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「真夏の陽炎」掌の小説⑤〔R指定〕

    〈母さん、僕は人を殺したんだ。仲間と一緒に。首を絞めて。もちろん罪悪感はあるさ。殺 あやめた日だけは〉

    〈殺めた日だけは〉の次でカーソルが点滅している。パソコンの画面に表示された懺悔の言葉を、鼻で笑いながら消去した。マウスを握り、しばらくうつむいていた。

     ため息をついた後に、僕は電源を落とした。黒いディスプレイの向こうに、光を反射した眼鏡の残像だけが浮き上がった。

     インターネット上にある「懺悔サイト」で罪を告白するようになったのは、〈人殺し〉に手を染めてから間もなくだった。告白する相手を母にしたのは、偽りのない自分をさらけ出すことが出来たから。

     母にだけは素直になれた。でも、永遠に告白することはないだろう。母を悲しませるだけだから。僕にとっては、人を殺めた日だけの儀式に過ぎなかった。懺悔をした翌朝には罪悪感は消えていた。

     初めて仲間と人を殺した日に、僕は新宿の歌舞伎町に一人で出かけた。けばけばしいネオンの下で、客引きが酔客に声をかけていた。

    〈罪を犯すと、人肌を求める〉警視庁の刑事が新聞で語った言葉に納得した。28歳になっていたが、衝動にかられて風俗街に行ったことはなかった。

     酔った勢いで足を向けた日が多かった。人種が入り混じった雑踏を避け、客引きのいない、路地の奥にある安いソープランドを見つけて入った。

     お相手をしてくれたソープ嬢の身体は、まるで感情のない空気人形のようだった。汗まみれになった僕は動きを止めた。眉間に皺を寄せて、芝居がかった〈喘あえ ぎ声〉をあげていた彼女のせいではなかった。

    〈人殺し〉の衝撃で感覚が麻痺してしまったのかもしれない。快感のスイッチが入らないまま、僕は店を出た。新宿駅に向かう途中で大通りを渡ったが、車の警笛も通行人の嬌声も耳には届かなかった。次第に心の闇は深くなっていった。

     罪悪感から逃れるために宗教書を読み漁 あさった時期もある。僕の心に一筋の光を届けてくれた教えがあった。親鸞の「悪人正機説あくにんしょうきせつ 」だ。

    「阿弥陀仏の本願は、善人よりも悪人を救済することにある」という考えに、僕は免罪符を得たような気がした。ただ、当時は教えを曲解して悪に手を染める者が続出したらしい。

     彼らに比べたら、僕の方が同じ罪人でもマシな方かもしれない。積極的に〈人殺し〉をしているわけではないのだから。

    「母さん、僕は人を殺したんだ。仲間と一緒に。首を絞めて。平成30年7月6日に三人を殺めてしまった。母さんもよく知っている人なんだ…。オウム真理教の教祖・麻原彰晃と元幹部と言えば」

     その後、8月6日に僕は刑務官を退職した。死刑執行人としての任を解かれて、東京拘置所の正門を出た。

     刑期を終えて出所する者達の思いが一瞬頭をよぎったが、僕の刑期はこれから始まるのだ。拘置所の建物に深々と頭を下げ、小菅駅に歩みを進めた。暑熱に焼かれた道に、幾筋もの陽炎が揺らめいていた。


    〔関連資料およびブログ〕
    「悪人正機説」について、詳しく述べたブログをご紹介したいと思います。
    どうかご訪問くださいませ😄


     
     
    「酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、また青春の唯一の効果だ。花と酒、君も浮かれる春の季節に、たのしめ一瞬を、それこそ真の人生だ!」(オマル・ハイヤームの言葉) 儚い、墓ない人生を生き抜く冷おろしです。心は自称20代の男性です。生息地は埼玉県。大宮の繁華街がホームグラウンドです🍺

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