
月を見る|短編ホラー【シロクマ文芸部「月を見る」】
小牧幸助さんの企画、お題で書きはじめるnote企画「月を見る」への参加作品です。
月を見るたび、彼は「月が綺麗ですね」と言った。
本ばかり読んでいる人だった。漱石が「I love you」をそんなふうに訳したんだ、と教えてくれたのも彼で。それからは、月の綺麗な夜になると、きまって少し照れたように、そう言うようになった。好きだよ、の代わりに。
だから今夜も、私は彼を窓辺の椅子に座らせて、カーテンを開ける。ほら、あなたの好きな月。――彼は、答えない。疲れているのかな、と思う。
*
膝の上の手を、そっと握ってみる。ひやりとしている。冷たい手。私の手で包んでも、ちっとも、あたたかくならない。
*
彼は、今日もおしゃれをしている。
朝、会ったときは、白い服だった。それが、二人きりになってからは、赤い服になって。そして今は、いつのまにか、黒い服を着ている。
似合ってる、と私は言う。あなたは、何を着ても素敵だね。
*
私は月を指さして、待っている。いつもの、あのひとことを。月が綺麗ですね、を。
でも、彼の唇は動かない。まばたきも、しない。あんなに毎晩言ってくれたのに、今夜にかぎって、言ってくれない。いいよ、と冷たい頬を撫でる。無理に、しゃべらなくても。
部屋に、甘くて重い匂いがたちこめている。むせそうなくらい、濃い。彼って、こんな匂いのする人だったっけ。
*
どれくらい、そうしていただろう。
ふと、彼を抱きしめた。
服の黒は、首にまで続いていた。彼の瞳は、もう光を返さない。かわりに、床に深く刺さった刃だけが、月あかりを返している。
私は彼の、こわばった頬にそっと触れて、彼の代わりに、言った。
「月が、綺麗ですね」
答えは、返ってこない。
離れるなんて、許さないから。
あとがき
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
「月を見る」というお題から生まれた作品です。読んで感じたことや、印象に残った場面があれば、コメントで教えていただけるとうれしいです。
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