
可愛いの行方
クローゼットに眠ったままのアクセサリーを断捨離した。
先日、実家に帰ったとき、母が自分のネックレスをあげると言い出した。
母は昔からおしゃれなところがある。昼過ぎには化粧直しを怠らない。髪型も洋服も、どこか個性的なものを選んでいた。もちろんたくさんのネックレスは、主張が強いものばかりだ。
今、母は日中はほとんどベッドで過ごしている。それなのに、その日の洋服に合わせてネックレスを首からかけている。
私は寝てるとき邪魔じゃないのかと思うのだが、おしゃれさんは美意識が違うのだろう。おしゃれは我慢か楽しみか、私にはさっぱりわからない。
母の持っている個性的なネックレスは、私の日常に入る場所はなかった。
私も昔はアクセサリーが好きだった。どちらかというと小ぶりのものだ。ここぞというときはもちろん、普段でもつけていたように思う。可愛いアクセサリーを身につけると、見た目も心も可愛くなった気がしていた。あの頃の私が一番おしゃれさんだった。
私は可愛くなりたかったのだと思う。可愛らしく見られたかったのかもしれない。きれいでもなく、個性的でもなく、可愛いに憧れていたように思う。
付き合っていた人からもらったアクセサリーは、可愛いと言われている気がしていた。だから身につけるときの高揚感は半端なかったのだと思う。
気づけば普段はつけなくなっていた。忙しさに追われて、楽しめなくなったのか、それとも私の中で何かが起こっていたのか、思い返してもよくわからない。
それでも冠婚葬祭や子供の入学式や卒業式には、それなりにアクセサリーをつけていた。たぶん、おしゃれを楽しんではいない。その場の雰囲気に合わせただけだったと思う。
私はおしゃれを忘れてしまったのだろうか。
恐る恐るアクセサリーをつけてみた。
母の個性的なネックレスをつけたときも、クローゼットの中に眠っていたペンダントをつけたときも、鏡に映る私は、いかにもとってつけた姿だった。
とてもじゃないけど、おしゃれさんではない。すぐに外した。
クローゼットに眠ったままのアクセサリーは、もう出番はないだろう。私は過去に頑張ってくれたアクセサリーを断捨離することにした。
私の中のおしゃれさんはいなくなったのだろうか。
昔は可愛いアクセサリーをつけた自分を見るのが楽しかった。
今はどうかなあ。
年をとった今でも、可愛いは捨てたくない。でも今はアクセサリーだけでは可愛くなれない気がした。
ひょっとすると、私の中の可愛いが変わってしまったのかもしれない。
私はどこを可愛いと思われたいのだろう。
私のどこを可愛くしたいのだろう。
まだよくわからない。