そして、美味いものを食えば、人間は少し元気になる。
17歳の俺は、その日初めて知った。
一杯の牛丼が、大人に踏みにじられたと思っていた俺の心に、
元気を与えてくれた。
もしあの日、仲間が、
「吉野家行くけど、来るか?」
と声をかけてくれなかったら。
俺の吉野家デビューは、もっと後になっていたかもしれない。
吉野家の牛丼の美味さを知るのも、もっと後だったかもしれない。
そして、元気を取り戻させてくれたのは、仲間と食べた一杯の牛丼だった。
あれから34年。
今でも吉野家で牛丼を食べると、ふと、あの日のことを思い出す。
高校3年の春。
先生相手に2時間も食い下がって。
結局、何も変えられなくて。
悔しくて泣いて。
それでも仲間と一緒に食べた、人生最初の牛丼。
信じられぬ大人との争いの中で。
17歳の俺を元気にしてくれたのは、仲間と食べた、たった一杯の牛丼だった。
そして、あの夜の直後(平成4年4月25日)、あまりにも早すぎる旅立ちを迎えた彼の歌声は、今も俺の中で鳴り続けている。

※平成4年4月当時、吉野家の牛丼(並盛)は400円でした。
おわりに
高校3年間を過ごした、城野という町(北九州市小倉南区)
そんな青春の記憶が残る城野駅を舞台にしたオリジナル曲です。
もしよかったら、こちらも聴いてみてください。