
『平場の月』―― 川の風景と日常が特別になる時
何歳まで堂々と恋愛できるのだろうか。
30才を過ぎて時折そんなことを考える。
「平場の月」は50代の男女のラブストーリーだ。
思えば多くの”ラブストーリー”の主役は若者向けで、年齢を重ねるほどに”不倫”や”禁断の愛”と呼ばれる作品が増えるように思う。
それは多くの人が結婚し、新たなライフステージを迎えるのだから当然ともいえるだろう。
本来、恋愛に年齢は関係ないはずだが、「恋愛=若者の特権」と知らぬ間に刷り込まれてたのかもしれない。
その点で50代を主役にしたラブストーリーは新しい。
今作の予告編は何度も映画館で見ていたが、「恋愛=若者の特権」と刷り込まれていた僕はこの作品をスルーしてしまっていた。
きっかけは日曜天国
公開直前の日曜日。TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」を聴いていたところ、主演の堺雅人がゲスト出演していた。
映画主演は「DESTINY 鎌倉ものがたり」以来で8年ぶりと聞いて驚いた。
たしかに近年の主演作品を思い浮かべても、「VIVANT」「半沢直樹」といった日曜劇場のイメージが強い。
劇中で堺さんは印刷工場で働き、その姿が様になっているらしい。
撮影の合間の井川さんとのエピソードも微笑ましく、その雰囲気にも惹かれるものがあった。
その翌日、星野源の主題歌が流れるスペシャル・ロング・トレーラーが解禁され、僕のYouTubeのおすすめにもあがった。
源さんの歌声にのせられた穏やかな映像に魅せられて、次の週末には見に行くことを決めた。
朝霞市と川の穏やかな風景
今作の舞台は埼玉県・朝霞市。
東京との県境にあり、池袋から電車で20分もあれば行ける。
自分は足を運んだことのない街だが、自然と生活が日常に調和した
東京近郊の風景に魅力を感じた。
行ったことがないのに、行ったことがある気がする。
そんなデジャブにも似た匂いと空気感がスクリーンから感じられた。
劇中で川や土手が何度出てくるが、その雰囲気も良かった。
堺雅人演じる「青砥」は工場の同僚たちと河原で昼食を食べ、井川遥演じる「須藤」は川沿いのアパートで暮らしている。
僕は川が好きでよく河原や土手を散歩しているが、まさに理想の風景だった。
また、朝霞市と聞いて同市出身の乃木坂46卒業生の新内眞衣さんの話を思い出した。
かつて担当していた『乃木坂46のオールナイトニッポン』で、「埼玉県民は初日の出に川へ行く」「海ではなく川に集まりがち」と自虐気味に話していた。
劇中の川のシーンを見て「まいちゅんが話していた川はここかな」なんて思いを馳せた。
正直、羨ましい。
僕は川の近くの高校に通っていたが、あまりにも広すぎる川だった。それはそれで開放的で僕にとっての青春の風景ではある。
ないものねだりだが、穏やかな川の風景が輝いて見えた。
そのやさしい風景が作中の二人とともにあり、生活の一部として日常に溶け込んでいるようだった。
恋愛は何歳まで?
記憶違いがあるかもしれないが、以下の二人のやりとりが印象的だった。
「自転車の二人乗りは何歳までしてよいんだろう」
「21,22才くらい…アラサーの新婚夫婦なら許されるんじゃない?」
「ディズニーランドは?」
「いっそのこと、よぼよぼになった方が」
「ただし小綺麗に限る」
「やっておけば良かった、私地味だったから」
僕が20歳くらいの時によくこんなことを考えていた。
大学生になり自由な時間が増え、法律的にも「成人」になった。
大人になるのと引き換えに、日に日に遠ざかる青春。
今思えば当時もまだまだ若く、青春の最中だった。
それでも、制服を着た年齢もそう変わらない後輩たちが眩しく輝いて見えた。大切なものに失ってから気づく。
「もっと勉強しておけばよかった」
「制服ディズニーもしたかった」
「ちょっとした悪さをしても良かったのかも」
戻れない過去へのあこがれと後悔。
僕が青春を送れるリミットは過ぎた。諦めるしかない。
当時は自分が情けなく、ふがいなさを感じていた。
劇中のセリフに戻るが、ディズニーランドには何歳まで行けるのか。恋人と手をつなぎ、カチューシャをつけたりしてはしゃげるのか。
答えは当人同士次第。自分たちがやりたい、良いと思えば年齢は関係ないはずだ。
大人になって振り返ると、僕の描いた”青春”は幻想に近いと気づく。
映画の本筋とは関係がないようだが、当時の僕自身を思い出し、どこか救われるような思いだった。
特別な日常
物語の中盤、青砥が須藤の誕生日に「温泉に行かないか」と誘うシーンがある。
詳細なセリフは覚えていないが、須藤はそれを「今は日常を大切にしたい」そのようなニュアンスで断っていた。
今作は一貫して”日常”が丁寧に描かれている。
自転車で通勤し印刷工場で働く青砥。病院の売店で働く須藤。
気取らない居酒屋で乾杯し、時に宅飲みをする二人。
郊外で暮らす50代の二人の日常が、穏やかな川や陽射しと共に描かれていた。
その最中にいると忘れがちだが、何気ない日々は特別だと思わされる。
僕があこがれていた青春の風景も新内さんの話す川のエピソードも日常の延長線上にある。
恋人と過ごす日々も特別だったものが、やがて日常へと変わる。
僕はそんな特別な日常に憧れを抱いていたのだ。
僕の毎日も渦中にいると気づかないだけで、時がすればそれも特別なものになるのかもしれない。
この作品を見ながら、日常が特別になる時の流れの儚さと美しさに改めて気づかされた。
いきどまり
源さんが歌う主題歌「いきどまり」は映画公開と同日に配信された。
この曲が流れ終わるまでが本編。
そう強く思わせてくれるほど作品の世界観にぴったりで、エンドロールで聴きながら余韻に浸った。
この曲のタイトルがひらがなであることについて、堺さんが舞台挨拶で「絶対に意味がある」と話していたのも印象的だった。
“行き止まり”は行くと止まるの複合動詞。“行くと止まる”もそうだけど、“生きると留まる”という意味もあるのかなと思った時に立場と意味がぐっと反転する。今まで『さようなら』だったものが、『さようならじゃない』と思った瞬間に、ゾゾッと来ました。そうとも読めるし、ひらがなにしているタイトルは絶対に意味があるはずなので。なんて素晴らしい言葉を最後に残してくれたんだろう、星野源さんはと思いました
https://news.yahoo.co.jp/articles/9c40f62ec739364760d6897650952e1d26225422
源さんが紡いだ言葉を、堺さんがここまで深く掬い上げる。
背筋がぞぞぞと震えるような思いだった。
堺さんの言葉を借りると「さようならじゃない」。
そう思えた時に、この曲がそっと二人を包み込む理由が分かった気がした。
また、堺さんが熱く話す姿を見て、いつか『オールナイトニッポン』にゲスト出演して欲しいと思った。
源さんとのお話が聞けたらと願っている。
時間をかけて育っていく
「平場の月」は”日常が特別になる”作品だった。
50代のラブストーリーだが、それに気づいた時に自分の青春時代やこれまでの人生の見え方も変わるものがあった。
自分が50代になるまでは、あと20年弱。
どんな50才になっているのだろうか。
10年後の自分はイメージできても、20年後と言われると難しい。
その時には今の自分も懐かしく、認められるのだろうか。
その時には、きっとこの作品を見返すだろう。
そして、それまでの歩みを振り返り、それからの日常に想いを馳せたい。
今作はこれから時間をかけて僕の中で育っていく映画になると思った。