櫻谷が頻繁に訪れていた東京のこと(2)・・いろいろな人たちとの繋がり ~ 大正12(1923)年9月1日 午前11時58分 関東大震災 焼失世帯 日本橋区100% 本所区100% 深川区82.6%
櫻谷が定宿にしていた日本橋区本石町三丁目の大友旅館も、深川区亀住町二丁目の懇意にしていた小津氏の湯浅屋も被災焼失しました。
櫻谷の東京での多くの知人、友人も直接間接被災されることになりました。
結城素明氏、鏑木清方氏、あるいは伊東深水氏も





関東大震災の前、3年前の第二回帝国美術院美術展覧会(帝展)から第三回、第四回、審査委員に任命されています。その審査委員会で、多くの知己 を得ていたようです。
第2回(大正9(1920)年)には櫻谷の二歳年上、東京本所荒井町1875年生まれの結城素明(結城貞松)氏、一歳年下、東京神田佐久間町1878年生まれの鏑木健一(鏑木清方)氏とも委員会で同席しており、この頃から懇意にするようになったのではと思われます。





第3回(大正10(1921)年)には、再び結城素明(結城貞松)氏、





第4回(大正11(1922)年)には、結城素明(結城貞松)氏、鏑木健一(鏑木清方)氏と委員会で同席することになったようです。










このように、東京で会うことになったほぼ同年代の方々と生涯の付き合いになったのではと思われます。
大正12(1923)年9月1日 午前11時58分 関東大震災
関東大震災で東京中心部が壊滅的被害があり、延期になった第5回帝展が復興さなかの東京、上野上野竹の台陳列館で大正13(1924)年10月15日~大正13年11月20日に開催されました。櫻谷は審査委員を任命されており審査委員会には震災後に幾たびか東京を訪れていたと思われますが、その間の情報については何もありません。
第5回帝展には多くの作家さんが被災したと思われますが、非常に多くの作品が出品されました。





第5回帝展の出品作に地震をテーマにしたものはありません。どちらかといえば大変穏やかな作品が多く出品されていました。それほど多くの人が打ちのめされていたものと思います。




この第2回帝展の16年後の昭和11年、櫻谷が帝展に出品しなくなった後の最晩年、昭和11年に結城素明氏の「非売品」著書「東京美術家墓所誌」を献本されています。


また鏑木清方氏、清方氏夫人からの手紙、櫻谷逝去にあたって清方氏からのお悔やみ、香典をいただいております。




このように結城素明氏、鏑木清方氏など東京で知己になった方々とその後も生涯にわたってお付き合いさせていただいていたようです。
鏑木氏との関係と直接に関係するものではないとは思われますが、鏑木氏の弟子、櫻谷とは20歳以上離れている伊東深水氏(東京深川森下の生まれ)との展覧会が大森白木屋で開催されています。
