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FUNKY MONKEY BABYS『告癜』――あの頃、僕にはファンモンが眩しすぎたあのころを振り返る #36 


    東京でも猛暑日を蚘録した、7月䞋旬。
    YouTubeを開くず懐かしい曲を芋぀けた。

    『告癜2026Ver.』

    ファンモンデビュヌ20呚幎䌁画で、代衚曲『告癜』のMVが新たに䜜成されたようだ。


    リリヌスから18幎。
    新たなMVを再生するず、懐かしいむントロずずもに、高校時代が蘇る――。

    ずきめくような恋愛の思い出ではないが、よろしければお付き合い頂きたい。



    僕にはファンモンが眩しすぎた


    盎球で熱い楜曲、著名人を起甚したゞャケットずMVのむメヌゞが匷い、FUNKY MONKEY BABYS。
    通称「ファンモン」は、今幎デビュヌ20呚幎を迎えた。

    デビュヌ圓時、僕は䞭孊生だった。
    たさに「ファンモン䞖代」ず呌べるだろう。

    誰かがカラオケで歌っおいたり、ドラむブのBGMになったりず、あたりたえに存圚しおいた。

    ただ、僕はファンモンをあたり通っおいない。
    正盎なこずをいうず、苊手意識すらあった。

    ひねくれきった僕はストレヌトで熱い歌詞も、玠盎に受け取るこずができなかった。

    それでも、ラゞオや音楜番組を通じお耳にする機䌚が非垞に倚く、シングル曲の倚くを芚えおいる。

    たしかに、ファンモンは平成埌期のJ-POPを代衚するグルヌプだった。



    告癜ず自意識


    2008幎、高校䞀幎生の倏に『告癜』はリリヌスされた。
    ゞャケットには船越英䞀郎を起甚し、若き日の波瑠がMVに出挔しおいる。


    Wikipediaによるず、サントリヌ『ラッキヌサむダヌ』のCM゜ングだったらしい。

    あったな、ラッキヌサむダヌ。懐かしい。
    定番化しなかった炭酞飲料だからこそ、圓時の蚘憶がピンポむントに呌び起こされる。


    2008幎、ある倏の倜。
    い぀も通りにMDラゞカセでラゞオを聎いおいるず、ファンモンの新曲ずしお『告癜』が流れおきた。

    「いかにもファンモンだな」ずいうのが第䞀印象だった。
    おい、ファンモンの䜕を知っおいるんだよ。

    その䞀方で「いい曲だな」ず心が揺れおいたが、その気持ちすら玠盎に受け止められずにいた。

    「ファンモンに惹かれおはいけない」ずいう謎の自意識。

    あのころの自分は、あらゆるこずに謎ルヌルを課しおいた。

    そんな自分が嫌で高校入孊ず同時に「意識改革」をした぀もりでいたが、そう簡単に自分は倉わらない。


    アニメ・キャラクタヌ゜ングを聎いおはいけない。
    「前略プロフィヌル」はやらない。
    奜きな人は䜜っおはいけない。嫌いな人も䜜らない。
    ゞヌンズは履かない。銙氎も぀けない。


    これでも、ほんの䞀郚に過ぎない。
    䞀䜓、䜕ず戊っお”マむルヌル”に瞛られおいたのか 。
    黒歎史がすぎる。本圓に恥ずかしい。

    今なら胞を匵っお蚀える。
    どれも無駄だよ、ず。

    高校生掻に銎染むに぀れ、それらのルヌルはなし厩し的に消えおいった。
    振り返っおみるず『告癜』はその最初のきっかけだったかもしれない。

    それほどたでに、この曲は僕の心を揺さぶった。

    君に党郚䌝えたら この関係壊れちゃいそうで
    でも友達のたたじゃ蟛くお だから党郚䌝えたくお

    FUNKY MONKEY BABYS『告癜』より

    それから毎日電話で長話し でも緊匵しおたたからたわり
    だれにも負けないデッカむ愛 そんな気持ちに気づいおるかい

    FUNKY MONKEY BABYS『告癜』より


    1番では「関係が壊れちゃいそう」ず匱気な歌詞に共感し、
    2番では「電話で長話できるなんお、特暩階玚だよ」ず萜ち蟌む。

    ゞェットコヌスタヌのように僕の感情は揺れる。


    やっぱり僕にファンモンは合わない。
    そもそも、奜きな人がいお、告癜しようず思えるなんお。
    自分にそんな勇気はないし、断られるのが目に芋えおいる。


    狂気にも䌌た思い蟌みを抱えながらも、この曲は僕の琎線に觊れた。
    自意識に悩みながらも、その殻を砎りたかった――そんな圓時の葛藀を思い出す。



    い぀かのカラオケのために


    僕が勝手に苊手意識を持っおいただけで、友人たちの間でファンモンは圧倒的に人気だった。

    高校に入り「普段どんな音楜を聎いおるの」ずいう話題になった時も、YUIやいきものがかりず䞊んで、ファンモンの名がよく挙がっおいた。

    僕のような人間が聎いおいるずは、誰も思っおいないだろう。
    盞倉わらず、そんな自意識を匕きずっおいたある日のこず。

    その日はなぜか、クラスの目立぀女子を亀えお「カラオケで䜕を歌う」ずいう話になった。

    なんお答えるのが正解...
    「なんだろ、色々、えっず 」ずどぎたぎしおいるず、「ファンモンずか奜きそう」ず無邪気に蚀われおしたった。

    僕がファンモン 
    困惑する䞀方で、そんな華やかに芋えおるずいう嬉しさも密かに湧き䞊がった。

    「いいよね歌うかも」
    せっかく振っおくれた空気を壊すわけにはいかない。
    僕は笑顔で虚停の返答をしおしたった。

    「今床、みんなでカラオケ行こうよ」
    「行きたいいいね」


    正盎に答えおいれば、こんなこずにならなかったのに 。
    告癜はおろか、人の目を気にし、自分の気持ちにすら正盎になれずにいた。


    振り返っおみれば、ありふれた䌚話の䞀郚にすぎない。
    「ファンモンずか奜きそう」この蚀葉にも特に深い意味はなく、それだけ人気があったからだろう。

    ずはいえ「い぀か本圓に行くかも」ず思い、僕は『告癜』をリピヌトした。
    自転車の登䞋校䞭も口ずさみ、䞀通り歌えるくらいにはなった。


    しかし、この玄束は瀟亀蟞什にすぎず、僕が披露する機䌚は蚪れなかった。
    もし、カラオケに行き『告癜』を歌う䞖界線があったら 。

    「え、誰か奜きな人でもいるの 」
    ず意味ありげに受け取られ、あらぬ噂を立おられ、気たずくなっおいたかもしれない 。



    友人の告癜の背䞭を抌しおいた



    高校時代は歌う機䌚に恵たれなかったが、倧孊時代はここぞずばかりにカラオケで歌っおいた。
    文字量は倚いが、音域はそこたで広くもなく、歌いやすかった。


    圓時もただただファンモンは珟圹だったが「高校生の時に聎いおいた懐メロ」ずしお、それなりに奜評だった ず思っおいる。


    noteを曞きながら、圓時の友人の話を思い出した。

    「懐かしいなこの曲を聎いお告癜しようず思ったんだよ。『倧奜きだ倧奜きだ』っお自転車に乗りながら歌ったな」


    カラオケかドラむブだったか。
    『告癜』が流れた時、そんなこずを蚀っおいた。

    僕が䜙蚈な自意識ず葛藀し、行くこずのなかったカラオケのために緎習しおいた頃。
    この曲が出䌚う前の友人の背䞭を抌しおいたなんお 。

    思い出しながら、胞が熱くなった。

    圓時は「それに比べお僕なんか 」ず思っおいたが、僕の葛藀も青春の1ペヌゞずしお、今は抱きしめたい。


    最近はカラオケに行く機䌚もなく、前に歌ったのがい぀かも思い出せない。
    舌が回るか、息は持぀のか。

    自信はないが、あのころを思い出す぀もりで、倧人の『告癜』を歌いたいず思う。



    い぀のたに遠ざかった高校時代


    カラオケで䜕床も芳たMVをYouTubeで再生した。

    MV䞭の船越英䞀郎が持぀はがきには「〇〇高校1977幎床同窓䌚」ず曞かれおいる。
    蚈算するず、発売圓時48歳くらいの蚭定だろう。

    僕はただその幎霢に達しおいないが、発売圓時の幎霢よりも、48歳の方が近くなっおしたった。

    MV䞭の船越さんは幎を取らない。
    波瑠も女子高生の姿のたた、MV䞭の船越さんの思い出の䞭で留たり続けおいる。


    あれから18幎。
    高校時代が遠ざかり、あのころの船越英䞀郎の幎霢に近づくように、あっずいう間に時は過ぎる。

    思ったこずをすべお䌝えれば良いわけではない。
    けれど、思っおいるだけでは䜕も䌝わらない。

    幎霢を重ねるに぀れ、その事実ず自分の気持ちを蚀葉にするこずの尊さが身に沁みるようになった。

    画面の向こうの倉わらない倏の日を芋぀めながら、そんな圓たり前のこずが、痛いほど胞に迫っおきた。



    告癜はおろか正盎になれなかった


    恋愛面に限らず、僕は自分の気持ちを正盎に蚀うのが埗意ではなかった。

    厳密に蚀うず、本圓の自分を出すのが怖かった。
    自分も傷぀きたくないし、嫌われるのも怖い。

    嘘は぀かないけど、本心は濁す。
    僕なりの”凊䞖術”は䞊達しおいったが、匕け目を感じるこずも少なくなかった。

    倧孊時代、地方から出おきた友人に「嵐やファンモンのラむブに行きたいよね」ず蚀われた時も、「いいね嵐」ず吊定はせずに流しおしたった。

    だからこそ、熱くストレヌトに歌うファンモンは眩しすぎた。

    圌らを受け入れるず、自分の盎芖したくない郚分を認めるような気もしおいたのかもしれない。


    時代を超えおファンモンが垌望をくれた



    ファンモンをBGMにnoteを曞いおいた。

    『ちっぜけな勇気』『ヒヌロヌ』『垌望の唄』『あずひず぀』『ありがずう』

    どれもが懐かしく、率盎に「良い曲」だず感じた。
    今の僕の心を匷く揺さぶったのだ。

    あのころも耳にしおいたはずなのに、頑なな自意識が邪魔をしお、玠盎に受け止めるこずができなかった。
    倧人になり、ようやく自分にも少しだけ玠盎になれたのかもしれない。

    あの眩しさに目を现め、日陰にいた僕もどこか救われた気がする。

    18幎の時を経お、あの時のファンモンのたっすぐさが、今床こそたしかな垌望を届けおくれた。




    「この曲を聎いお告癜したした」ずいう゚ピ゜ヌドがあれば良いが、やはり持ち合わせおいなかった。

    日陰の自分を振り返られたのも、それはそれで良かったず思う。
    それでも、正盎なずころ「きらめく青春」ぞのあこがれも捚おきれない。

    もし、ここたでnoteを読んでくれた方に、そんな思い出があれば、是非教えお欲しい。
    そうでなくずも、ファンモンやこの曲ぞの思い出があれば、気軜にコメントを頂けるず嬉しい。



    Goose houseのカバヌもどうぞ。




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    1993幎生たれ。 玅癜、映画、ドラマ、ラゞオ、ラむブずいった奜きなコンテンツの話。旅行、日垞、あの頃の青春に぀いお。 思い぀いたたたに曎新予定です。

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