メインコンテンツへスキップ
見出し画像

St. Palaye(サン・パライエ)とはどの様な人か

    St. Palaye(サン・パライエ)とは、18世紀フランスの著名な歴史学者であり、ヨーロッパの中世騎士道研究のパイオニアとなった人物です。 [1, 2]

    本名はジャン=バティスト・ド・ラ・キュルヌ・ド・サント=パライエ(Jean-Baptiste de La Curne de Sainte-Palaye)といいます。 [1, 2]

    新渡戸稲造が『武士道』で彼の名前を挙げた背景を含め、どのような人物だったのかを分かりやすく整理しました。 [1]

    1. 騎士道研究の第一人者

    彼は中世フランスの古い文献や原稿を熱心に集め、それまで忘れ去られていた「騎士(ナイト)の生き様や文化」を現代によみがえらせました。彼の書いた『古代騎士道論』(1759年)という本は、ヨーロッパ中で大ベストセラーとなり、当時の「騎士道ブーム」の火付け役となりました。 [1, 2, 3, 4, 5]

    2. フランスのアカデミー会員

    非常に優秀な学者で、若くしてフランスの権威あるアカデミー(学術団体)の会員に選ばれました。当時の大哲学者であるボルテールやルソー、歴史家のギボンなどとも交流がありました。 [1, 2, 3]

    3. 『武士道』における役割

    サン・パライエは、著書の中で「なぜヨーロッパの騎士道は衰退してしまったのか」という原因をいくつも分析しました。

    新渡戸稲造は、彼の分析した「フランス独自のローカルな原因(例:当時の王室の政治的な変化など)」は日本には当てはまらないけれど、「もっと大きな時代の流れ(商業の発展など)」は、日本の武士道が消えていく原因と同じだと説明するために、彼の名前を引用したのです。 [1]

    関連記事


    画像
    Twin 双子だったのですね



    あなたへのおすすめ