
目に見えない「居候」たち
パンを焼く。
そう言葉で言うのは簡単だけれど、実際にやってみると、あれは料理というより「ご機嫌伺い」に近い。
なにしろ相手は、目に見えない。目に見えないくせに、しっかり生きている。気性が荒い日もあれば、どうにも寝起きが悪くてテコでも動かない日もある。昔の人が「これは魔法だ」と信じ込んだのも、本当によく分かります。
だって、小麦粉と水を混ぜて放っておくだけで、ある日突然、生地が「生きてます!」と言わんばかりにブクブクと膨らみ出すのだから。当時の人からしてみれば、夜中に妖精か何かがやってきて、コッソリ息を吹き込んで去っていったとしか思えなかったはずです。
「おい、今日の生地、やけに機嫌が良くないか?」
「ああ、昨夜お祈りした神様が効いたのかもしれないぞ」
なんて会話が、古代のエジプトあたりで大真面目に交わされていたんじゃないでしょうか。
それが今や、「酵母という微生物が糖分を分解して炭酸ガスをですね……」なんて科学的に説明されてしまう時代です。顕微鏡でのぞけば「あ、ホントだ、丸い粒々がいる」と分かる。
でもね、と私は思うのです。
正体が分かったからといって、じゃあ人間の思い通りになるかと言えば、まったくそんなことはない。
ちょっと気温が下がれば「寒くてやってられません」とばかりに沈黙し、ちょっと湿気が上がれば「待ってました!」と暴走する。科学で解明されたところで、結局私たちは、紀元前の人々と同じように「お願いだから美味しく膨らんでおくれよ」と、目に見えない小さな生き物たちにペコペコ頭を下げているわけです。
魔法の正体は微生物だった。けれど、その微生物と付き合う面白さは、何千年前からちっとも変わっていないのかもしれません。
今日も今日とて、目に見えない彼らの機嫌を伺いながら、私はそっとオーブンの扉を閉めるのです。