メインコンテンツへスキップ
見出し画像

なぜ孟子は長らく禁書とされたのか

    孟子が長らく禁書(検閲・規制の対象)とされた理由は、彼の思想が「君主の絶対的な権力を否定し、王朝の交代(革命)を肯定する、当時の支配層にとって極めて危険な民主的理論」を含んでいたからです。

    具体的には、以下のような孟子の革新的な理論が、既存の社会秩序を揺るがす「過激な思想」とみなされました。

    1. 易姓革命(えきせいかくめい)論
     
    孟子は、天から与えられた使命(天命)に背いて民を苦しめる暴君は、天に見放され、新たな有徳者によって打倒されてもよいという「放伐(ほうばつ)」を肯定しました。これは、君主が絶対的な存在ではなく、民を幸せにできない者は王の資格を失うという理論であり、絶対的な権力を維持したい時の権力者(特に明の太祖・洪武帝など)から強く警戒されました。

    2. 民本主義(みんぽんしゅぎ)
     
    孟子は「民を貴しと為し、社稷(国家)はこれに次ぎ、君を軽しと為す」(民が最も重要であり、国家がそれに次ぎ、君主は最も軽い)と断言しました。この徹底した民衆中心の政治観は、君主至上主義の社会秩序を根本から覆しかねない、非常に「民主的」かつ過激なものとして映りました。

    3. 王道政治と仁政の要求
     
    君主に対して武力(覇道)ではなく、徳と仁愛(王道)による政治を強く求めました。これができない君主は「ただの泥棒(一夫)」にすぎないと批判したため、専制政治を行う支配者たちにとって、彼の著作(『孟子』)は都合の悪い危険思想の書となったのです。

    歴史的な具体例(明代の弾圧)
     
    中国の明の初代皇帝・洪武帝(朱元璋)は、『孟子』を読んで激怒し、一時は孟子廟から彼の位牌を撤去させました。さらに、上記のような君主の権威をおとしめる危険な箇所をすべて削り取った『孟子節文』という検閲版を作らせ、それ以外の完全な『孟子』を読むことを禁止(禁書化)しました。

     このように、引用文にある「強制的で、しばしば非常に民主的な理論(forcible and often quite democratic theories)」は、まさに孟子の「民貴君軽」や「易姓革命」の思想を指しており、それが「既存の社会秩序を覆す危険なもの(dangerous to, and subversive of, the existing social order)」とみなされたため、長らく検閲(censure)の対象となったのです。

     我が国でも、「孟子を積んだ船(中国からの船)は沈む」と言われていた。

    関連記事

    画像


    あなたへのおすすめ