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『新婚10年』~すこやかなるときも、やめるときも

     結婚して10年目のある日の夜。
     ふいに、妻がこんなことを言った。

    「ねぇ、結婚して10年が経っても、まるで新婚さんみたいに幸せそうな夫婦のエッセイが出るとしたら、『新婚10年』ってタイトルがいいと思わない?」
    「よさそうな本だね。だれの本?」
    「あなたが書くのよ」
    「何その新しいパターンの執筆依頼……」
    「いいじゃない。次に出す本のネタ、探してるんでしょ?それに、そろそろ新作を書かないと、読者さんに忘れられちゃうと思うの」
     
     たしかにそのとおり。売れない兼業作家にはよくある話だ。
     ぼくもこれまでにエッセイや小説を何冊か出版してきたのだが、だんだんと本業の仕事が忙しくなるにつれて、新作を書く時間を取れなくなっていた。

    「まぁ、そのうちね」

     でも、ぼくらが結婚して、もう10年が経つのか。
     長かったような気もするし、あっという間だったような気もする。それに妻の言うとおり、たしかに「新婚10年」というのはキャッチーな響きだし、本のタイトルとしても悪くない。

     それに今日は、5月の第2日曜日——いわゆる「母の日」だ。
     せっかくなので、たまにはこうして、妻と結婚してからの日々を振り返ってみるのも悪くない。
     
     そして何より、ぼくは——きみのリクエストに、めっぽう弱いのである。

    最近フォローしてくださった方の多くが

    「ぺんたぶさんって、あのぺんたぶさんかな?」

    と思っていらっしゃるようなので、今さらながら「このぺんたぶさんです」というご案内を。
    (伝わりますかね?)

    「腐女子彼女。」#ピッコマ https://t.co/johDkQngoT

    — ぺんたぶ (@pentabutabu) March 11, 2025


    *******

    新婚1年目~おっちょこちょいなときも。

     うちの妻は、とにかく”おっちょこちょい”である。
     鍵やスマホを失くすのは文字通りの日常茶飯事だし、財布を落としたことだって一度や二度ではない。地下鉄の落とし物センターに関しては、だんだん常連さんになりつつあるくらいだ。

     そして時には、勘違いでぼくに火の粉が降りかかることもある。
     たとえば、結婚してまだ間もない新婚生活1年目のある日の夜の出来事だ。

    「なんか今日、知らない女の匂いがする!」

     と、突然妻が怒りだし、バタン!と寝室のドアを乱暴に閉めて出ていった。まったく身に覚えがないので、驚きのあまり3秒ほどフリーズしていたのだが、その直後に、

    「わたしの手からも同じ匂いがする。ハンドクリーム新しくしたんだった」

     そう言って、とても気まずそうにドアを開けて顔を出した夜のことは、いまだに思い出すたび冷や汗をかく。

    ******

     ほかにも妻は、おっちょこちょいエピソードには事欠かない。
     新婚生活を始めて間もない頃に、仕事終わりに合流してデートをする日々を続けていた頃に妻から届いた、

    いつもと違う車両に乗ったら、いつもと違う改札があって、いつもと違う出口を出たら、いつもと違う町並みが広がっていて。

    “いつもの駅なのにこんな景色もあるんだ”

    と新鮮な気持ちで待ち合わせ場所に歩いてたのですが、どうやらふつーに降りる駅を間違えてたみたいです。遅刻します。

     というLINEは、今でも定期的に読み返したくなるほど芸術点が高い。
     きみのその感性をぼくにわけてもらえたら、きっとぼくの本はもっと売れる気がする。
     
    「え、わたしの感性が欲しい?あげるよ?もれなく、おっちょこちょい成分とセットだけど」
    「……」
    「ちょっと黙らないでよ」
    「今回はご縁がなかったということで……」
    「噓でしょ断らないでよ引き取ってよ!いつも”いいなぁ。ぼくも君みたいになれたらなぁ”って言ってるじゃん!」
    「いや……ぼくの手には負えなそうで」
    「わたしも持て余してるのよ!」

     大丈夫。そんなところも含めて、ぼくはきみに恋をしている。

    ******

    新婚2年目~可愛いときも。

     もちろん、妻はおっちょこちょいなだけじゃなく、可愛いところもたくさんある。妻の名誉のためにも、少しその話もしておこう。

     まず、顔がいい。好みも好み、どストライクだ。

     新婚生活2年目。
     ぼくが仕事で少しだけ昇進して、残業が続いていたころの話だ。

     そのころ、妻は休日になっても「休みなんだからどっか連れてって」なんてことは決して言わなかった。
     かわりに、ぼくがまだ寝てるうちにメイクとお洒落を完璧に仕上げてから、ただただ「おはよ?」と起こしてくるのだ。

     そして、そんなキレイな妻を家に置いておくのがもったいなくて、結局あちこち連れ回してしまうという罠に引っかかり続けたのは、ここだけの秘密だ。

    ******

     もちろん、妻の可愛いところは顔だけじゃない。

     ほかにも、
    「あれ?ネイル変えた?可愛いね」
     とぼくが言ったら、「気付くの遅いよ!昨日からなんですけど!」と怒られてしまったときも。
     とっさに「顔ばっか見ててごめん」と言ったら急にご機嫌な表情になり、その日の晩ご飯がぼくの好物になったりするところも、とても単純で可愛いところだ。

     ん?
     これも結局、”ぼくは妻の顔が好き”という話になってるか?

    ******

    新婚3年目~家族がふえたときも。

     そんな妻との、新婚生活3年目。
     ぼくらは、父と母になった。

     生まれてきてくれたのは、とても可愛い男の子だ。
     本が大好きなぼくと妻は、「なにか、”言葉”にまつわる名前がいいよね」と相談して、ふたりがいちばん素敵だと思う名前に決めた。

     むすこの名前を呼ぶたびに、その心地よい響きに癒されるので、本当にこの名前にしてよかったと思う。

     そして、家族が3人になってからというもの。
     ベビーベッドやおもちゃが増えたために、家はすっかり手狭になり。可愛らしい仕草の写真を撮りすぎてスマホの容量は不足し。夜泣きによって睡眠時間が減り、おむつ代やミルク代が家計を圧迫して。

    ——そしてそんなもろもろの話のすべてを、キレイさっぱり吹き飛ばすほどに、幸せに満ちた日々がいまも続いている。

    ******

    新婚4年目~ファッションに手厳しいときも。

     むすこが1才になった、新婚生活4年目。
     妻は「むすこくんが喜ぶと思って」と言っては、ドラえもんやアンパンマンなんかのグッズを買ってくるようになっていた。

     だが、そうしたキャラものの靴下やTシャツに、どうも大人用のサイズが混じっている気がして、本人に聞いてみたことがある。

    「このキャラものたちさ、明らかにきみが着る用のサイズだよね」
    「うっ……。気づいてしまったか……。だって可愛くて……」
    「まぁ、ちゃんと着るならいいけど」
    「ほんと!?」と、妻の顔がぱあっと明るくなる。「あなたのサイズもあるの。一緒に着よ!」
    「ぼく、服はシンプルな無地タイプが好みなんだよね。キャラものって似合わないから、遠慮しておこうかな」
    「そんなこと言わないで、キャラものだって着てみたら人生変わるよ!そんな”上級生に目を付けられないため”としか思えない地味なTシャツはやめて、このバイキンマンTシャツを一緒に着よう!」

     えっと、きみ、ぼくのファッションについてそんな風に思ってたの?

    ******

    新婚5年目~隠れた才能に気づくときも。

     そして新婚生活5年目の春。ぼくは仕事で昇格し、少しだけどお給料も増えた。
     日々、ぼくを支えてくれている妻にお礼をしようと、何か欲しいものがあるか聞いたところ、
    「そんなに高くなくてもいいから、毎週、お花を買うのを許して欲しいかな」
     と、そんなお返事が。
    「もちろんいいよ」
     と答えたその日から、リビングに花がある暮らしが始まった。
     華やかになった部屋で暮らしてみて、意外にも、妻にきれいに花を飾る才能があることに気づく。
     結婚して5年目。
     妻のことはよくわかっているつもりでいたけど、まだまだ知らない顔があったようだ。
     

    新婚6年目~むすこが不機嫌なときも。

     新婚生活6年目に、むすこは保育園の年少さんになった。
     その年の秋に、家族3人で初めて参加した保育園の運動会では、たくさんの大人が観客として集まっていることに驚いたのか、むすこはずっと泣きじゃくっていた。
     ダンスも直立不動でさめざめと泣いているし、かけっこもスタート地点から微動だにしない。

    「すみません……!」と先生に頭を下げながら、ぼくはむすこを抱きかかえてゴールに走った。

     そのくせ、参加賞でもらった金色のメダルには目を輝かせて「やったー!」と喜び、副賞のおやつの詰め合わせは「おいちい」と一人でもりもりと食べていた。
     妻とぼくは「まぁ、はじめてなんてこんなもんだよね」と苦笑いして、そしてむすっとした顔のむすこを連れて帰った。

    ******

    新婚7年目~むすこがご機嫌なときも。

     新婚生活7年目に、むすこは保育園の年中さんになった。
     その年の運動会では、最後の種目であるリレーであか組のアンカーを走り、ぼくと妻の目の前で、1位のゴールテープを切った。

     前年の運動会の不機嫌さが嘘のような大活躍で、本人も満開の笑顔を浮かべて喜んでいたし、ぼくも妻も飛び跳ねて喜んだ。

    「やばい、泣きそう」という妻のほうを振り返ると、すでに滝のような涙を流している。
    「な、泣きすぎじゃない……?」
    「だってぇ……アンカーとか聞いてなかったし、『ぼく、保育園にいきたくない。運動会の練習がイヤだ』って泣いてたくらいなのに、1位を取るなんて!むすこくんカッコよすぎでしょ……!」

     まぁ、たしかに泣きたくなるような気持ちもよくわかる。
     正直に言えば、ぼくも少しだけ泣きそうになっていた。むすこがこの日に向けて頑張っている姿を、ぼくはよく知っていたからだ。
     
    ******

     運動会の1週間前。
     むすこと二人で近所のショッピングセンターで買い物をしていると、急にむすこが「パパっ!ぼく、あっちをみたい!」とぼくの手を引いて、靴屋さんに入った。

     そのまま自分から店員さんに駆け寄ると、「すみません!これは、はやすぎる、くつですか?」と、有名メーカーが”運動会で速く走れるくつ”と宣伝している運動靴を指さしたのだ。

     前年の運動会で、たくさんの大人の姿に驚き、ほぼすべての演目を直立不動で過ごしていたほど人見知りだったむすこが、自分ひとりで店員さんに声をかけ、欲しい商品を伝えている。
     そんなわが子の成長の瞬間に立ち会えた幸運に感謝しつつ、ぼくは会計を済ませた。

     むすこが、生まれて初めて自分から店員さんに声をかけ、自分で選び、自分でレジに運んだその靴は、きっとむすこの願いを叶えてくれるはずだ。

    ******

     そして、運動会の当日。
     今年は大丈夫かな?と心配するぼくと妻の前で、むすこはしっかりと行進して入場し、全身を使って楽しそうにダンスを踊った。
    「去年はあんなに嫌がってたのに……!」と演目のたびに驚いていると、会場に先生のアナウンスが流れる。

    『次は、最後の競技のリレーです。今日のために、みんな一生懸命に練習してきました』

     そして園児たちが大きく手を振って行進しながら入場し、むすこの姿を最後見つけると、ぼくと妻は同時に叫んだ。

    「「え、アンカーじゃん……!」」

     たくさんの園児が並ぶ中で、むすこは、一番最後に立って、アンカーだけがつけるタスキを斜めにかけている。
     やがて、リレーのスタートを告げるピストルが鳴ると、園児たちはあお組とあか組の2チームにわかれて、一進一退のいい勝負を繰り広げた。
     そしてバトンを待つ園児も、あと3人、2人、1人と減っていき、いよいよ両チームのアンカーの順番がやってくる。

    『両チーム、次は、アンカーにバトンが渡ります。アンカーは、ほかの園児よりも半周ながく、トラック1周半を走ります』

     大丈夫かな。バトンを落としたり、転んだりしないかな。
     そんな風にハラハラしながら、ぼくと妻はスタート地点でバトンを待つむすこの姿を見守る。
     そして。
     いよいよ、むすこの小さな手に、バトンが渡る。履いているのは、むすこが自分で見つけて、生まれて初めて自分で店員さんに頼んで買った、「はやすぎるくつ」だ。

    ——大丈夫。きっときみは、上手に走れる。

     バトンを受け取ったむすこは、大きく腕を振って駆け出す。地面を蹴り上げて前に進み、カーブも上手に曲がっていく。
     転んだりしないし、バトンだって落とさない。
     トラックを半周走り、1周走り、そして最後の半周になっても、むすこは誰にも抜かれることはなかった。

     後日、保育園の先生から聞いた話によると、前日までのリレーの練習では、5回に1回くらいしか、むすこのチームは勝てなかったらしい。

     アンカーを走るむすこは責任を感じて、ゴールしたあとで静かに泣いてしまったこともあったようだ。
     その姿をみて、先生たちも「走る順番、変えようか?」と本人に聞いてくれたそうなのだが、むすこは「ぼく、がんばって、はしるよ!」と諦めなかったそうだ。

     
    ——そして、むすこはぼくと妻の目の前で、1位のゴールテープを切ったのだった。

    ****** 

    新婚8年目~ぼくが仕事に疲れているときも。

     新婚8年目になると、ぼくが会社で大きなプロジェクトを任されることになり、これまでよりも忙しい日々が続いていた。
     ある日、よほど疲れがたまっているように見えたのだろう。
     夜、むすこが寝たあとで、妻がぼくに言った。

    「ねぇ、たまにはひとりでパーッと気晴らししてきなよ」
    「え、家族3人でいるのがぼくにとって最高の気晴らしになるんだけど」
    「それじゃ意味ないの。たまには仕事を忘れてリフレッシュして欲しいのよ」
    「家族で過ごすとリフレッシュになるけど」
    「平行線!あ、じゃあさ、もし自分がいま、独身貴族だったとしたら」
    「ぼくが独身貴族だったとしたら?」
    「したいこととか欲しいものとか、ない?」

    「きみと結婚したい」

    「この流れでそういうこと言う!?」

    ******

    新婚9年目~むすこが女心をわかっているときも。

     新婚9年目の春、むすこが小学生になった。
     入学式の日から数日、大きなランドセルを背負ったむすこに妻が「カッコいい!すっかりお兄さんだね、イケメン!」と言い続ける日々が続き、むすこは「イケメン」が男子にとって嬉しいほめ言葉だと学んだのだろう。
     
     休日に、ぼくがエプロンをして料理をしていると、むすこが「パパはエプロンしてるとイケメンだね!」と言った。
     ぼくが「ほんと?嬉しいな。今日はむすこくんが好きなメニューにしちゃう!」と答えると、妻が横から、
    「ママは?ねぇ、ママは!?」と言い出した。

     果たしてむすこはどう答えるのかドキドキしていたら、むすこは涼しい顔で、「ママはエプロンなくても可愛いじゃん」と100点満点の回答を返していた。
     一体どこでそんな完璧な振る舞いを学んだの?

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    新婚10年目~そして、やめるときも。

     もう10年も前の、とある夏の日。
     海のそばの大きな教会で、ぼくと妻は、あの「すこやかなるときも、やめるときも」という有名なフレーズで、どんなときも互いに助け合い、愛し合うことを誓った。

     その誓いの日から10年が経った、ある冬の日のことである。
     
    ——妻の胸の中に、「がん」が見つかった。
     
     長い人生だから、いつかは来るよねこんな日も。
     ということで、この日このとき、この瞬間から、あの日誓った"やめるときも"のお話が、幕を開けたわけである。

     なお、最初にひとつだけ言っておく。
     この話が悲しい結末になることは、万に一つもない。

     大丈夫。
     ぼくが書く物語は全部、一つたりとも例外なく、文句なしのハッピーエンドなんだから。
     クローゼットにしまい込んでいた執筆用のパソコンを取り出して、うっすらと被っていたホコリをきれいに拭く。
     電源を入れ、いつものワードを立ち上げる。

     最後に本を出してから、もうずいぶんと時間が経っているから、うまく書けるかわからないけど——いまぼくにできる、精いっぱいのことを。

     カーソルが点滅する画面に、ぼくは次回作のタイトルを打ち込む。


    『新婚10年』——たぶんこれは、ぼくにしか書けない物語だ。

    2025年5月 母の日に
    ぺんたぶ


     
     
    いまどうしてる?恋してます。/作家彼女。/腐女子彼女。などの本を書いてます。

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