中将姫と薬ー宇陀市の「薬の館」
奈良県の観光情報サイト『祈りの回廊』に、中将姫が當麻寺で出家した後で、寺に伝わる薬草の知識を得て、それをかつて助けてくれた宇陀の人たちに教えたとあります。宇陀市には、宇陀市歴史文化館(薬の館)があります。この施設は細川家の屋敷を改修した資料館で、建物は江戸時代末期のものです。細川家は文化3年(1806)から薬問屋を営んできた家柄で、藤沢薬品の創業者である藤沢(澤)友吉の母の実家であることから、細川家に関する資料の他に藤沢薬品に関する資料も展示されており、東京支店に掲げられていた鍾馗(しょうき)の大看板も展示されています。また、この薬の館の表に掲げられています銅板葺唐破風附看板は往事の繁栄ぶりを今に伝えています。場所は奈良県宇陀市大宇陀上(おおうだかみ)2003。近鉄大阪線榛原駅からバスで大宇陀高校前下車徒歩10分。月曜と火曜休館。そのいずれかが祝日の場合は水曜休み。他に12月15日~1月15日休み。入館有料。
藤沢友吉(ふじさわともきち、1866~1932)は伊勢国に生まれ、少年時代から大阪に出て薬品問屋に勤め、旧尼崎藩医藤沢新平の養子となり、明治27年(1894)大阪で独立。明治31年(1898)大阪市北区天満に樟脳精作所を設立、藤沢樟脳を発売します。昭和5年(1930)に株式会社藤澤友吉商店を設立します。藤沢薬品は平成17年(2005)に山之内製薬と合併してアステラス製薬となりました。鍾馗は藤沢薬品のシンボルマークでした。そのわけは、樟脳(しょうのう)を売り出した友吉が大阪市内の工場に向かう途中、天満橋の道具屋で破邪の剣を掲げた鍾馗像を見つけ、病疫を防ぎ退ける効能を訴えるのにうってつけと、シンボルマークにしたそうです。鍾馗は主に中国の民間伝承に伝えられる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効果があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したり、鍾馗の図像を旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりします。鍾馗の図像は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけた姿をしています。鍾馗の起源について、唐の玄宗皇帝がマラリアに罹患した時に、夢に鍾馗が現れ病の原因である鬼を食べる夢を見て、目が覚めたら病気が直っていたので、その姿を画家に描かせたというものです。鍾馗がいつ日本に伝わってきたのかははっきりしませんが、最も古い鍾馗の像が平安時代末期の絵に描かれています。平成25年(2013)12月1日に若宮八幡宮社の境内に日本初となる鍾馗を祀った鍾馗神社が創建されました。若宮八幡宮社(わかみやはちまんぐうしゃ)は陶器神社とも呼ばれ、京都市東山区五条橋東五丁目409にある旧郷社。主祭神は応神天皇▪︎仲哀天皇▪︎神功皇后。当社は天喜元年(1053)が仏説にある末法の1年目にあたることから、後冷泉天皇の勅命により源頼義が自邸内に石清水八幡宮の若宮(新宮)を造営したのが始まり。8月9日には陶器神社祭が清水焼の陶器市に併せて斎行されます。京阪電車「清水五条駅」から徒歩約10分。