
世代の重力からは逃れられない――村上春樹『猫を棄てる』が示す、わかり合えない理由
みなさんこんにちは、天の川銀河です。
今日は、
村上春樹のノンフィクション
『猫を棄てる 父親について語るとき』
から一節をご紹介しながら、
「自分を伝え切ること、相手を理解することはできない」
ということについて、
世代という切り口から考えてみたいと思います。
それぞれの世代の「空気」と「重力」
村上は同書の中で、
若い頃の自分の生き方を振り返りながら、
次のように述べています。
でも当時の僕には、机にしがみついて与えられた課題をこなし、試験で少しでも良い成績をとることよりは、好きな本をたくさん読み、好きな音楽をたくさん聴き、外に出て運動をし、友だちと麻雀を打ち、あるいはガール・フレンドとデートをしていたりする方が、より大事な意味を持つことがらに思えたのだ。もちろんそれで正しかったんだと、今になってみれば確信をもって断言できるわけだが。おそらく僕らはみんな、それぞれの世代の空気を吸い込み、その固有の重力を背負って生きていくしかないのだろう。そしてその枠組みの傾向の中で成長していくしかないのだろう。良い悪いではなく、それが自然の成りたちなのだ。ちょうど今の若い世代の人々が、親たちの世代の神経をこまめに苛立たせ続けているのと同じように。
村上はここで、
自分の若い頃の選択を振り返りながら、
それを単なる個人の性格や意志の問題としてではなく、
その世代特有の「空気」や「重力」の中で
育った結果として捉えています。
良い悪いの問題ではなく、
それぞれの世代は、
自分たちが吸い込んだ
固有の空気の枠組みの中でしか成長できない。
だからこそ、
今の若い世代がその親の世代をたびたび苛立たせるのも、
また自然な成り行きなのだと村上は述べているのです。
違う空気を吸った者同士、理解し合えなくて当然
この視点は、
自分を伝え切ることも、
相手を理解することもできないという限界の理由を、
とても具体的に教えてくれるように思います。
私たちはそれぞれ、
自分が育った時代の空気を、
無意識のうちに吸い込んで大人になっています。
だからこそ、
違う時代の空気を吸って育った相手に、
自分の価値観や優先順位を完全に伝えることは難しく、
逆に相手の選択を、
自分の時代の物差しだけで完全に理解することもできません。
親が子の選択に苛立ち、
子が親の価値観に反発するのは、
どちらかが間違っているからではなく、
それぞれが背負っている重力そのものが違うからなのだと思います。
だとすれば、
大切なのは相手を完全に理解しようと無理をすることよりも、
自分とは異なる重力の中で生きている人がいるのだと、
まず認めることなのかもしれません。
わかり合えないことを前提にしたうえで、
それでも歩み寄ろうとする姿勢こそが、
世代を越えた関係を保つための、
現実的な知恵なのではないでしょうか。
まとめ
村上春樹は
『猫を棄てる 父親について語るとき』の中で、
自分の若い頃の選択を、
それぞれの世代が背負う
固有の「空気」や「重力」の中で育った自然な結果として捉え、
良い悪いの問題ではないと述べていました。
私たちはそれぞれ異なる時代の空気を
吸って育っているからこそ、
自分を相手に完全に伝えることも、
相手を完全に理解することもできません。
親子や世代間で意見が食い違うのも、
どちらかが間違っているのではなく、
背負っている重力そのものが違うからなのだと思います。
だからこそ、わかり合えないことを前提にしながら、
それでも歩み寄ろうとする姿勢こそが、
世代を越えて関係を保つための知恵なのだと私は考えています。
最後までお読みいただき、
誠にありがとうございました。
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