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【日常の哲学】なぜ「社会に必要な人」と「AI時代の凄い人」は違うのか?

    しばらく前から、メディアでは突出した能力を持つ人や、特殊なことを実践している人が頻繁に取り上げられるようになった。
    特にAIの登場以降、その傾向が強まっているように感じる。

    例えば、
    AIを24時間稼働させている人
    複数のAIエージェントを使いこなし、一人で何人分もの仕事をこなす人
    AIによって従来の常識を覆すような働き方を実現している人
    などである。

    確かに、そうした人たちは凄いのだろう。
    知識も豊富で、技術を使いこなす能力も高い。
    新しい可能性を切り開いていることも否定しない。

    しかし、ここで一つ疑問が生じる。
    その人たちは、本当に社会に必要な人なのだろうか。

    もちろん、必要ではないと言いたいわけではない。
    問題は、能力が高いことや、珍しいことをしていることと、社会にとって必要な価値を生み出していることが、いつの間にか同じものとして扱われていることだ。

    凄いことと、社会に価値をもたらすことは違う

    そもそも私たちは、突出した能力を持つ人に注目しやすい。

    難しいことを理解している人
    誰も思いつかないことを実践する人
    圧倒的な成果を出す人
    そうした人には分かりやすい凄さがある。
    メディアにとっても、こうした人物は取り上げやすいだろう。

    一方で、社会に必要な仕事は、必ずしも目立つものではない。

    例えば、医療や介護、保育、物流、清掃などの仕事がある。
    毎日、患者さんの身体を支え、利用者の生活を支援し、子どもの成長を見守り、社会の物流を維持する。

    こうした仕事は、特別な技術革新がなくても、日々の積み重ねによって社会を成立させている。
    しかし、こうした仕事に従事する人がメディアで大きく取り上げられることは少ない。
    なぜなら、それらは私たちの日常に溶け込んでおり、珍しいものではないからだ。

    ここに、メディアが評価する価値と、社会が必要とする価値の乖離があると思う。
    珍しいことをしている人が注目され、当たり前のことを支えている人が見過ごされる。
    しかし、珍しいことと必要なことは、同じではない。

    AIを使いこなせることは、仕事ができることなのか?

    AIの登場によって、この問題はさらに顕著になったように思う。

    AIをどれだけ使いこなせるか、どれだけ業務を自動化できるか、どれだけ少ない人数で仕事をこなせるか。
    こうした能力が、新しい時代の優秀さとして評価され始めている。
    しかし、AIを使いこなす能力と、仕事そのものの質は区別しなければならない。

    例えば、AIを使わなくても、患者さんの状態を的確に把握し、適切なケアを提供できる看護師がいる。
    一方、AIを高度に使いこなせても、目の前の患者さんの不安や生活背景を理解できない人もいるだろう。

    どちらが優れた仕事をしているのかは、AIを使っているかどうかだけでは判断できない。
    AIは仕事をするための手段の一つであり、仕事の目的そのものではないからだ。

    もちろん、AIを活用することで仕事の質が高まるのであれば、それは歓迎すべきことである。
    しかし、AIを使いこなしているという事実だけで、その人の仕事を高く評価するのは短絡的ではないだろうか。

    社会に必要な仕事ほど、価値が見えにくい

    社会には、成果を数値化しやすい仕事と、数値化しにくい仕事がある。

    例えば、AIによって作業時間を50%削減したという成果は分かりやすい。
    一方、介護職員が利用者との会話を通じて安心感を与えたことや、保育士が子どもの小さな変化に気づいたことは、簡単には数値化できない。
    しかし、数値化できないからといって、価値が低いわけではない。

    むしろ、社会にとって不可欠な仕事ほど、その価値が日常に溶け込んでしまい、見えにくくなることがある。
    私たちは、普段、電気が使えることや水道から水が出ることを特別なことだとは思わない。

    物流が機能し、医療や介護が提供され、子どもたちが保育されていることも、当たり前のように受け止めている。
    しかし、それらを支える人がいなくなれば、社会はたちまち機能しなくなる。

    社会に必要な人とは、必ずしも目立つ人ではない。
    むしろ、目立たないところで社会の当たり前を支えている人たちなのかもしれない。

    社会は、突出した能力を持つ人だけでは成立しない

    私はなにも、突出した能力を持つ人を否定したいわけではない。

    新しい技術を開発する人も、AIを使いこなして生産性を高める人も、社会に必要な存在だろう。
    ただし、社会はそうした人たちだけで成立しているわけではない。

    新しい技術を生み出す人がいれば、それを実際の現場で活用する人がいる。効率的な仕組みを考える人がいれば、その仕組みを日々運用する人がいる。
    そして、どれだけ技術が進歩しても、人間が直接関わらなければ成立しない仕事も残るだろう。

    社会には、それぞれ異なる役割がある。
    にもかかわらず、特定の能力や生産性だけを基準に人間を評価すれば、社会を支えている多くの人たちの価値を見失ってしまう。
    凄い人を称賛することと、社会に必要な人を正当に評価することは、両立できるはずだ。

    「凄い人」と「社会に必要な人」は、必ずしも同じではない

    社会が本当に豊かであるためには、凄い人を称賛するだけでなく、当たり前の日常を支えている人たちの価値にも目を向けなければならない。

    AIがどれほど進歩しても、社会の豊かさを決めるのは、技術の進歩だけではない。
    その技術を何のために使うのか。そして、人間同士がどのように関わり、互いの生活を支えていくのか。

    結局のところ、問われているのは技術を使いこなす能力だけではなく、何を大切にする社会をつくるのかという、私たち自身の価値観なのだと思う。


     
     
    医療と哲学の実践者。医療現場での経験を背景に、人間の行動の『なぜ?』を考えています。 答えではなく、考えるための視点や判断の枠組みを文章で共有しています。 勉強会やセミナーなどのご依頼はDMまで。 【資格・認定】理学療法士┃東京大学大学院<医療・介護従事者のための死生学>修了

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