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佇みたい。

    最近はよく、ダムを訪れている。
    ひとりで。

    宮ヶ瀬ダム、浦山ダム、小河内ダム。
    ここ1ヶ月で3か所を巡った。

    ダムが目当てというよりは、最近はよくドライブをしていて、行き着いた先がダムだった、という感じだ。

    また、灯台も訪れようという意欲が高い。
    暑くなる前に内陸を攻めようという思惑により後回しだが、これから訪れる予定だ。
    先月行った観音崎灯台、素晴らしかった。

    内陸に行くならダム。海辺に行くなら灯台。
    みたいな小旅行を、ヒソヒソと開催している。

    いずれも、自然の中にドンと構える人工物という点で一致している。

    私は、自然的なものと人工的なものの融合が好きなのだと思う。
    文明が自然に抗っているように見えるかもしれないし、広い目で見たら人工的なものがあることによって自然と文明が手を取り合っているようにも見える。

    そんな、自然と文明の境目。
    そこは人間にはあまりにも広大すぎる自然。
    そんな場所に佇んで、せき止めたり、照らしたりしている姿に惹かれているような気がする。
    なんとなく、孤独を感じさせる。
    とんでもない場所に身を置く、ダムや灯台は。


    日々において、今、とんでもない場にいるんだな、と思う時がある。

    評価される時は私と私に関わる人に対して、頼られる人として行動や発言をするときは生徒や後輩に対して、とんでもない影響を与えてしまう場面に遭遇することが多くなった。

    社会におけるスケールは小さくても、私から見た私の世界やら社会やらは今の視界が最大値なのであって、いつ何時もそのスケールの広さは恐ろしい。
    実際、私や他者のターニングポイントに居合わせるのだから、影響力や責任なんてその深さは無限大だったりする。

    ふと、「こっっっわ」と口ずさむ日が多くなった。
    今に対しても言っているし、これからに対しても言っている。
    2年前くらいからだろうか。

    同時に幸せな話でもある。

    1~2年前の自分の文章を見直して、今の私の立場から彼の文章を要約すると「私の価値ってどこにあるのでしょうか」とずっと言っている、って感じだ。

    今の私が彼に何かを与えるとしたらNIKEのTシャツを渡す。
    ”Just do it”って感じ。

    価値なんてものはこれからなっがぁぁぁい年月をかけてどしどし作っていくものだし、今の私はある程度、人の役に立てている。
    今、体調崩したら数十人くらいに迷惑がかかる。

    そんな風に前を向いて自負して担うようになったんだから、こんなにありがたい話はない。

    ただ、寂しさを感じるようになった。
    味方なんてひとりもいない、と感じる。
    いるんだけどね、生きている以上は。
    でも、人間、常にそう冷静ではいられない。

    自分自身も変化して、取り巻く環境も変化して、でもあまり変わっていない私も残っていて、そんな私が自分や辺りを見回すと、身に余る責任に囲まれていて。
    それくらい不安定で、私ですらさっき出会ったばかりの自分が、信頼されていたり、疑念を持たれていたり、期待されていたり、良くも悪くも評価されていたり。
    そんな”今”に居場所が無くなって、じゃあ誰が私を知っているのか、どこに私は落ち着くのか、わからなくなる。
    こんな文章にだって、何かの判断が下されるのだろうかと思うと怖くなったりする。
    大人になる、とはこういうことなのだろうか。
    それとも、何かの努力が欠けていたのだろうか。

    そんな状態で今を続けて良いのか。
    「こっっっわ」


    一貫性と成長はトレード・オフの関係にある。
    どちらかを得れば、どちらかを失う。

    でも、この2つは同時に求められる。
    どちらかを諦めた時点で、無責任になる。

    成長や変化を恐れないという一貫性があります!、と言ってしまっては言い訳がましいだろうか。
    もっと無責任だろうか。
    変化の中でも失わずに取っておいた自分のコアを、一貫性として認めてもらえないものだろうか。
    強欲だろうか。

    そんなことをただ悶々と考えながらフラフラと、やることをやりながら淡々と過ごす日々が続く。

    そんな日々の中で、ダムと灯台に憧れた。

    自然なんて毎秒何が起こるかわからなくて、絶対的な力を持っていて、明らかに大切な美しい存在でありながら恐ろしい。
    ほんと、とんでもない。

    いつどのように自然がその絶対性を発揮するかわからないのに、ダムや灯台は自然に身を置いている。
    ただ、あたりの変化と自分の役割だけを受け入れて。
    労わりたくなるし、なんだか労ってもらえているような気分になる。

    色々受け入れながら佇む、ってめっちゃ大変なんだろうな。
    というか、そんなことはできるのかな。

    私はきっと、ダムになりたい。灯台になりたい。

     
     
    2004。大学4年生。 私の全ての文章は、見晴らしの良い露天風呂にて執筆されています。

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