
「電話を受ける前に、一度笑顔を作りなさい」その言葉が、私を変えた
初めての出勤日、緊張で胸がいっぱいだった。
ホテル業界は未経験。
電話対応の仕事も、もちろん初めてだった。
研修期間中は、ひたすら先輩の電話対応を聞き続けた。
どんな話し方をしているのか。
どんな要件で電話がかかってくるのか。
まずは受け答えの仕方と内容を頭に叩き込む日々が続いた。
私が働き始めたのは、大規模なリゾートホテル。
毎日、本当にたくさんの電話がかかってきた。
今のようにインターネットが普及していない時代。
予約も問い合わせも、ほとんどが電話での対応だった。
客室やレストラン、館内施設――。
覚えることがあまりにも多く、それだけで必死だった。
研修を終え、いざ自分で電話を取るようになると、覚えたはずの言葉がうまく出てこない。
何をどう伝えればいいのかもわからなかった。
今まで、ホテルで使うような丁寧で美しい言葉を使ったことがなかった。
「日本人なのに、ちゃんとした日本語が使えない。」
そんな自分がひどく悔しくて、何度も落ち込んだ。
それからは、休みのたびに図書館へ通った。
電話対応の本。
接客の本。
ホテルの仕事に関する本。
とにかく必死だった。
何度も電話を取り、勉強を重ねるうちに、少しずつ言葉が自然に出るようになり、以前ほど緊張せず、落ち着いて案内できる日も増えていった。
そんなある日、先輩からこんなことを言われた。
「電話を受ける前に、一度笑顔を作りなさい。」
顔が見えないのに、笑顔?
「顔が見えなくても、笑顔は声に出るよ。」
明るい声。
安心感のある話し方。
やわらかな声のトーン。
それだけで、お客様に与える印象は大きく変わるのだと。
私たちは、直接お客様と顔を合わせることがない。
だからこそ、声の印象や言葉遣いが大切だった。
その先輩は、“笑声”のプロだった。
どんなに忙しい時でも、いつも笑顔で受話器を取っていた。
そんな先輩の言葉が、私を変えた。
電話を取る前に、口角を上げる。
笑顔を意識するだけで、不思議と声まで明るくなった。
気づけば、“笑声”が自然に身についていた。
ホテルを離れ、未経験の飲食店で働くようになった今も、あの頃の経験が生きている。
必死に積み重ねたことは、ちゃんと今につながっていた。
先輩に教えてもらった“笑声”は、今でも私の仕事を支えてくれている。