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真面目に傷ついて、適当に生き延びる。


    1. 朝の私

     朝というものは、爽やかに始まるものではない。と、期待もせず目を覚ます。
     昨日の体力の残骸をどうにか引っ張り出し、それを引きずりながら、ぬるりとベッドから抜け出す。
     かろうじて開いたまぶたの隙間からの景色、しんと静まり返ったリビング。
     コップ一杯の水を皮切りに、そこからはただひたすらに、朝のタスクを処理していく。
     キッチンには三つの弁当箱が、エサを待つ雛鳥のようにパカッと口を開けて待機している。私、夫、長男の分。
     世間一般では「愛情が詰まったお弁当」と美化されがちなその箱達は、私にとっては「七時四十分までに絶対に埋め尽くさなければならないパズル」に他ならない。
     「はい、隙間! 冷凍唐揚げの横のその二センチの隙間!冷凍枝豆を三個ねじ込んで緊急補修!」
     「ミニトマト、勝手に転がるな! そこを動くんじゃない!」
     数時間後には彼らの胃袋に吸い込まれていくオカズたちを、リズミカルに詰め込む。
     もうお気づきかと思うが、私の脳内は朝に限らず、いつもやかましい。
     お弁当と並行して朝食の支度をし、水筒を用意して食器を洗い、回し終えた洗濯物を干す。そして乾燥しきった肌に化粧水を、まるで張り手のようにバチーンと叩き込み、仕事着に体を滑り込ませる。一連の動作の間、私は常に「遅刻」という名の見えない敵に背中を追いかけられている。
     息子達に向かって、喉がちぎれんばかりの声を張り上げるのも私の役目だ。
     「起きてー! 学校遅れるよ!」「お弁当も持った!? 傘は!?」
     それらをひとつずつ積み重ね、少しずつ私が私を形作っていく。
     七時四十分、玄関を飛び出す。
     相棒は、年季の入った、たまに坂道で激しい異音を立てる電動アシスト自転車。
     雨の日には、防水性能だけを極限まで高めた、上下ネイビーの雨合羽。前カゴの荷物が濡れないよう厳重に袋で包み、顔面に叩きつけてくる雨風を睨みつけながら、ペダルを全力で踏み込む。
     前髪? そんなもん、職場に着く頃にはナスのヘタになっている。
     まわりの人は私のことを、いつも明るくて元気で、雨の日も風の日もパワフルにママチャリを爆走させる、無敵でタフな奴だと思っているかもしれない。だが、それは大いなる誤解だ。
     いつだって全力で、行きたくない自分と戦っている。
     「職場に元気と笑顔を届けるため!いや!そこからまわりまわって日本列島を活気づけるため!この私が!今日も!雨風を切り裂き!駆けつけてやるぜーーーー」
     そんな言葉を何度も頭の中で反芻し、フードの中で前髪をびしょ濡れにしながら、私は今日も見えない平和のために、チャリを爆走させているのである。

    2. パート先の私

     午前八時、滑り込みで打刻。私の勤務が始まる。私が働いているのは、夕方の十六時まで、基本的にはしんと静まり返った、とても美しく整頓された場所だ。
     『丁寧な暮らしの教科書』『失敗しない大人のビジネスマナー』『絶対にブレない生き方』『賢い子育ての正解』。
     棚に並ぶたくさんのタイトル、私が目につく言葉はいつだって、私に足りないと思っているもの達。どれも背筋がピンとしていて、凛と佇んでいる。まるで私に「あなたはちゃんと正しく、完璧に、スマートに生きていますか?」と問いかけてくるようで、少しだけ眩しくて、少しだけ息苦しい。
     この静寂の聖域で働く私は、まわりから見れば絵に描いたような元気印のスタッフだ。
     お客様への挨拶の声はハツラツと弾んでいるし、手続きをする際も、全身から「安心と信頼のオーラ」を放っている(つもりだ)。
     だが、現実は決してスマートにそつなくこなせる器用なタイプではない。むしろその真逆、おっちょこちょいの神様にこれでもかと愛され、手厚すぎる加護を受けまくっている人間なのだ。
     少しでも気を抜くと、小さなやらかしが顔を出す。右に置くべきものを左に置いてしまったり、数字を読み間違えて「あ、そっちじゃない!」と心の中で冷や汗をかいたり。「あ、間違えた!」と思った瞬間、私の脳内は一瞬でキャパオーバー。頭の中で、小人たちが「緊急事態発生! 緊急事態発生!」とメガホンを持って右往左往。
     さらに私を追い詰めるのは、自分の不器用さだけではない。私は昔から、他人が放った言葉が伴う「空気の微振動」を、誰よりも過敏に察知しすぎるタチなのだ。
     ほんの少しの沈黙。書類の受け渡しの際の、わずかな相手の手の引き方。同僚同士の「あ、大丈夫ですよ」という、コンマ一秒の真顔。
     まわりの人は誰も気に留めないようなその微細な変化を、私は脳内で勝手に、頼んでもいないのに超高性能な4K画質レコーダーで自動録画し、何度も何度もスローモーションで再生してしまう。
     「今の私の言い方、パートの分際で差し出がましかったかな」
     「今の笑顔、ちょっと引き攣ってて、相手を不快にさせたかな」
     そう思った瞬間、冷や汗が背中を伝う。
     「私は私!」と胸を張って、一人の成熟した大人の人間として、ブレずに生きていきたい。心の中ではいつだってそう思っている。
     けれど、現実の私はそんなに強くない。他人の些細な感情の波に簡単に煽られ、自分の重心が右へ左へとブレまくり、気づけば周囲の潮目に合わせて、自らの形を一番波風が立たないように都合よく変えている。
     まるで、アメーバ。世間の「正解」が美しくカチッと整頓されたこの空間の中で、私一人だけが、見えない人間関係の荒波にグニャグニャと流されながら、必死に自分の輪郭を保とうとしている。
     そんな自分に気づくたび、心底自分がイヤになる。

    3. 先輩のピシャリ

     退勤時間が近づく午後三時頃、私のエネルギーが一番枯渇する魔の時間帯だ。
     手続きの途中でちょっと手順が分からなくなったり、イレギュラーな質問をされて脳内フリーズを起こしたり。
     私がカウンターで「ええと、あれ? どうしよう、 ええと……」と、不審な挙動をしていると、背後からスッと、仕事ができる頼れる先輩が現れる。
     先輩は鮮やかな手際で私のトラブルを数秒で解決し、お客様を笑顔で見送った後、振り返って私にピシャリと言い放つのだ。
     「落ち着いて!いつまでも新人気分は困るよ!」
     冷たい悪意があるわけじゃない。むしろ、私のことを思って言ってくれている、ものすごく的を射た、ありがたいアドバイス。それは痛いほどよく分かっている。「はい! すみません、ありがとうございます!」と、反射で口が勝手に答えるほどに。
     日々いただくご指摘は、私の豆腐メンタルの一番柔らかい部分へと的確に、そして深く突き刺さる。もちろんその反省をしっかり活かそうと都度思っている。今回でいうと、職場のロッカーの扉を開けたところに「落ち着け」とハシビロコウが言っているステッカーを磁石で貼り付けた(他にやれることがある気もするが)。
     ありがたい。成長したい。でも、自分のあまりの不甲斐なさと正面衝突するのは、もの凄く、もの凄く痛いのだ。私は紛れもなく、未熟者なのだ。
     家に帰れば、私は家事を回し、スケジュールを管理し、家族の進路を舵取る「最高経営責任者(CEO)」であり、絶対的なリーダー。中二と小五の怪獣たちを従え、夫と肩を並べて「我が家」という名の国家を運営している自負がある。独立したひとつの家庭という城を、私は間違いなく、立派に、必死に回している。
     しかし、この職場の国に一歩入った瞬間、私は何一つスマートにこなせない、アワアワと泡を吹くことしかできない下っ端アメーバ。
     学校の授業参観で、一人だけ教科書を忘れて立たされている子供のような、あの居心地の悪さ。
     この、家での自分(CEO)と、外での自分(アメーバ)の凄まじい落差。そのギャップに、たまに心がぐえっと押し潰されそうになる。
     だが、ここでただ肩を落としてトボトボ歩くのは、元気印の看板を背負って生きる私のプライドが絶対に許さない。
     そこで私は、必殺技を繰り出す。意識のスイッチを、スッと切り替えるのだ。
     まず私の魂を、私の肉体を離れ、職場の静かな高い天井へ飛ばす(スピリチュアルな話がいきなり始まるわけではないのでご安心を)。
     高い天井から見下ろす私の視界の中で、カラフルだった現実の世界は、一瞬にして味わい深いモノクロームの画面へと切り替わる。そして背後からは、物悲しくも美しい、昭和の悲恋ドラマのような歌謡曲の旋律が静かに流れ始める。
     「よし、カメラさん。主人公のこの、不甲斐なさに耐え、健気に成長しようとする絶望と希望の表情、いい角度で抜いてます?」
     観客席からは、もの凄い量の同情や声援の声。
     「おいおい、朝からお弁当三つ作って家事をこなし、家ではCEOやってる健気な主人公が、外で下っ端の洗礼を受けて耐えてるぞ! なんて泣けるドラマなんだ! 映画化決定だろこれ!」
     そう思えば、ピシャリと的確な指摘をくれた先輩の顔も、映画に最高の深みを与えるために、あえて厳しい師匠役を熱演してくれている「オスカー候補の名優」に見えてくる。
     「いやあ、素晴らしい迫真の演技ですね! 師匠の厳しさがあってこそ、後半の覚醒が生きます!」と、拍手を送りたくなる。
     「素晴らしい演技です、カット! オッケー!」
    脳内でメガホンを置き、私は魂を現実の肉体へと一瞬で呼び戻す。そして、張り裂けそうな胸の内と震える膝を隠し、精一杯の「元気印の笑顔」というお面をもう一度貼り直す。
     落ち込んでないわけではない。傷口にユーモアという名の消毒液をドバドバと注ぎ込んで、私はなんとか立ち上がるのだ。

    4. 帰還した私

     十六時に退勤の打刻、私はそそくさと荷物をまとめ、再びママチャリに跨る。スーパーで買い物を済ませ、自宅のドアを開けるのは夕方の十七時頃。
     「ただいまー……」
    外の世界で「使えない下っ端」の自分に直面し、すっかり形が変形し、ちぎれそうになっていた私の身体が、自宅のドアを開けた瞬間、思い出す。私はこの国のリーダー、CEOなのだ。しっかりしなくちゃ。
     玄関を開けると、リビングからは「おかえりー!」と、息子たちの賑やかな声が響く。
    リビングの床には、中二の長男が放り出したリュックがまるで打ち上げられた巨大なトドのようにゴロンと転がっている。
     小五の次男は、一応テーブルの上に宿題のノートを広げてはいるものの、手元ではゲームのコントローラーを凄まじい連打速度で握りしめ、「あー! クソ! 今のチート!」と画面に向かって絶叫している。
     お行儀が良いかと言われれば、正直、お世辞にも良いとは言えない。
     長男のリュックは邪魔だし、次男のゲームの声はうるさいし、部屋の中は一瞬で生活感という名のカオスに支配されている。
     景色としては決して「丁寧」でも「洗練」されてもいないけれど、このガチャガチャした我が国の音が、外の職場でガチガチに張り詰め、今にもパリンと破裂しそうになっていた私の心をゆっくりと、内側から優しく解きほぐしていく。そうだ、しっかりしなくてもいいんだ。
     「職場の国」では、私は居場所を失くさないよう、ミスをしないような必死だった。でもここは、不完全な、でも絶対に必要な私が、ただここに居ればいいのだ。
     家族のぬくもりとは、ドラマのように熱く抱きしめ合うようなものではない。こうしてお互いを思いやりながら、少しガサツで、少し間抜けな日常の空気をふんわりと共有しているという、静かで当たり前な事実だ。
     私は私のままで、この場所にいていいのだという、言葉にされない絶対的な安心感。
     だが、安心感だけでは、お腹は膨まない。
     「お母さん!今日ごはん何?」
     ファミレスの呼び出しボタンを連打するかのように、長男が繰り返しお腹をさすりながら聞いてくる。
     キッチンに立とうとして、自分の身体がまるで地面に接着剤で貼り付けられたかのように重くなっていることに気づく。
     その時、私の脳内に、ポップなネオン看板が点灯した。

     『PIZZA!!』

     「よし、今日はピザだ!!!!」

    5. 半額ピザと国際交流する私

     主婦である私にとって、デリバリーのピザというものは、非常に敷居の高い、めったに拝めない存在である。特別な日ならともかく、今日は普通の平日だ。
     ん?待てよ…。ならば…そうだ!今日を特別な日にしてしまおう!(アリスのティーパーティーの発想)
     そういえばさっき、ハムスターの欠伸の撮影に成功したところだった(床に張り付いて動かない状態でもハムスターとは遊べる、それが人間)
     特別感がイマイチ伝わってない人たちに説明をすると、私は4代に渡って10年近くハムスターを飼っているのだが、なんと、初めて!初めて撮影に成功したのだ!ハムスターはあの可愛さに反して口の中が結構こわい。歯が鋭くて、なんだかグロテスク。でもその一秒後、口を閉じるとふわふわ天使。可愛い。とてつもなく可愛い。
     さて、そんな記念の金曜日!ピザを食べる理由としてこれ以上のものがあるか、いやない(食い気味に)。
     そうと決まれば即座にスマホの画面とにらめっこ。「半額クーポン」という最強の味方を見つけ、「今日のご飯は宅配ピザだー!」と私は叫んだ。
     その瞬間、我が家のリビングのボルテージは最高潮に達する。
     「よっしゃぁ!」と、次男が飛び上がり、中二の長男も「マジ? 最高」とニヤリ。
     スマホの画面で半額クーポンが適用され、合計金額がシュッと半分になった瞬間、私も心の中で、特大のガッツポーズを決める。
     これは、ただの手抜きではない。大真面目に傷ついた夜を、適当に、かつ最高に楽しく生き延びるための、知的な選択なのだ。ハムスターの欠伸!万歳!
     しばらくして、インターホンが鳴り、温かい大きな箱がリビングにやってきた。
     箱を開けた瞬間、部屋中に広がるチーズとトマトソースの、人間の理性を狂わせる魅力的な香り。一斉に手を伸ばし、熱々のピザを口に運ぶ。
     「うまっ!」
     「今日の作り手さん、上手すぎる!」
     そんな息子たちを眺める。宅配ピザは我が家の最高のご褒美エンターテインメントだ。
     しかし、ピザを二切れほど胃袋に収めたとき、私の身体が、ある重大な異変を訴え始めた。
     「美味しい。めちゃくちゃ美味しいけれど……なんか、なんか足りない。」
     コーラや炭酸水ではない。ピザのジャンクで濃厚な美味しさを、優しく包み込んで受け止めてくれるような、安心感のある温かい何か。
     私はフラフラと席を立ち、台所へ向かった。そして、冷蔵庫の奥に眠って萎れていた大根の葉を雑に刻み、だしの素と水と共に鍋に掘り込んだ。
     私はコンロに火をつける。ああこれは、せめて少しでも栄養を……という、疲れ果てた主婦のギリギリの悪あがきであり、愛の形だ。
     味噌をとき、そして、仕上がったそれをお椀に注ぎ、何食わぬ顔でピザが並ぶ食卓へ。
     イタリア代表、スタイリッシュで濃厚、陽気なピザ。その真横、日本の伝統芸能、味噌汁(萎れた大根の葉入り)。
     出会うはずのなかった二人が、今、出会った。圧倒的な違和感。
     私は恐る恐る、ピザをモグモグと食べた口で、おみそ汁をずず、とすすってみた。
     「……あ、これ、めちゃくちゃ合うわ」
     ピザの、とろけるチーズの濃厚な脂っこさを、大根の葉入りみそ汁のじんわりとした塩気と出汁の旨味が、「まあまあ、そんなにトガりなさんな。お互い色々あるんだから」と、優しくなだめてくれるのだ。大根の葉のシャキッと感が、ピザの生地のモチモチ感に対して、「今日もお互い、それぞれの戦場でよくやったよ」と、肩を組んで労い合っている。
     何より、このみそ汁の「ガバガバな包容力」が、今の私の心に深く沁み渡った。
     萎れた大根の葉だろうが、私のささやかな失敗だろうが、すべてを濁った茶色いスープの中にドバドバと受け入れて、最終的には「まあ、美味いからええやん」と豪快に笑い飛ばしてくれるのだ。この「適当さ」こそが、私を優しく救い上げてくれる。

    6. 私ぎ心ぎ中

     息子たちも夫も(その後、帰宅し、彼もピザと味噌汁をお腹に納めた)それぞれの部屋へ引き上げ、家の中がしんと静まり返る。リビングに一人取り残された私の頭の中で、再び「脳内大反省会」の幕が上がる。
     薄暗いリビングのソファに深く腰掛けると、今日職場で先輩にピシャリと言われてしまったときの自分の不甲斐なさが蘇る。
     先輩の言う通りだ。成長したい、次はちゃんとやりたい。
     それに反して、いつになってもそつなくこなせない自分。私は一体、なんなんだ。
     「私は私!」と胸を張って、凛とした大人の女性として生きたい。どうしていつも、こうも簡単に、自分のダメさに打ちのめされてしまうんだろう。
     ふと、私は今日の夕食の様子を思い出す。
     不甲斐なさの「外圧」、家族の笑顔と一緒に胃袋に収めた圧倒的な炭水化物と温かい味噌汁の満足感という「内圧」。
     ググッと元の形へと押し戻してくれた感覚。そうか、なるほど。大真面目に傷ついたあとは、こうして適当に、だけど全力で心に空気を送り込んで生き延びる。そういうことか。
     誰も見ていない薄暗いリビングで呟く。
     「よし、明日も頑張ろう。」

    7. 結局ぜんぶ正解な私

     喉を通った大根の葉入りみそ汁のじんわりとした熱の余韻を思い出しながら、私は静かに思う。
     私のこれまでの人生のブランクも、今日職場でやらかしたおっちょこちょいなミスも、先輩にピシャリと指摘されてアワアワと流されてしまった下っ端アメーバとしての情けなさも、夜中に一人でぐるぐると回り続ける、答えのない葛藤も。
     すべては、あのみそ汁のようなものではないか、と。
     世間が求める「正解」があるとするならば、私自身はその正解の形には、一生なれないかもしれない。
     明日も私は、きっと周りの空気に過敏に反応し、グニャグニャと流されてしまうだろう。落ち着きなく、勝手に落ち込み、なんで自分はこうなんだ…と自分に嫌悪するだろう。「私は私!」と胸を張って凛と生きるなんて、そう簡単じゃない。
     とりあえず今は、私は私のままで、この場所でジタバタしていればいい。
     大真面目に傷ついたっていい。その傷を抱えたまま、半額クーポンピザの横に大根の葉入りみそ汁を並べるような、最高に適当なやり方で、今日一日を生き延びられたなら、それで百点満点なのだ。
     どんなにグチャグチャで、おっちょこちょいな一日だったとしても、ぜんぶまとめて「私の人生」という名の鍋の中に放り込んで、じっくり煮込んで最後に味噌さえ優しく溶かせば、それはいつか必ず、私という人間にしか出せない、世界でたった一つの「味わい深い味噌汁」になる。
     ハチャメチャな食卓が最高に美味しかったように、私のハチャメチャな人生だって、最後には絶対に「ああ、美味しかった」と言える最高の味噌汁になる。
     明日もまた、目覚まし時計のゴングとともにステージへ上がり、ガチ仕様のカッパを着て、大真面目に傷つき、そして誰よりも適当に、しなやかに生き延びてやろう。
     家ではCEO、外では愛すべき下っ端アメーバ。そんな、不器用で、愛おしい自分のままで。
     そう決意をしながら、私は今日一番の心地よさに包まれて、温かいお布団の芋虫へと戻っていった。明日もきっと、良い日になる。

    8. あとがき

     誰かが丁寧に淹れたコーヒーの泡や、完璧に片付いた北欧風のリビング、計画通りに進むキャリア、あるいは「怒らない優しい子育て」のライフハック…それらはどれも本当に素敵で、眩しくて、まるで別世界の住人が書いたファンタジー小説のようにも思える。
     そんなキラキラした正解のシャワーを浴びるたびに、私は自分の足元を見てしまう。
     でもね、と思うのだ。完璧な正解の棚に、きれいに背表紙を並べて収まることだけが、人間の正しさじゃない。
     その四角い枠組みからはみ出してしまって、アワアワと泡を吹きながら、それでも「今日をどうにか生き延びてやるぞ」とジタバタしている姿のほうにこそ、人間らしい、愛おしい泥臭さが詰まっている。
     私は、真面目に生きたい。自分の仕事にも、家族にも、誠実でありたい。嘘をつかずに、真っ直ぐに向き合いたい。
     ときには、他人の放った些細な一言に大真面目に傷ついてしまう。
     その都度、ユーモアという名に近い、さまざまな手抜きワザをいくつも懐に忍ばせ、しなやかに、のらりくらりと生き延びていく。それこそが、私がこの世界をハッピーに渡り歩くために必要な、最強のサバイバル術なのだ。
     これを読んでくれているあなたも、きっと毎日、誰にも言えない小さな傷を抱えながら、必死に自分の場所で戦っている人なのだと思う。
     朝、どうしても布団から出られなくて絶望したり、誰かの何気ない一言を夜中に何度も再生して眠れなくなったり、自分の不器用さにトホホと肩を落としたりしているのかもしれない。
     大真面目に傷付こう。そして、誰よりも最高に適当に、しなやかに、愉快に生き延びてやろう。
    私たちの人生という名の鍋には、まだまだ美味しい具材が、たくさん放り込まれるのを待っているのだから。

    #創作大賞2026
    #エッセイ部門

     
     
    「ぴーまん」はラジオネーム。 自分が表現したものが、 知らない誰かに届いたときの感動。 それをもう一度、 味わってみたいなと思いました。 文章を書いてみます。 よろしくお願いします。

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