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462 追悼・ちばてつや

     今週のテレ玉での再放送、OPの歌詞が入る前にちばてつや先生への追悼メッセージがありました。すでに今週で67話。力石戦の後、ジョーは力石の死因になったテンプル打ちが出来なくなり、三連敗の後で草ボクシングを始めたあたり。実は地方局で再放送が始まるのを事前に知り、ほとんど毎週観ているのです。でもなかなかnoteで報告する気になれず、ちばてつやの逝去の報でようやくその気になったのです。
     21世紀の今改めて見ると、その時代が表現されていることに今さら驚いてます。戦後復興の時代、建設業に人手が集中していた時代。しかしそれに取り残されたように下町長屋も存在していた時代。ちばてつやは連載に当たって山谷地区を取材していたらしく、アニメでも土と埃の住宅区画を存分に表現しています。
     それは風景によるマンガ表現の走りかと。一時期連載期間が被っていた『巨人の星』でもドヤ街があった。しかしこちらはアニメ版ではとくに初期は背景美術が簡素であり、風景で物語ることに成功していないと思う。そう、『あしたのジョー』は人物のいない背景や台詞を言わないキャラクターによる物語りで大成功したあだち充の『タッチ』の先達なのです。
     以上の点はnoteでも指摘していた方がいました。しかしマンガ『あしたのジョー』にはマンガ画としての迫力がある。それを解読するには劇画には二つの潮流があると私には思えたからで。一つは梶原一騎、一つはさいとうたかを。梶原一騎は絵を描けない作家なので別にマンガ家が必要だった。そして劇画だからデッサンの確かさは必要だったはずだけど、それだけでよかったとも言える。それはつまり物語に奉仕するキャラクター(デザイン)。
     しかしさいとうたかをは絵を描く劇画家。それは話しとともに絵の方にも欲が出るということ。門下に池上遼一、『釣りキチ三平』の矢口高雄がおり、門下でないが『カムイ伝』などの白土三平もこの系譜にあると言える。それは一枚絵、絵画として額縁に飾っても通用する絵。

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    『カムイ伝』より
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    『あしたのジョー』より

     白土三平とちばてつやの画を比べてみましたが、上は白、下は黒が目立つものの、この一枚だけで十分各々のマンガを表現してると思う。しかも『あしたのジョー』はボクシングマンガ。そのウェイトで戦える筋肉のついた体型を始終描かなければならない。もちろん目つきに闘志が漲っていなければならない。そんな画が絵としての価値も持つというのは私には当然と。
     しかしそれはその時にしか描き得ない絵で、事実連載が終わってからもジョーを描く機会があったちばてつや、当時の画にはどうしてもできなかったと。

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    当時のちばてつやの画

     ちばてつや先生、本当にお疲れさまでした。あなたの他のマンガ、これかせら少しずつでも読んでいきます。(大塩高志)

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