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Photo byhananosu

うちの猫のように、毎朝新しい世界に踏み出しているみたいな顔で生きられたら、どんなに幸せだろう

    保護猫のみかんが、うちの子になって2年半。

    夜は、娘の部屋で寝ている。そして毎朝、娘の部屋の扉が開け放たれると、みかんはリビングにやってくる。

    「ここには、なにがあるのかしら?」

    おっかなびっくり半分、わくわく半分。まるでディズニー映画に出てくる、好奇心旺盛なプリンセスみたいに、そろりそろりと足を踏み出してくる。

    毎日同じ家だよ? 昨日も歩いてた廊下だし、 くつろいでいたはずのリビングよ?

    それでもみかんは、毎朝、まるで新しい世界に踏み出すような顔をしている。(ように見える)

    その顔を見るたびに、「毎朝、こんなふうに新鮮な眼差しで世界を見られたら、なんて幸せなのだろう」と思う。

    半世紀も生きていると、日常の中に新鮮さを感じることがなかなか難しい。

    一日を通して出会った出来事や湧き出た感情を、流さず、ちゃんと受け止められていない。慣れた日常を、ただ処理するだけになっている。いかん、いかん。

    みかんを見ていて、そんな風に思った。
    だから今日は、日常のなかの些末なあれこれを意識して過ごしてみる。


    朝、家族を送り出したら、軽い掃除と洗濯を終えて、朝食の食器を食洗機に突っ込み、近所のカフェへ向かう。

    週に一度ぐらい、家で朝食をとらず、ここでモーニングAセットを頼むのが密やかな楽しみだ。

    店員さんは顔見知りだけれど、特に親しく会話するわけではない。ただ、ひと言ふた言の軽いやりとりだけをする。

    今日は、ブレンドを手渡してもらいながら、

    「なみなみと注いでいますけど、アメリカンではないですからご安心を。こぼれないように、お気をつけてお持ちくださいね」

    と笑顔を向けてくれた。

    私も、

    「たっぷり入れていただいてありがたいです」

    と笑顔で返した。

    孤独なフリーランス稼業の私には、これだけの会話がうれしかった。

    カフェで仕事を始める。

    周囲の音が気になるタイプなので、イヤホンで音楽を聴き続ける。

    今、とっても欲しいものがある。

    耳に入れない、ヘッドホンタイプの AirPods Max 2である。

    Apple Storeで深く考えずに試してみたら、ぶっ飛んだ。
    音の深さが、まったく違った。
    慣れた世界から瞬時に切り離され、別の次元に一気にワープしたかのような衝撃だった。

    それ以来、買おうかどうしようか、一カ月以上迷っている。

    まず第一に、高すぎる!
    89,800円(税込)。たっか!!

    第二に、五十を超えた中年女性が、あんなファッショナブルなアイテムを身につけてカフェで仕事をしている絵面は、どうなのか。

    若作りと思われる? オバやんが痛々しい?

    うん、自意識過剰なの。

    自意識って、人を不自由にするよね。

    もし、私がAirPods Max 2を買ったと、noteに綴ったら、

    「ああ、自意識の鎖を解き放ったのね」と、頭の隅で思ってください。


    小さな会話に和み、自意識に辟易して迎えた午後、息子のインターハイ出場のことを考えた。

    なんて書くと、自慢げ? そんなつもりはない。息子はレギュラーではないし。だから、正直なところ、ちょっぴり複雑な気持ちもある。

    もちろん、大きな大会にチームの一員として行けることは、すごいことだ。

    でも、親というのは勝手なもので、どこかで「試合に出る姿」を見たいと思ってしまう。努力が、わかりやすい形で報われるところを見たいと思ってしまう。

    そんな気持ちが、自分でも整理できなくて、スマホでいろいろ検索してみた。

    そこでヒットしたのが、ジャンププラスの読み切り漫画だった。

    『インターハイ優勝校の補欠の話』

    バスケットボールのインターハイを舞台に、勝利の裏側で、直前にスタメンを外された三年生の葛藤を描いたストーリーだ。

    スラムダンクのような感動的な場面だけじゃない。
    光が当たる場所があれば、忘れられがちだけど陰もある。

    でも、光が当たる場所だけに、成長があるわけではない。

    外から見れば、目立たないかもしれないけれど、その場所でしか育たない心もある。

    息子はいつも飄々としている。思春期の男子高校生らしく、感情の内側は見えない。

    だから、私が勝手に悔しがるのは違うのに。

    私にできるのは、汗まみれの練習着を洗うこと。くたくたになって帰ってくる息子に、大盛りのごはんを用意すること。朝、送り出すこと。

    それぐらいだ。

    明日は遠方で練習試合があって、息子は始発で出発する。

    みかんは明日の朝も、まるで初めての世界に踏み出すかのような顔で、娘の部屋からリビングへやってくるだろう。

    私はたぶん、眠い目をこすりながらカーテンを開けて、薄暗いキッチンで、朝ごはんを作る。

    明日の朝を、ただの早起きではなく、新しい一日の始まりとして見てみるのはどうだろう。

    息子の一日も、私の一日も、みかんの一歩のように、初めての世界に向かっている。

    そう思えたら、いつもの朝が少し違って見えるかもしれない。

    *タイトルは、岡村靖幸氏の『あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう』への、ささやかなオマージュです(笑)

     
     
    企業取材を中心に活動する50代のフリーライターです。気づけば11年目。元インフラエンジニア。仕事や街歩き、生活の中で感じたこと考えたことを綴っています。ときどき小説も書いています(創作大賞2026中間選考通過☆)。夫+子2+キジトラの保護猫と都内暮らし。なとりの珍味が大好き。

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