
才能が先か、アートが先か?脳の答えは、逆かもしれない。
カート・ヴォネガットは、成功した人生とは何かと高校生に問われ、
手紙にこう書いたという。
うまいか下手かは関係なく、何でもいいからアートを実践しなさい、と。
富や名声のためではなく、魂を成長させるために。
このフレーズは、私が大好きなフレーズのひとつだ。
顕微鏡の先で描かれた、一枚のスケッチ
スペインの神経科学者サンティアゴ・ラモン・イ・カハルは、
顕微鏡をのぞいては神経細胞を描き続けた人である。
黒々とした細胞体から、
枝のような突起が四方へ伸びていく。
その絵は、科学の図であると同時に、息をのむほど美しい。
神経科学者のラマチャンドランは、こう書いた。
気分も、感情も、思考も、恋愛も、
自分だけが知っている「自己」さえも、
頭の中にある小さなゼリー状のものの活動にすぎない、と。
この言葉が、カハルの絵の上に刻まれて紹介されているのは
とても象徴的である。
一方は、見て、描く人。
もう一方は、見えない仕組みを言葉にする人。
どちらも、頭の中のゼリーが自分自身を理解しようとしてきた営みである。ならば、逆も言えるのではないか。
アートに没頭することは、
そのゼリーに、じかに触れる行為なのかもしれない。
指揮台の上で、聴衆が立ち上がった夜
2007年、ロンドンのホール。
ベネズエラのシモン・ボリバル・ユース・オーケストラを率いていたのは、26歳の指揮者グスターボ・ドゥダメルだった。
演奏は素晴らしく、
アンコールは一曲では終わらず、
三曲にまで及んだ。
最後は「ウエスト・サイド物語」の「マンボ」である。
管楽器とドラムがビートを刻み、
弦楽器の奏者は立ち上がって踊りながら弾いた。
やがて聴衆も席を立ち、笑い、手を叩いた。
のちに彼は、あの瞬間を、
ロケットが打ち上がった最高の瞬間だったと振り返っている。
この楽団を育てたのは人物は、エル・システマ。
貧しい子どもたちに楽器と指導を無償で届ける音楽教育のしくみに取り組んでいる。
狙いはプロの音楽家をつくることではない。
ドゥダメルのような成功は、うれしい副産物にすぎない。
彼の本当の目的は、
幼いころに認知の力や社会性、
感情のスキルを養い、
幸せな人生の土台をつくること、にある。
音楽家をつくるために音楽を教えるのではない。
人をつくるために、音楽を使う。
この逆転は、とても静かで、とても強い。
つながりは、使うほど太くなる
生まれたばかりの脳は未熟である。
ハイハイも、歩くことも、おしゃべりも、
回路が書き換わりながら身についていく。
この書き換えの性質を、脳の可塑性と呼ぶ。
人生の最初の数年で、
人はどれほど多くのことを学ぶのか。
改めて考えると、驚くほかない。
くり返した動きは、
やがて考えなくてもできるようになる。
ダンスのステップを意識せずに踏めるのも、
歌を「そらで」歌えるのも、
厳密に言えば、脳で歌っているということである。
神経細胞が枝を伸ばしてほかの細胞とつながり、
その結びつきが習慣として固まる。
草むらを何度も歩くと、
やがて一本の小道ができる。
それによく似ている。
使われない小道は、やがて草に埋もれる。
だからこそ、幼いころに何を見て、
何に触れるかが重い意味を持つ。
脳が未熟なまま生まれてくることには、
理由があるように思う。
回路がまだ白紙に近いからこそ、
周りの世界との関わり方しだいで、
いかようにも形を変えられる。
ここで効いてくるのが取り囲む環境である。
マリアン・ダイアモンドは、
ラットを遊び道具や仲間のいる豊かな環境で育て、
何もない環境で育てた場合との違いを調べた。
その差は、のちの多くの仕事でも裏づけられてきた。
エル・システマの子どもたちが享受している環境も、
豊かさの一つの姿だろう。
刺激の乏しい環境では、せっかくの回路が損なわれてしまうことが、
あまりにも多い。
もう一つ、驚かされるのは発想の逆転である。
音楽家の脳では、
記憶の保存と検索を助ける海馬が、
ほかの領域と数多く結びつき、
灰白質も多く見られる。
かつては、音楽家は生まれつき海馬が豊かだから上達するのだと考えられていた。
いま立てられている仮説は、その逆である。
楽器を練習し続けたからこそ、
つながりが強くなったという見方だ。
才能が先ではなく、
続けた時間が先なのかもしれない。
努力が脳に刻まれるのだとすれば、
これは少し心強い話である。
音楽の指導を受けた子どもたちは、
音を処理する領域が大きくなり、
左右の大脳半球をつなぐ橋のような部分(脳梁)も結びつきを強めていた。
変わるのは演奏の腕だけではない。
脳そのものの形が、練習に応じて変わっていく。
目に見えない成長が、確かに起きているのである。
もう一つ見逃せないのが、経験の「際立ち」である。
新しさ、ユーモア、好奇心、創造性。
心が動いた経験ほど、記憶に深く残る。
退屈な講義が頭に残らないのは、意志が弱いからではない。
脳の仕組みとして、ごく自然なことである。
アートは、この「際立つ経験」を日常に差し込む。
楽器の練習は、聴く、動かす、見るという
複数の働きを同時に使わせ、
そのあいだの連絡を強めていく。
その副産物として、
記憶や空間をとらえる力まで鍛えられていくのだ。
うまくなくても、脳は育っている
絵を描く人は、まず鋭く観察する。
頭にイメージを浮かべ、
想像力で先を思い描く。
自分の声を探し、決断し、振り返る。
うまくいかなくても粘り、リスクを恐れず、失敗から学ぶ。
これらは「実行機能」と呼ばれる力に重なる。
目標のために、考えと行動と感情を整える力である。
計画を立て、決断し、目標から逸れる衝動を抑える。
読もうと決めた文章の前で、
何度も気が散ってしまう。
あの状態の反対側にある力だ。
面白いのは、アートで身についた力が、
アートの外でも働くことである。
楽器の練習で培った粘りが、
勉強や仕事の粘りに姿を変える。
専門の世界ではこれを「移行」と呼ぶ。
ヴォネガットが「うまいか下手かは関係ない」と書いた理由が、
少しわかる気がする。
脳が育つのは、出来上がった作品ではなく、
そこへ向かう時間のなかだからだ。
上手でなくても、描いているあいだ、
頭の中のゼリーは静かに配線をつなぎ替えている。
あなたにとってのアートはなんだろうか?
答えは、絵や音楽でなくてもかまわない。
#ヴォネガット #ラモン・イ・カハル #ドゥダメル #エルシステマ #脳の可塑性 #実行機能 #アート #学び #好奇心 #内省