メインコンテンツへスキップ
見出し画像

クズ野郎。 | エッセイ

    「あなたはほんと、最低な人ね。」

    それが、俺の「最も守りたかった人」からの最後の言葉だった。
    大人になるにつれて、経験を引き換えにいろんな感情が死んでいく。この状況に対して、至って冷静だった俺は、「そうか。」と一言息を吐いた。

    言葉にならない声が、微かに聞こえる。
    電話越しに、何かを訴えようとしている彼女の姿が、鮮明に浮かんだ。

    「また落ち着いたら、話そう。」

    明日にも仕事を控えていたこともあって、BOSSの缶コーヒーの残りを飲み干し、電話を切った。深夜0時を過ぎた時計が、眠気を自覚させる。この後のことは、よく覚えていない。

    その後、彼女からの連絡はなかった。互いに精神的に不安定な日が続いていたこともあり、関係を拗らせるリスクと「俺に落ち度はない」という思いから、自分から連絡することを何処か拒んでいた。

    数日後に、彼女が自らカッターナイフで首を切り、命を絶った知らせを聞いた。

    安いプライドが無駄な経験を引き換えに、俺の世界から色を奪った。

    *・*・*

    この世の中には、2種類の人間がいる。
    「クズ野郎」と「そうでないもの」。
    どうやら俺は根っからの「クズ野郎」らしい。


    最近はそのことを自分でも自覚するようになった。「ダサいことはしたくない」「安い言葉を吐きたくない」と言うプライドが足枷となって、自身の成長を妨げるだけでなく、間接的に他人を卑下しているようにも感じるからだ。

    努力の形は人それぞれであって、正解なんてない。
    人とのコミュニケーションを大事にする、褒める、認める、その見返りに自分も讃えられる。

    違う。俺が求めているのは、そんなものじゃない。

    言うなれば、アニメや漫画の悪役が共感するような価値観を持っているのかもしれない。「仲間で立ち向かう」のは、個人の弱さを認めるようなもの。一人で生きる強さをずっと求めている。
    だからこそ、完全で完璧、圧倒的な作品やパフォーマンスで『熱狂』を起こすべきなのだと。

    最近は実力がなくても影響力を持ち発信できる。それゆえに、自分に力があると思い込んでいるフェイクがいる。俺自身はそうはなりたくない。圧倒的な結果を出して、評価されなければ意味がない。

    きっとそんなものを求めている。

    でもこれは、「コミュニケーション」に対する恐れを正当化するための、弱い自分の言い訳であり、かつ俺の想像する「強さ」を追い求めるからこそなのだと気づき始めている。


    元々人目につく発信を始めたのは、「何も持っていなくても、努力すれば生きていけること」を彼女に示しながら、生活費を養うためだった。
    傷だらけの腕とゴミだらけの部屋、大量の薬に血まみれの床。付き添いで精神科に行く際の絶望した顔を見て、俺にしてあげられることはしようと思ったのだ。

    彼女と出会ったのは、社会人として絶望を経験し、生と死の間を彷徨いながらもなんとか転職に漕ぎ着けてから数ヶ月経った、24歳の時だった。
    同じく仕事と生活の苦しさを訴え、転職を考えていた彼女とは話が合い、自然と意気投合するようになった。

    会えない日にも通話をして、共に過ごす時間も増え、水族館やカフェへ行く機会も増えた。隣を歩く時はそっけなく、お互い顔を見合わせることもなかったが、腰を下ろして話す場では、力強い眼差しで真剣に語っていたのが印象的だった。

    目を見て話を聞くたびに、生きることに対する不満を抱えながらも、それでも誰かに縋ることなく生きようとする姿に、俺は「強さ」の言葉の重みを感じていた。

    「君のおかげで楽しいと思えた、ありがとう。」
    その言葉で、俺の世界に鮮やかな色が増えた。彼女は、サングラス越しにも一際美しく見えた。

    今思えば、彼女に対して「同情」するのは失礼だったのかもしれない。「きっと俺ならその生活を変えられる、頼ってほしい」というお節介が、彼女から「強さ」を奪ってしまった。


    彼女の精神が不安定になり始めたのは、発信を始めて間も無くの頃からだった。0から何かを始めるなら、まずは徹底的なリサーチに時間を割く必要があり、本業の追い込みも重なり、連絡を取る頻度は次第に数を減らしていた。

    理不尽に不機嫌をぶつけられた時は、「君のためなのに」というなかなか理解してもらえない苦しさから、ちゃんと話を聞けなかった。
    俺自身も本来の目的を見失っていたのかもしれない。
    「最後の電話」はその後間も無くしてだった。


    桜が舞い始める時期に発信の理由を失った。その頃には、俺は「人ひとり守れないクズ野郎」に成り下がっていた。

    それでもなお、まだ発信を続けているのは、彼女がきっかけをくれたからなのかもしれない。
    彼女が生きていた証を、俺だけが勝手に背負っているのかもしれない。
    あるいは、ここまで続けてきたものを今さら手放すのが怖い、という身勝手な理由なのかもしれない。

    そういえば、俺がサングラスをかけるようになったのは、24の時だった。

    あの眼差しに、言葉に、姿勢に、憧れているからこそ。
    命を背負って始めたものは、迷いながらも今まで残り続けている。

    自分の信念に従って、自分のために発信する。
    無駄な経験を無駄にしない。

    それが俺ができる、あの人への最大限の償いになってほしいと願う。

    次に君に会える時も、きっと俺は「クズ野郎」だと思う。
    そう思うたびに、あの日の言葉が頭の中で聞こえてくる。

    彼女は言葉の亡霊となって、今も俺の中で生き続けている。


    ※この話は半分フィクションです。

    ▼『海ポテト』がみんなを待ってます。


    あなたへのおすすめ