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社会人偏差値35の僕に留年の選択肢すらない

     物心ついた頃から、僕は優秀な子だった。
     小学生の頃から勉強が得意で、特に難しい漢字をたくさん知っていたので「漢字博士」と呼ばれた。
     中学生の頃は期末テストで決まって一番か二番、五番以内からは落ちたことはなかった。生徒会長を務めたこともあった。
     高校は県内で一番偏差値の高いところに通った。その中でも成績は良く、特に英語はクラスで一番になることも珍しくなかった。
     大学は東京の国立大学に進学。外国語に興味があったので、その中でもおもしろそうなタイ語を勉強した。そのまま大学院に進学し、留学にも行かせてもらった。
     そして就活では五社から内々定をもらい、その中でも五段階の選考を突破した独立行政法人に就職。東京都心で二年三か月働いた。
     その後は仕事を辞め、かねてからの夢であった日本一周を一年以上かけて楽しんだあと、新天地で再就職。残り約三十年の社会人生活でも、輝かしい成績を残し続けましたとさ。
     めでたし、めでたし。

     しかしこれは、あまりにも「美しい」物語である。

    ◆

     また突然、会社を休んでしまった。
     昨日中に終わらせなければならない仕事が終わらなくて、一旦寝てから早起きして片付けるしかないと思って、翌朝目は覚めたものの起き上がれなくて、そのうちに通常の起床時刻すら過ぎてしまって、結局私は朝に敗北した。
     上司には精神的な理由で起き上がれないことを電話で報告した。先月も同じようなことがあり、心療内科にもかかっているので、上司にはすぐに状況を理解してもらえた。俺は敢えて変に気を遣ったりしないけど、と前置きしたうえで上司は言った。
     君のチームのメンバーは、君が一人で仕事を抱え込んで、ワンチームで仕事できてへんことを心配してたよ。頼んだらみんなやってくれるから、ばんばん頼み。
     本当にすみません、と言おうとしたが、喉がぎゅっと締まってまともに声が出なかった。君は悲劇的に物事を捉えすぎやねえ、と上司はいつものように笑った。

     私は今、あるプロジェクトのリーダーのような立場にある。決して抜擢されたのではなく、前任者が会社を辞めることになって、他にやる人もいないので、気づいたら私が後任になっていた。
     自分一人で仕事を抱え込むのが私の悪い癖だということは知っていた。人に仕事を頼むということは、たしかに得意な人の方が少ないかもしれないけれど、私は特に苦手だった。仕事を頼むことは「人に話しかける」ことであり、それは私にとって最も心理的なハードルの高い行為の一つだった。
     仕事を溜め込んでいると、あらゆるスケジュールがぎりぎりになる。そうすると万全に準備できていない成果物を提出せざるを得ず、その完成度の低さに周りを失望させることになる。その後言われることは決まっている。「もっと早く言ってくれへんと」。
     頭ではわかっているのに体がついていかず、日常のスピードに置いていかれ続ける。今の私は明らかに「できない」側の人間である。

     挫折を味わったのは今回が初めてではない。
     東京の職場を辞めたのは「日本一周」の夢を叶えるため、と冒頭で言ったが、それは後付けの理由である。本当は、優秀な同僚に囲まれ、何もできない自分を直視することから逃げるためだった。ただその頃は、正論ばかり言って煙たがられていた同僚が一人いたことで、幸か不幸か私の悪癖がそこまで目立つことはなかった。
     しかし今の職場に変わったところで、私の社会人生活は好転しなかった。むしろ会社を休みがちになったことで周りに迷惑をかけるようになり、状況は絶望的に悪化した。
     社会人という概念には、もともと漠然とした抵抗感があった。大学院に進学したのも、特に研究したいテーマがあったからではなく、モラトリアム(社会人への猶予期間)を延長したいという理由が第一だった。そして社会人を二度経験した今、やはり思う。社会人に向いている人なんて多くはないかもしれないが、それでも私は、特に向いていないのだと。

     本当は職場に行くはずだった平日、夕方まで鉛のような体をベッドに沈み込ませていると、今まで私の中にあったはずの自尊心はいったいどこへ行ってしまったのだろう、という思いが脳裏をよぎる。
     小学生時代から大学生時代に至るまで、私は「できない」側にいたことがほとんどなかった。それは学業の評価が最大の割合を占めていたからに他ならない。中学時代はソフトテニス部でレベルの低い方に分類されていたが、勉強はできていたので、スポーツが苦手なことは自尊心の低下には繋がらなかった。
     しかし本来、自尊心とは「〇〇が他人よりできるから自分は素晴らしい」という相対的なものではない。相対的な自尊心は、一定の条件から外れた瞬間に揺らいでしまう脆弱性を孕んでいる。
     そうではなく、「自分は自分であってよい」という絶対的な自己肯定こそが純粋な自尊心であるはずなのに、私は長い間「できる」側にいたことによって、心の中に無意識な傲慢を育ててしまった。もちろん成績によって人を貶めるような言動を取ったことはないが、そんな言い訳はもはや意味がない。
     現に今、仕事が他人よりできないから自分は駄目な人間だ、という認識が自分の中に蔓延している以上、過去二十年以上にわたる周囲への傲慢は、まるでアレルギーのように、私を内側から攻撃し続けている。

     アナフィラキシーショックのような息苦しさを覚える一方で、自己憐憫に浸り続けていることもナンセンスだと思う。自分の社会人偏差値が平均を大きく下回っているからといって、クライアントがいる以上、仕事は待ってくれないからだ。本当はしばらく休みたいが、現実問題そうなると会社が回らなくなる、ということは上司からも聞いている(それはそれで脆弱な体制すぎないか、とは思うが、言っても仕方のない話である)。
     それなら情けない話だが、これから「絶対的な自尊心」を育んでいくしかない。自分の中でできることとできないことをできるだけ正確に把握し、その全てを「まあ、これが自分だしな」と受け入れる。できないことはできない。できる人にやってもらう。できそうでできないことを無理にやろうとすることは悪。結局できなくて引き籠ろうとすることはもっと悪。
     自分で自分を大切にできてさえいれば、きっと堂々と生きていける。誰かに嫌われることに過剰に怯える必要もない。『けいおん!』のEDでも、「自分を愛さなきゃ他人も愛せない」と歌われていた(世代の色濃く出る喩え)。
     本当の意味で自分を愛せるようになるために、今回私は、冒頭で「無意識な傲慢」を羅列し、意識の中に引っ張り出した。この意識は消えるわけではなく、これからも相対的な自尊心に養分を与え続けるだろう。そういう醜悪な自分も受け入れなければならない。
     そのうえで、絶対的な自尊心の割合を増やしていければ、ありのままの自分を許容し、できないことを他の人に頼りながら、謙虚に生きていけるかもしれない。苦しい日々は続くけれど、いつかブレイクスルーの時期がやって来るかもしれない。
     夜、それが夢物語にならないことを祈りながら、充電の切れたパソコンのように目を閉じる。

    ◆

     物心ついた頃から、僕は優秀な子だった。
     小学生の頃から勉強が得意で、特に難しい漢字をたくさん知っていたので「漢字博士」と呼ばれた。
     中学生の頃は期末テストで決まって一番か二番、五番以内からは落ちたことはなかった。生徒会長を務めたこともあった。
     高校は県内で一番偏差値の高いところに通った。その中でも成績は良く、特に英語はクラスで一番になることも珍しくなかった。
     大学は東京の国立大学に進学。外国語に興味があったので、その中でもおもしろそうなタイ語を勉強した。そのまま大学院に進学し、留学にも行かせてもらった。
     そして就活では五社から内々定をもらい、その中でも五段階の選考を突破した独立行政法人に就職。東京都心で二年三か月働いた。
     その後は仕事を辞め、かねてからの夢であった日本一周を一年以上かけて楽しんだあと、新天地で再就職。残り約三十年の社会人生活でも、輝かしい成績を残し続けましたとさ。
     めでたし、めでたし。

     しかしこれは、あまりにも美しい「物語」である。

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