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知らないおじと相席 『ゆめゆめ院鬱なかれ』

        1
     週末、東京駅近くのカフェに入った。
     店内は客でいっぱいだった。
     僕は唯一空いていたレジ前の小さなテーブルに荷物を置いてから、注文の列に並んだ。
     会計を終え、レジ横のカウンターで水を汲んでいると、僕の次に並んでいたおじさん客に対して、店員が、
    「席は確保されましたか」
     と訊ねた。
    「うん、取った」
     そう言っておじさんが指さした先は、僕が確保していたはずの席だった。

     へ? 

     慌てて座席を見ると、椅子には僕の荷物の他に、おじさんの荷物がドカン。
     レジの男性店員は当然伝える。
    「あちらは先にお客様がいらっしゃるので……」
     その通りだ。しかし、おじは言う。
    「いい、いい。大丈夫、大丈夫」
     僕は呆気にとられた。店員も、もはや笑っていた。
     店員が何を言っても、おじは「大丈夫」の一点張り。これでは埒が明かないと思った僕は、
    「いいですよ」
     と仕方なく店員に伝えた。
     そうして僕は知らないおじと相席することになった。

       2
    「いやぁ、悪いね悪いね」
     目の前に座った知らないおじさんは、そう言いながらコーヒーをズルズルと飲んだ。
     僕たちが向かい合う丸テーブルはかなり小さく、ときどき膝頭が触れ合うほどだった。そんなだから、僕はおじさんがコーヒーを飲む様子を初めて間近でちゃんと見た。よくバラエティー番組で「何を見せられとんねん!」というツッコミがあるが、そんな日本のお笑い史に刻まれたすべての「何を見せられとんねん!」が軽薄に思えるほどの「何を見せられとんねん!」だった。
     おじは終始ふてぶてしかった。まるで向こうが主役でこちらが脇役であるかのような態度。そんな様子を見ていると「これはもしかして……!」と、僕の頭をもたげる直感があった。

     ――これはもしかして「じつはこの人、資産家でした!」のパターンじゃないか⁈ 
     これ絶対どっかの会社の社長かなんかだよ! 
     じゃないと説明できないもん、このふてぶてしさ。
     あまりにお金を持て余してるものだから常々若者を恵みたくて仕方がなく、この相席もその口実みたいなもので、席を離れるときに「今日は親切にしてくれてどうもありがとう。これよかったら」と言って、何かしらの特典をくれる! そうだ! この人は絶対〈ブルジョアおじ〉だ!
     と、そこまで考えが及んだところで、ようやく僕は目の前のすべてを受け容れる気になった。
     しかし、だからといって知らない〈ブルジョアおじ〉とカジュアルトークを始めるのも戯れが過ぎるというもので、僕は持参したパソコンを取り出し、黙って作業を始めることにした。
    〈ブルジョアおじ〉は黙ってコーヒーをすする。
     しばらくして、
    「おーい」
     カフェの入口側から、女性がこちらに手を振ってきた。女性は〈ブルジョアおじ〉と同年代で、その他数人のおじさんやおばさんと一緒だった。
    「お」
     と女性に気づいたらしい〈ブルジョアおじ〉は手を振り返し、コーヒーを一気に飲み干す。
    「いやぁ、悪いね。ありがと、ありがと」とおじは立ち上がり、こう言った。
    「いやぁ私、迷子になっちゃって。ありがとう。じゃねっ」

      3
     ただの迷子かよ!
     なぜ迷子であそこまで堂々とできるのか。なぜ特典はないのか。なぜブルジョアではなかったのか。
     何もかも解せない上に、一人ほっとするカフェ時間の興も削がれ、いささか幻滅もし、僕は困惑と暇を持て余す前代未聞のカオスに陥った。
     仕方ないのでパソコンを続けることにした。
     それからしばらくして、
     ――どかんっ!
     突然、目の前の椅子に荷物が置かれた。
     へ? 
     顔を上げるとそこには、さっきの知らない〈迷子おじ〉――とはまったく違う知らないおじさんが立っていた。
    「ここ座るね」
     おじさんは小さな声で言った。
     ないないない、だからそんな相席システムないんだって! 
     さすがに心のなかでツッコんだ。
     ここは普通のカフェである。いきなりスタバやタリーズで、「ここ座るね」なんて言って同席すれば、ほとんど変態である。
     知らないおじさんが立て続けに相席を仕掛けてくるなんて、こんな珍妙な出来事は当然いままで一度もなかった。
     それゆえに僕は一瞬状況が読めなかった。
     二、三の間を置き、努めて落ち着く。
     すると――これはもしかして!――と新たな天啓がひらめいた。周囲を見渡す。
     これはもしかして、さっきの〈迷子おじ〉が、仲間のおじたちに「あそこの席なら座れるよ」みたいな変なことを吹き込んだから来た、〈ホイホイおじ〉ではないか。
     しかし周囲をよく見たが、先ほどのおじ集団はなかった。
     その瞬間、僕は驚愕の事実に気づいたのだった。
     ――さっきのおじとは完全に独立した事象のおじが目の前に現れた!
     二人目のおじは、椅子に荷物を置くと、めちゃくちゃデカい声でひとりごとを言いながらレジへ向かった。
     それを見て僕は思った。
     ――はい、この人絶対社長じゃないです。無視しよ、無視!
     僕は黙ってパソコン作業に没頭することにした。

       4
     待て、どういうことだよ!
     注文を終えた〈デカ独り言おじ〉は、席でめちゃくちゃ喋りかけてきた。
     もうこの際、陽気に話しかけてくるのは別によかった。僕も人と話すのは嫌いじゃないから。
     ただこのときある問題が勃発していた。
     それはそのおじが何を言っているのか、一切聞き取れないということだ。
     おじは、ひとりごとはめちゃくちゃデカいくせに、対人になると途端に声が小さくなる〈逆マナーモードおじ〉だった。
     発話に合わせて口の形が変わるから、かろうじて空気の洩れ方が変わっているとわかる、その程度の微々たる声量だった。
     しかし、このときの僕も大変悪かった。
     僕は正直何も聞き取れていなかったのだが、「うんうん」と笑顔で相槌を打ってしまった。
     そんなことだから、おじも興に乗って来るというもので、勢いよく話し込んでくる。しかし口からは依然空気が漏れるに過ぎない。
     僕も相槌を続ける。「へえ。はあ。ふんふん」途中で急にやめるのも変だから続けるしかなかった。
     そんな調子で曖昧に返事をして、互いにとって情報量ゼロのやりとりがだらだらと続けられると、僕も気がおかしくなって、変なことを考えてしまう。
     
     ――全然話を聞き取れない……いや、待てよ。このゼロの状態で、僕はいったいどこまで自然な相槌を続けられるんだろう……?
     
     このいかがわしい好奇心は非常にまずかったと反省している。
     でもそのときは、そう思えた途端に僕も気持ちが楽になって、いよいよデカい相槌を打つようになってしまった。
    「へえ、ああ、そうなんですね!」と僕。
    「*+KJ‘*L@}DIK‘{??+!」とおじ。
    「はいはい、ああ、はいはいはい!」 
    「:・。、‘l;sl;*KL‘%」
     なんてやりとりをしていたら突然おじさんが、

    「へ⁈」目を広げた。

     僕も、
    「へ?」
     その瞬間、僕は気づいた。
     
     ――あ、詰んだ。
     
     僕は絶対打っちゃいけないタイミングで相槌を打った。
     ヤバいヤバいヤバい‼
     頭が途端にガーッと熱を上げ、死に物狂いで次の言葉を探し始めた。
     ここで、「じつはいままで何も聞き取れていませんでした」なんて言えるはずもない! 
     どうしようどうしようどうしよう!
     そうしてほとんど空回りの状態で無茶苦茶になった僕の頭は、必死になって、必死になって、ようやく口を動かした。

    「$’*+)?&%%$(’&*‘」

     こっちもボソボソ喋ることにした。
     
     するとおじさんは、
    「そうそうそう」
     小さな声で、とても大きく頷いた。
     うわっ! 通じたよ‼
     僕のなかに品性の欠片もない喜びがほとばしった。
     同時にもう無理だという諦念が胸の内に膨れ、僕は急いでパソコンを片付けるとその〈ボブルヘッド人形おじ〉に、
    「ごゆっくり」
     と席を譲った。

     
     
    都内大学院生の日常。海外インターンシップ・留学・旅行の記録。階段マニア。

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