
映画「インセプション」~もしかしたら、この世界は夢かもしれない~
コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、
夢を見ている人の潜在意識に潜り込
み、ターゲットの秘密を盗み出す産
業スパイだった。ある日、盗むので
はなく、心の奥底に情報を植え付け
る(インセプション)の仕事を依頼さ
れる。夢には幾つかの階層があり、
目的を達成するために、各層で新た
に夢を見たり、夢から覚めたりを繰
り返すのだが。果たして、コブは現
実に再び戻れるのだろうか?
🔵監 督 クリストファー・ノーラン
🔵製 作 国 アメリカ合衆国・イギリス
🔵配 給 ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ
🔵劇場公開 2010年7月
🔵受 賞 歴 アカデミー賞受賞
(撮影賞・視覚効果賞・音響編集賞・音響録音賞)
「君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか」(バリー・ストラウド著、春秋社)という書籍があります。
このタイトルは、クリストファー・ノーラン監督の映画「インセプション」の根源的な問いかけと、深く響き合っているのです。
ところで、私は夢の中で夢を疑うことが何度かありました。「もしかしたら、これは夢ではないか?」と問いかけるのです。
その問いと同時に、夢に現れる「物の質感」を確かめようとします。バスに乗っていた時には、転倒防止用の金属ポールに触れようとしました。
テレビを観ている時は、本体に手を伸ばしてその「硬さ」を確認しようとしました。しかし、不思議なことに現実と同じ質感があるのです。そして、そこで目が覚めてしまいます。
夢なのにリアルな質感があるのです。そうだとしたら、五感を通して情報を得ているこの現実も、もしかしたら夢かもしれないと考えるのも、決して荒唐無稽ではないと思うのです。
もちろん、これはにわかには信じがたい問いかけです。こうした思考を育んできた背景には、中国の思想家・荘子による説話「胡蝶の夢」や、映画『マトリックス』シリーズ、さらには仏教思想などの影響があるのかもしれません。
私がこの問いかけに強く惹かれるのは、仏教の「唯識思想」と出会ったからです。唯識は「この世界は心が生み出した幻想にすぎない」と説きます。
この思想が描く「幻想」は、「夢」のリアリティ(質感など)と重なります。ですから、私にとっては「幻想」も「夢」も同じなのです。
映画「インセプション」では、ターゲットの潜在意識に潜り込み「アイデア」を植え付ける(インセプション)シーンがあります。
唯識にもこれと似た考え方があります。心の一番深い層にある「阿頼耶識⦅第八識⦆」に、あらゆる経験や行為の「種子(しゅうじ)」が植え付けられ、条件が整うと発芽して、私たちが認識する世界を創造すると説くのです。
映画では、この世界が夢か現実かを判定する方法として、コマを回していました。コマが止まれば現実、止まらなければ夢──それが主人公にとっての「判定基準」でした。
記事の冒頭で紹介した哲学者・バリー・ストラウドは、「君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか」に対して、明確な反論も決定的な答えも示してはいません。
つまり、この世界が夢ではないと証明する術が、いまだに見つかっていないことになります。私たちの「止まるコマ」探しは終わっていないのです。
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