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新渡戸稲造先生はなぜ西洋の古典・文学に極めて詳しかったのか

    新渡戸稲造が聖テレサやアンティゴネ、ジョージ・エリオットといった西洋の古典・文学に極めて詳しかった背景には、彼の驚異的な読書量と、明治期という時代が生んだ特殊な教育環境・海外経験が深く関係しています。
    彼が並外れた西洋の教養を身につけた理由は、主に以下の4つの要因に集約されます。

    1. 10代から「英語で」学問を修めた教育環境
    新渡戸は15歳で札幌農学校(現在の北海道大学)に第二期生として入学しました。当時の札幌農学校は、お雇い外国人教師たちがすべての授業を英語で行うという徹底した環境でした。
    彼はここで、単に農学を学ぶだけでなく、英語の文学や歴史、哲学の原典をそのまま読み解く基礎を徹底的に叩き込まれました。

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    札幌農学校で内村鑑三などの同期生と議論する内村鑑三 想像図 w / nanobanana2
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    1891(明治24)年3月、新渡戸は妻メリーとともに札幌におもむき、札幌農学校教授として働く。この写真はそのころに撮影された。彼の活動は農学校だ けにとどまらず、スミス女学校(現北星学園)や遠友夜学校の設立にかかわり、多くの人々に勉強をする機会を与えた。右側の人物が新渡戸、左側の人物は同郷人で、後に北海道帝国大学初代校長となる佐藤昌介。(加藤武子氏提供)
    https://www.mfca.jp/senjin/nitobe/shiryou


    2. 生涯で数万冊を読破した「乱読家(本の虫)」
    新渡戸は幼少期から凄まじい読書家(ボラシャス・リーダー)でした。

    • 東京大学に在学していた20代前半の頃、神田の古本屋街に通い詰めて洋書を買い漁り、「大学の講義よりも、自分で洋書を乱読する方が遥かに学べる」と退学してしまったほどです。

    • 一説には、生涯で集めて読破した蔵書は数万冊に及ぶと言われており、文学、宗教、哲学、歴史など、専門の農学を超えてあらゆる西洋の知識を吸収していました。

    3. アメリカ・ドイツへの長期留学と国際結婚
    20代から30代にかけて、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学やドイツの大学へ留学し、通算で約7年間を欧米で過ごしました。
    さらに、留学中にアメリカ人女性のメアリー・エルキントンと結婚したため、家庭内の日常生活そのものが英語圏のカルチャーとなりました。これにより、単なる「お勉強」としての知識ではなく、西洋人が教養として嗜む文学や名言が自然と血肉化していきました。

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    メアリー・エルキントンと新渡戸稲造

    4. 「太平洋の橋」になるという強い目的意識
    新渡戸は若い頃から「願わくは、われ太平洋の橋とならん」という大志を抱いていました。
    名著『武士道』を執筆した最大の理由は、西洋の友人から「日本には宗教教育がないのに、どうやって道徳を教えているのか?」と問われ、答えに窮したことでした。
    日本独自の精神(武士道)を西洋人に正しく理解してもらうためには、彼らが慣れ親しんでいるキリスト教の聖人(聖テレサ)やギリシャ悲劇(アンティゴネ)、シェイクスピアなどの言葉を「引用」して比較するのが最も効果的であると、新渡戸は知っていたのです。

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