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過去ログをAIに読ませたら、絵を2万時間描いていた


     6月の初めから、過去作品の整理をしている。

    描いていれば作品は増える。スケッチブックも、ノートも、写真も、資料も増える。だから、ときどき棚卸しをする。そのたびに、思いがけず過去の自分と出会う。

     先日、30年以上にわたる手帳や制作記録から自分の制作歴を拾い、AI(Claude Fable5)に、これまで絵を描いてきた時間を試算してもらった。

     結果は、およそ2万時間だった。

     もちろん、実測値ではない。過去の記録をもとにした逆算値であり、幅を持たせれば1万6000時間から2万4000時間くらいになるらしい。
     それでも私は驚いた。つい最近まで、自分のことを「全然描いていない人」だと思っていたからだ。

     なんということだ。2万時間描いても、これか。

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    2013
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    2009
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    2023
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    2012ほか
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    2021
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    2022


     


     

    私はかなりのメモ魔である


     ちょっと異常と言ってもいい。

     手帳にもログを残す。ノートにも残す。Evernoteにも残す。昔のブログもそうだし、いま書いているnoteもそうである。

     2017年頃には手帳アカウントとして頻繁にSNSへ投稿しており、手帳やノートに関する書籍で、私の使い方を紹介していただいたこともある。






     なぜ、そんなに記録するのか。

     自分の思考や試行錯誤を、あとで読み返せるようにしておきたいからだ。

     何を描いたか。どこで失敗したか。何に困っていたか。どの画材を買ったか。何を面白いと思ったか。

     そのときは、ただの雑多なメモにすぎない。しかし何年もたってから読み返すと、それらは「自分がどのように変化したか」を示す資料になる。
     今回、過去のノートや作品を整理して、水彩をめぐる自分の履歴を拾ってみた。




     1993年、大学の植物園へスケッチに出かけた。鉛筆の上に水彩絵の具がうまく乗らず、困っていた。

    1996年頃から、外食に出かけても絵を描くようになった。小さな絵の具を持ち歩き、小さな画面にこつこつ描いていた。

    2000年、初めて高価なラファエルの筆と、ハーフパンの水彩絵の具を買った。小さなギャラリーで個展も開いた。

    高校へ異動したあとは、週末になると車で絵を描きに出かけた。美術部の生徒たちと海へスケッチ旅行にも行った。

    2007年、教師を辞めて北米で暮らした。毎日のように重たい画材をカートで引き、スケッチに出かけた。言葉が通じなくても、絵を描けば人とつながれることを知った。

    2011年、震災があった。絵を描く手が止まり、こんなときに創作をしていてよいのだろうかと思った。

    2012年からデッサン会に通い、毎週人物を描いた。チャグチャグ馬コの取材を始めたのも、この頃である。

    2013年、知人の紹介で水彩スケッチ教室の講師になった。力不足を感じ、独学で水彩を学び直した。野村重存先生の講座へ通い、植物画の通信講座も受講した。

    2024年には京都で暮らし、市内や鴨川で大量の野外スケッチをした。水墨画を試し、京都水彩塾で略画を学び、関西美術院で改めてデッサンに向き合った。

    2025年からは、公募展へ出品する実験を始めた。大人になって初めて賞をもらい、制作のための小さなアパートを借りた。

    そして2026年。過去の記録を読み返し、昔やっていた画材研究や構図研究が、現在の制作に効いていたのだと気づいた。


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    日本水彩展に出したやつ


     

    他人が見るのは、いつも現在地である



     人は、誰かの仕事を「点」で見る。

     公募展の審査員が見るのは、2026年の私の作品である。その背後にある失敗作や、2024年の試行錯誤までは見えない。

     SNSへ作品を投稿しても、見ている人が知るのは、画面に表示された一枚だけである。その背後にある大量の素描や、捨てた作品を見ることはない。

     新しく教室へ来た生徒さんも、いまの私の仕事は見るが、2017年に私が何に悩み、何に失敗していたのかは知らない。

     幸い、2016年頃から通ってくださっている生徒さんもいる。その方たちとは、一緒に変化してきた。

     それでも、自分の出発点を最もよく知ることができるのは自分である。

     ただし、記録を残していれば、である。


    絵を描いた時間を試算してみる



     AI (Fable5)による試算は、次のようなものだった。

    • 画塾・大学時代:約5200時間

    • 大学院から教員時代:約3000時間

    • 北米生活から2012年頃まで:約1800時間

    • デッサン会、教室、独学の時期:約4500時間

    • コロナ禍:約2000時間

    • 京都生活から現在:約3500時間

    描画に使った時間の合計は、およそ2万時間。

     保守的に見れば1万6000時間、長めに見積もれば2万4000時間ほどになるという。

     さらに、染織、編み物、洋裁などを含めると、創作活動全体では約2万8000時間と推定された。

     織りや編み物の時間は、デッサンの線を直接うまくするわけではない。しかし、色彩計画、工程の分解、結果がすぐには見えない作業に耐える力には影響している。

     したがって、帳簿は二冊に分けたほうがよいらしい。
     純粋な描画時間は約2万時間。創作するための「OS」を形成してきた時間は、約2万8000時間。

     とはいえ、これはあくまで過去の記録から導いた推定値である。正確な練習時間ではない。それでも、自分が「全然描いていない人」ではなかったことくらいは、認めてもよさそうである。

     冷静に過去ログを読んでみれば、「さすがに11時間描くと疲れるな」などと書いている。

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    ちょっとどうかしている
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    記録は、未来から過去を発見するためにある



     過去のノートや作品を見返していると、

    「ああ、この頃はこんなことを考えていたのか」

    「このときに、種が植えられていたんだ」

    という発見がある。

     成長とは、新しいものを獲得することだけではない。過去の自分のなかに、すでにあった種を発見することでもある。

     記録とは、過去を保存するためだけのものではない。未来の自分が過去の自分を発見し、現在の土台を確認するためのものだ。

     いまの自分を見て「まだ何もできていない」と思うとき、自分まで自分のことを「点」で見ているのかもしれない。

     SNSで注目されること。賞を取ること。仕事や資産を増やすこと。
     それらも、もちろんうれしい。

     しかし、自分の成長の履歴を発見できるのは、最終的には自分しかいない。そのことを知るほうが、私には価値があるように思う。



     今日一日のログを書く

     だから、何かを学び、獲得しようとしている人へ。

     今日一日のログを書いてほしい。

     絵でもいい。音楽でもいい。小説でも、スポーツでも、語学でもいい。

     何をしたのか。何を考えたのか。どこで失敗したのか。何が昨日と違ったのか。


     未来のどこかで、過去の自分が残した証拠を読み解く日が来る。

     いまはAIと話せば、言葉はいくらでも湧いてくる。しかし、その対話も保存しなければ、高速のタイムラインを流れ去っていく。

     残したいのは、立派に整えられた言葉だけではない。

     あなた自身が考え、試し、迷った過程である。

     それを、自分の言葉で残しておくことだ。

     未来のどこかで「あの頃に植えられた種だったのか」と気づく日が、きっと来る。

     私も、これからまた時間を積み上げていく。
     2万時間描いてもこの程度なら、もう少し描けばいいではないか。

    たぶん。




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    ここは学び続ける大人のための美術準備室です。 描くこと、書くこと、学ぶこと。 水彩、ドローイング、手帳、AI、染織、記録、フィードバック。 日々の観察と制作の記録を綴っています。 才能とセンスに頼らずに仕組み化する元高校美術工芸科教員。学生時代の専門はテキスタイル。

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