
04|🫖ひとりでは、咲かせられなかった桜。
看護師として働いてきた中で、今でも忘れられない患者さんがいる。
ここでは、Vさんと呼ぶことにする。
Vさんは、もともと別の病棟で入院生活を送っていた。
一度は退院したもののすぐに再入院。
病棟でも対応に苦慮することがあり、誓約書を書くほどのトラブルもあったと聞いていた。
そんなVさんの状態が悪化し、脳外科で緊急手術が必要になった。
「術後管理が落ち着くまでの間だけでいいから、脳外科で受け入れてほしい」
そう頼まれたことをはじめ、これまでの経緯や、どんな方なのかという話を師長さんから聞いた。
そのうえで、
「私はあなたにプライマリーを担当してほしいと思っている」
と相談を受けた。
当時の私は、まだ看護師2〜3年目。
正直、私なんかに務まるんだろうかと思ったし、責任が重すぎるとも感じた。
それでも、患者さんを”選ぶ “ようなことはしたくなかった。
きっと自分にとっても大きな経験になるはずだと思い、引き受けることにした。
オペが終わり、Vさんを迎えに行った。
そこで初めて対面したVさんとご家族。
事前に全体カンファレンスまで行われ、師長さんからスタッフへ対応についての周知もされていた。
けれど、実際に関わってみると、聞いていた印象とはまったく違った。
「え、全然そんなことない方たちやん」
それが、私の第一印象だった。
意識レベルは悪かったものの、術前より少しだけ意思疎通が取れるようになっていた。
リハビリも始まり、このまま少しずつ改善していくんじゃないかという期待さえ抱いた。
けれど、Vさんと小さなやりとりができたのは、ほんの3日ほどだった。
容態は急変。
緊急手術を繰り返し、ICUと病棟を行き来する日々が続いた。
先の見えない、苦しい時間だった。
私も必死だった。
でも、自分の知識や技術だけではどうにもならないことがたくさんあった。
当時の私には経験したことのない状況ばかりで、何より圧倒的に場数が足りていなかった。笑
そのたびに先輩たちに相談したり、助けてもらったりしながら、目の前のことに必死に向き合っていた。
もちろん、先輩たちはいつも答えを教えてくれるわけではなかった。
「こういう方法もあるんじゃない?」
「前に似たようなことがあったときはね……」
そうやって、たくさんのヒントをくれた。
今思えば、先輩たちが積み重ねてきた経験を、少しずつお裾分けしてもらっていたような感覚だった。
それに、Vさんの担当の日でなくても、
「昨日こんなことしてたよ」
「最近どんな感じ?」
「私もそれ手伝っていい?」
と、自然に声をかけてくれる先輩たちがいた。
誰かが自分のことを気にかけてくれている。
一緒に考えてくれる人がいる。
そのことが、どれだけ心強かったか。
自分ひとりで何とかしなければと思っていたら、きっと途中で行き詰まっていたと思う。
そんな中、新しい方針が決まった。
DNR、つまり心停止時に心肺蘇生を行わないという方針だ。
ICUでの管理が終了し、病棟に戻ることになったVさん。
ただ、本来の入院先は私の所属する病棟ではない。
それでも、ご家族から「元の病棟に戻るのは嫌だ。最期まで頼みたい」という希望があると相談を受けた。
そして、もうひとつ。
ご家族がVさんと交わしていた約束を、そのときに教えてもらった。
「一緒に桜を見よう」
その時点で、桜の季節までVさんが過ごせる可能性はほとんどないと言われていた。
それなら、私にできることはこれだと思った。
「私が病室に桜を咲かせます」
病棟のカンファレンスで、Vさんとご家族が最期まで望む時間を過ごせるよう、病院の中でできることはできる限り叶えたいと伝えた。
これは私の所属していた病棟の誇りだと思うのだが、この提案を嫌がる人はひとりもいなかった。
むしろ、みんなが一緒に考えてくれた。
主治医やリハビリスタッフと相談し、まずはお花見ができる可能性を少しでも残すために、呼吸リハビリを取り入れた。
意識がはっきりしなくても、何かを感じ取れる可能性はある。
そう考え、嚥下をせずに家庭料理の味を感じてもらえる方法も検討した。
出勤したときには必ず部屋に行き、私のひとりごとを聞いてもらったり。笑
看護師にできるリハビリも、日々の業務に取り入れた。
脳外科は院内でも忙しさのトップを争うような病棟だった。
それでも、誰ひとり嫌な顔をしなかった。
文句を言うどころか、先輩たちからはたくさんのアドバイスや提案があった。
私ひとりでは思いつかなかったことも、みんなの知識や経験が加わることで、少しずつ形になっていった。
Vさん本人だけでなく、ご家族との関わりも大切にした。
面会に来られたときには必ず声をかけたし、Vさんとの思い出話もよくした。
病状が厳しくなると、どうしても苦しい話や心配な話が増えてしまう。
でも、ご家族にはVさんとの素敵な思い出も、きっとたくさんあるはず。
だからこそ、病気のことだけではなく、何気ない思い出も一緒に振り返りたいと思っていた。
そして、交換日記のようなノートも作った。
毎日面会に来られるわけではないから、少しでもVさんの様子を知ってもらえたら。
その日にあったことや、ちょっとした変化を書き残して、ご家族にも自由に書いてもらえるようにした。
何か吐き出したいことがあれば、どんなことでも書いてください、と伝えて。
そこには、お孫さんからのお手紙が書かれていたこともあった。
面会に来られない日にも、Vさんとのつながりを感じてもらえたら。
そんな思いで、ノートを作った。
そして、私は病室に桜を咲かせることにした。
本物の桜を一緒に見に行くことが難しいのなら、せめて病室で桜を感じてもらいたい。
学生以来の図画工作。笑
手作りした桜の木を病室に飾り、その周りには家族写真や、お孫さんが描いた絵も並べた。
面会があるたびに、病室から楽しそうな声が聞こえてくる。
その声を聞くのが、私は嬉しかった。
そして、年が明けてDNRとなったVさんは、4月を迎えることができた。
なんと、呼吸リハビリを続けた結果、人工呼吸器を外して15分ほど過ごせるまでになり、主治医から離床の許可も出た。
ついに、お花見ができることになった。
場所は院内の屋上。
桜からは少し遠かったけれど、それでも家族みんなで桜を眺めながら、お弁当を味わうことができた。
家族写真も撮ることができた。
泣きながら喜んでくださるご家族の姿を、私は今でも忘れられない。
その後、Vさんはご家族に見守られながら息を引き取った。
最期のお見送りを終え、病棟へ戻る途中。
先生から、こんな言葉をかけられた。
「きっとVさんは、あなたが来るのを待ってたんやと思う。
日勤帯でもギリギリだったけど、みんな集まってたのにこうやって夜中までもった。
Vさんの中ではあなたも家族みたいなもんやったんやろうな。ここまでできたの、俺はすごいことやと思うで」
こんなことを言われたら、泣くに決まってる。笑
後日、ご家族が改めてお礼を伝えに来てくださった。
看護部長や、もともとVさんが入院していた病棟の師長さんも来てくださり、感謝の言葉をいただいた。
この経験は、私の看護師人生の中で、かけがえのないものになった。
そして、この経験を通して、チーム医療とはきっとこういうことなんやろうと感じた。
どれかひとつでも欠けていたら、きっと実現しなかった。
私ひとりでは、Vさんの願いを叶えることはできなかった。
誰かが考え、誰かが提案し、誰かが支えてくれる。
それぞれが自分にできることを持ち寄り、助け合い、補い合う。
そうして全員で取り組んだからこそ、あの日、家族みんなで桜を見ることができた。
医療は、ひとりではできない。
そして、私たちが向き合っているのは、患者さんだけではない。
その人を大切に思う家族や、周囲の人たちも含めて、支えていくことが必要なのだと思う。
あの日、病室に咲かせた桜。
あれは、私ひとりでは咲かせられなかった桜だった。
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