
【随筆】時雨月|異称
十月を、神無月という。
出雲に神々が集い、国々の神が留守になる月。
そんな話は、子どもの頃から何度か聞いたことがある。
神様たちにも一堂に会する都合があるらしい。
けれど十月には、もうひとつ、僕の好きな呼び名がある。
時雨月(しぐれづき)。
秋も深まり、時雨が降り始める頃だから、そう呼ばれるという。
神様がいなくなる月より、雨がやってくる月のほうが、今の僕にはなんとなくしっくりくる。
そもそも、時雨とは。
晩秋から初冬にかけて、降ったかと思えば、すぐに止む雨のことをいう。
さっきまで晴れていた空が、ふいに曇る。
ぱらぱらと雨が落ちてきたかと思えば、しばらくすると雲が流れ、また陽が差してくる。
降り続く秋雨とは、少し違う。
通り雨、と言ってしまえばそれまでなのだけれど、昔の人は、その雨に「時雨」という名前をつけた。
いい名前だな、と思う。
雨そのものではなく、晴れから雨へ、雨から晴れへと移っていく時間まで、ひとつの言葉にしたように感じる。
さて。
これを沖縄で言われると、少し困る。
十月である。
暦の上では、秋もずいぶん深まっている。
ところが、外へ出れば暑い。
沖縄の夏は、まだ腰を上げる気配がない。
昼間の陽射しはまだ強く、木々は赤くも黄色くもならない。
公園の木陰に入ると、頭の上には青々とした葉が茂っている。
秋らしい紅葉を探したところで、そう簡単には見つからない。
それでも、木陰に入ったとき、
「あれ」
と思うことがある。
風が、少しだけ涼しい。
空を見上げれば、夏とは少し違う雲が流れている。
青い空には、まだ夏がいる。
でも、木陰を抜ける風には、秋がいる。
沖縄の秋は、景色をいっぺんに塗り替えてやって来るのではないのかもしれない。
夏の隙間から、少しずつ顔を出す。
だから僕は、十月の沖縄で時雨を待つというより、時雨月という言葉に似合うものを探してみようと思う。
風だったり。
雲だったり。
木陰の涼しさだったり。
昨日までとは少し違う夕暮れだったり。
そうやって探していると、季節というものは、カレンダーが教えてくれるものではなく、自分の身体で見つけていくものなのかもしれないと思えてくる。
そして、もし本当に時雨がやってきたら。
降ったかと思えば止み、また陽が差す。
なんとも風情がある。
軒先で雨宿りしながら、移ろう空を眺める。
そんなのも悪くない。
とはいえ。
すぐに止むからといって、濡れてはいけない。
風邪を引く。
やっぱり年齢は正直だと思う。
若い頃なら、
「これくらいの雨なら、そのうち止むさ」
と、そのまま歩いていたかもしれない。
今は違う。
雨宿りする。
ちゃんとする。
昔、「春雨じゃ、濡れて参ろう」なんて粋な台詞があったけれど、
僕には、もう無理である。
侮れぬ
濡れて参れぬ
時雨月
風情より、
体調管理である。