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うちの子は違うと思いたかった

    病院の待合室は、意外と賑やかだった。

    待合室のテレビではEテレが流れ、子どもたちの視線が一斉に画面へ向いている。椅子の上で足を揺らす子。床に寝転がる子。ゲーム機を握りしめている子。突然大きな声を上げ、癇癪を起こしている子もいた。

    看護師さんたちは慣れた様子で声をかけ、親たちは「大丈夫だよ」と小さな声で子どもをなだめている。

    私はその光景を見ながら、どこか落ち着かない気持ちで娘の手を握っていた。

    この子どもたちは、娘と同じなのだろうか。

    たくさんの親子がここにいることに、少し安堵する気持ちがあった。

    私たちだけじゃない。

    同じように悩み、困って、この場所へ来ている人がいる。

    そう思うと、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだ。

    その一方で、心のどこかでは、

    「うちの子は違う」

    と思いたい自分もいた。

    娘は少し育てにくいだけ。 こだわりが強いだけ。 敏感なだけ。

    きっと個性の範囲だ。

    そう言い聞かせるたびに、胸の奥がざわつく。


    最初は、大人しくソファに座ってEテレを見ていた娘。

    流れてくる歌に合わせて体を揺らし、ときどき私の顔を見て笑う。その姿は、どこにでもいる普通の子どもに見えた。

    けれど待ち時間が長くなるにつれ、娘は次第に落ち着きをなくしていった。

    靴を脱ぎ、ソファの上に立ち上がる。

    そして、私の隣の席へ、またその隣へと、渡り歩くように移動し始めた。

    「座ろうね」

    小声で声をかけても、娘の耳には届いていないようだった。


    ソファを移るたび、 近くに座っていた親子がちらりとこちらを見る。

    それだけで、 「ちゃんと座らせて」 と言われた気がした。


    迷惑だと思われていないだろうか。 ちゃんと躾をしていない親だと思われていないだろうか。

    そんなことばかり考えてしまう。


    私は慌てて娘の腕に触れた。

    すると娘は嫌そうに体をよじり、眉をしかめる。

    その表情を見た瞬間、これ以上止めたら崩れる、とわかった。


    私はそっと手を離した。

    泣かせたくない。

    ここで癇癪が始まったら大変だ。


    そう思う一方で、

    どうして私は、周りの目ばかり気にしているんだろう、とも思っていた。

    待合室では、別の子どもが大きな声を上げて泣いていた。


    それでも看護師さんたちは慣れた様子で対応していて、誰も特別なことのようには扱っていない。

    なのに私は、娘が少し動くだけで、心臓が縮むような気持ちになっていた。


    診察室のドアが開く音がした。

    「どうぞ」

    呼ばれて立ち上がる瞬間、娘の小さな手は私の手をぎゅっとにぎった。


    私は「大丈夫だよ」と言いながら、娘の小さな手を包みこんだ。
    本当は、私の方が大丈夫じゃなかった。

    診察室には、白い机と、丸椅子と、ままごとや車のおもちゃが置かれていた。


    娘は入ってすぐ、部屋の隅に置かれたままごとで遊び始めた。

    医師が穏やかな声で話しかける。

    「今日はよろしくお願いしますね」

    私は笑って頭を下げた。

    その“普通のやりとり”に、少し安心する。

    もっと重たい空気を想像していた。 もっと深刻な顔をされると思っていた。


    けれど医師は淡々としていて、それが逆に、この場所に来る親子が特別ではないことを感じさせた。

    問診が始まる。

    娘の困りごと。 家での様子。 園での姿。 癇癪。 偏食。 こだわり。

    私は答えながら、どこか冷静だった。

    保育士として、説明している感覚に近かった。

    「予定変更が苦手で」
    「感覚過敏もあると思います」
    「切り替えに時間がかかるタイプで」

    言葉にするたび、娘の特徴が整理されていく。
    頭では理解していた。


    でも、医師が静かに言った。

    「お母さん、娘さんはおそらくASDです。このまま診断してみましょうか。」

    一瞬、言葉の意味がわからなかった。

    いや、わからなかったわけじゃない。

    ちゃんと知っている言葉だった。

    知識として。 仕事として。 何度も聞いてきた言葉。


    なのに、その瞬間、 それまで“支援する側”にいたはずの自分が、急にこちら側へ来てしまった気がした。

    私は小さく「……はい」と答えた。

    それしか言えなかった。

    娘はそんな空気も知らず、机の端に置かれた車のおもちゃをきれいに並べている。

    少しでもずれると気になるのか、何度も並べ直していた。

    私はその姿をぼんやり見つめながら、

    ――まだ大丈夫かもしれない。

    そんなことを考えていた。

    もっと困っている子はいる。 もっと大変なケースも知っている。

    娘は少し不器用なだけ。

    そう思いたかった。

    けれど医師は、静かな声で今後の支援について話し始めた。

    療育。 支援機関。 これから必要になるかもしれない配慮。

    言葉は聞こえているのに、頭の中に入ってこない。

    私は何度も頷きながら、 診察室の白い壁をぼんやり見つめていた。

    娘に診断名がついた。

    その事実だけが、 ゆっくりと胸の奥に沈んでいった。


    病院を出たあと、私はこれから先のことを考えていた。

    家族にどう伝えよう。

    加配は。 療育は。 やるなら早い方がいい。

    幼稚園には、どのタイミングで話すべきだろう。

    頭の中で、必要な支援をひとつずつ並べていく。

    その時もまだ、私の頭は“保育士”のままだった。

    母親として泣くより先に、 知識を総動員して、 娘にとって何が最善かを考えていた。

    この子にはどんな関わりが必要か。 どんな環境なら過ごしやすいか。 今の困りごとに、どんな支援が使えるのか。

    そんなことばかり考えていた。

    隣を歩く娘は、何も知らない顔で、 病院の前に咲いていた花を見ていた。

    「ママ、これピンクだね」

    そう言って笑う。

    私は「ほんとだね」と返しながら、 うまく笑えていたか、自分でもわからなかった。

    その日の夜、娘が寝たあとも、私はスマホを見続けていた。

    「ASD」 「幼児 療育」 「感覚過敏」 「加配」

    検索欄に言葉を打ち込んでは、記事を読み、また次の記事を開く。

    保育士として知っていたはずの知識なのに、 “母親”として読むそれは、まるで別のものだった。

    早期療育が大切なことも知っている。

    特性に合った関わりが必要なことも、 二次障害を防ぐために周囲の理解が大事なことも、障害受容という言葉もその意味も、 私は知っていた。


    知っているから、できると思っていた。

    だから、向き合うことも、娘のために動くことも躊躇うことなくできると思っていた。


    胸の奥が少し苦しい気がしたけど、

    気づかないフリをした。


    とりあえず、

    娘のために今、できることに全力で向き合うことにした。

    県内の療育施設を調べ、 幼稚園への伝え方を考え、 娘への関わり方の本を読み漁った。

    「この子はこの子」 そう思おうとしていた。

    それなのに私は、 幼稚園でみんなと同じように過ごしてほしいと思っていた。

    小学校でも困らず、 友達とうまく笑い合って、 “普通に”生きていってほしいと願っていた。

    心のどこかで、 まだ“普通”を諦めきれていない自分がいることにこの時の私は気がついていなかった。


    リビングには、 娘が昼間に遊んでいたおもちゃが散らばっていた。

    診察室で車を並べていた姿が、ふと頭に浮かぶ。

    私はスマホを伏せ、小さく息を吐いた。

    1日で、何かが変わってしまった気がした。


    療育先を探し始めてから、私の頭の中は常に娘のことでいっぱいになった。


    感覚過敏への対応。 声かけの工夫。 癇癪が起きた時の関わり方。


    娘のためになると言われたこと、思いつくものは、できるだけ試した。


    保育士としての知識も総動員した。

    「否定しない」 「気持ちを受け止める」 「安心できる環境を作る」

    頭ではわかっている。


    わかっているのに、現実はそんなにうまくいかなかった。


    出かける前に癇癪。 予定変更で大泣き。 服へのこだわりで着替えられない。


    娘が泣くたび、 私は“対応を間違えた理由”を探していた。


    あの声かけがよくなかったんだろうか。

    もっと早く切り替えを伝えるべきだった?

    環境設定が悪かった?


    まるで仕事の反省会みたいに、 私は毎日、自分の育児を振り返っていた。


    でも、本当は違った。

    娘のため。

    そう思っていた。

    けれど私は、 癇癪が落ち着くたび、 「今日はちゃんと対応できた」 と安心していた。

    周囲とうまく過ごせると、 どこかほっとしていた。

    私は娘を支えたいのと同じくらい、

    “ちゃんとできる母親でいたい”

    と思っていたのだ。


    娘の特性を理解したい。

    困りごとを減らしてあげたい。

    そう思うほど、私は娘の行動ひとつひとつに敏感になっていった。

    スーパーで急に耳を塞いだ理由。

    服を嫌がる日の違い。

    予定変更で崩れるタイミング。

    全部に“原因”がある気がして、 私はいつも正解を探していた。

    でも、どれだけ考えても、 うまくいかない日はある。

    朝から何度も癇癪が続き、 私も余裕をなくして、 強い口調で言ってしまう日もあった。

    娘が泣く。

    私も自己嫌悪で泣きたくなる。

    それなのに翌日には、 また「ちゃんと向き合わなきゃ」と思っている。

    私はいつから、 “母親”ではなく、 支援者みたいになっていたんだろう。

    娘を観察して、 分析して、 対応を考えて。

    気づけば、 ただ一緒に笑うことが減っていた。


    ある朝、娘の顔を見て涙が溢れてきた。

    「ママ、なんで泣いてるの?」

    娘は不思議そうに私を見上げていた。

    私は何も言えなかった。

    泣くつもりなんてなかった。

    ちゃんと向き合おうとしていただけだった。

    困らないように。 生きやすくなるように。 少しでも苦労しないように。

    そのために必死だった。

    支援者のように娘を観察し、 “正しい対応”ばかり探して、 母親としての感情を押し殺していたことに、 私は気づいていなかった。

    娘のできないことばかり見て、 次の困りごとばかり心配して、 私は「今、この子が笑っている時間」を ちゃんと見られていなかった。

    娘はその日、 お気に入りのお人形を丁寧に並べながら、 楽しそうにごっこ遊びをしていた。

    小さな声で、 ひとり何役も演じながら笑っている。

    その姿を見ながら私は、 ずっと「普通」に追いつこうとしていたのは、 娘じゃなく、 私の方だったのかもしれないと思った。


    現在、小学2年生になった娘は、

    支援学級に在籍しながら、たくさんのお友達に恵まれ、楽しく学校へ通っている。


    もちろん、不安が消えたわけではない。


    この先、どうなるんだろう。

    友達とうまくやれるだろうか。


    大人になった時、 この子は生きづらさを感じないだろうか。


    考え始めれば、心配は尽きない。


    今でも私は、 周りの子と比べて落ち込む日がある。


    うまく対応できず、 自己嫌悪になる日もある。


    それでも以前より、 「普通に近づけなきゃ」 と思う時間は少し減った気がする。


    娘は今も、 予定変更で泣くし、 服のこだわりで朝が止まることもある。


    でもその一方で、 好きなことを話す時は目を輝かせ、 安心できる場所では、 声を出して笑っている。

    私はずっと、 “できないこと”ばかり見ていた。

    けれど本当は、 この子には最初から、 この子なりの世界があったのだと思う。

    病院の待合室で、 「うちの子は違う」 と思いたかった、あの日の私。

    あの頃の私は、 娘を“普通”へ近づけることばかり考えていた。

    けれど今は、 泣きながらも、 笑いながらも、 この子はこの子のペースで生きているのだと思う。

    あの日より少しだけ、 私も、 娘をそのまま見られるようになった気がしている。

    あとがき

    今回のエッセイは、note創作大賞のエッセイ部門をきっかけに、一念発起して執筆しました。

    今から約3年前、娘の発達に違和感を覚え、初めて発達外来を受診した頃のことを中心に書いています。

    自分自身の気持ちや葛藤を丁寧に振り返りながら書くことができ、とても新鮮な時間でした。


    この作品を通して、発達凸凹育児の中で感じる戸惑いや葛藤、そして親として揺れ続ける気持ちを、少しでも多くの方に知っていただけたら嬉しいです。



     
     
    発達凸凹の娘を育てながら、保育士をしています🌷 「私だけじゃなかった」と思えたり、 必要なときには、子どもとの関わり方のヒントが見つかったり。 ここが、ほっとひと息つける場所になりますように☕

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