
「“正論”は正しくて危険なナイフだよ」【96歳おばあの呟き】
あんた、誰かを「正しい言葉」で言い負かして、スカッとしたことはあるかい?
もしあるなら、ちょっとだけ気をつけなきゃいけないねぇ。
人間っていうのはね、
「自分は正しい」と思っている時が一番「残酷」になれる生き物なんだ。
自分が100%正しいと信じ込んでいる時、相手を追い詰めるその言葉は、もう言葉じゃなくて鋭いナイフそのもの。
それも「正義」っていう名前の、磨き抜かれた厄介なナイフだよ。
そしてそのナイフは外側の傷じゃなく、決して見えない相手の「気持ち(内側)」を傷つけている、とっても怖くて危険なものさ。
正論っていうのはね、大抵の場合、ぐうの音も出ないほど「逃げ道」がないんだよ。
確かに、相手が間違っているのはかもしれない。
でもねぇ、間違っていることを突きつけて、相手の自尊心をズタズタにして、それで一体何が残るっていうんだい?
相手を正論で刺し殺しても、そこには恨みや憎しみ、怒り、悪いものしか残らないよ。
ばあちゃんも96年生きたが、「正しさ」なんて時代や場所でコロコロ変わるもんさ。
昔は正しいとされていたことが、今じゃとんでもない間違いだって言われる。
つまり、「正しさに完璧な正解なんてない」っちゅーこと。
価値観は人それぞれ。
そんなあやふやなもののために、目の前の生きた人間を傷つけていいわけがないんだよ。
本当に賢い大人はね、相手の間違いに気づいても、それを「正論」で刺したりは絶対にしない。
むしろ言葉にせずに飲み込んだり、「まぁそんなこともあるよねぇ」と茶化し、逃げ道を作ってあげたりするもんさ。
それが本当の意味での「優しさ」ってもんじゃないかと、ばあちゃんは思ってるけどねぇ。
だから「正しい」ことより「優しい」ことを選べるようになりなさい。
正しさなんてものは、自分の胸の中にだけ静かに持っていればいい。
見せびらかすように正論のナイフを振りかざし、無暗に誰かを血だらけにするよりも、相手が少しでも楽になれるような「適当な嘘」や「曖昧な言葉」を差し出せる人の方が、ばあちゃんはよっぽど偉いと思うし、ばあちゃんはそういう人が好きだねぇ。
改めて、あんたも自分のナイフを手入れしながら、その刃を見つめ直してみな。
以前は気付かなかった自分が、今ならそこには映ってるかもしれないよ。
ばあちゃんから最後にひとこと
『正論』は味の濃すぎる調味料みたいなもんでねぇ。
使い方によってはもちろん効果があるけど、ぶっかけすぎたら料理が台なしになっちゃうよ。
相手を言い負かしたくなった時は、一度深呼吸して、自分に聞いてごらん。
『私は相手を正しさで切りつけたいのか、それとも温かさで守りたいのか。どっちだろう?』ってね。
なんでも白黒はっきりつけるのが人生じゃない。グレーだって絶対に必要さ。赤も青も、色なんてあればあるだけいい。
相手の色を理解し合う。たったそれだけの話さ。
世界には何十億人もいるってのに、白と黒だけの世界なんて味がなさ過ぎるじゃないか。