
『おはよう』を頑なに言わない息子たち 【よもやま話 ep.26 】
朝、洗濯や朝食の準備をしているとき、息子たちがようやく目を覚まして居間に入ってきた。
私&妻「おはよう!」
これに対し、息子たちは、いずれも、
長男「…(無言で洗面所に向かう)」
次男「…(無言でソファに座り、ぼーっと)」
そう、一言も発さないのだ。
私&妻「おーはーよーう!」
もう一回、強めに挨拶してみると、
長男「…ういっ」
次男「うん。」
微妙にバリエーションが生まれたものの、やはり、「おはよう」の4文字が2人の口から発せられることは今日もなかったのだった。
このようなやりとりは、何も今に始まったことではない。
2人が小学生の頃から、こちらが毎朝「おはよう」と声をかけても、無言か「うん」だけ。
「なんでおはようって言ってくれないの?たった4文字、一言だけなんだから、言ってくれてもいいじゃん。」
と理由を尋ねたことも何度かあるのだが、
長男「うーん、なんとなく。」
次男「別に言わなくてもいいから。」
などといまいち要領を得ない。
挨拶をしっかりするのは、よりよい人間関係を育む上で大切なことなんだよ。
などとその意義について、夫婦で代わる代わる説いてはいるものの、今のところ納得はしてくれていない模様である。
これが、いわゆる「反抗期」というものか…
などと思ったが、先に述べたとおり、朝の挨拶をしてくれないのは、小学生の頃から。一概に反抗期のせいとは言い切れなさそうな気もしている。
個人的には、「挨拶できない呪いにかかっている説」を推しているのだが、妻からは冷たい目をされただけでスルーされた。
いずれにしても、一方通行で挨拶をし続けるのは、地味に悲しい状況。
なんとか、息子たちの態度を改めさせるよい手立てはないか。
悶々とするほど深刻な悩みではないのかもしれない。
ただ、親目線でいけば、相手がいくら親とはいえ、きちんと朝の挨拶くらいはできる大人になってほしい。
そのような願いさえも贅沢なのだろうか…
しばしば、個人的に思い悩んでいた。
しかし今回、このことをnoteに書こうと思い立って、改めて考えを巡らせる中で、個人的にいくつか大きな気付きがあった。
先ほど「相手がいくら親とはいえ、きちんと朝の挨拶くらいはできる大人になってほしい」と述べたと思う。
そもそも、なんでそう思ったんだろう?と思い返したとき、
私が子供の頃、親に「必ず」朝は「おはよう」と言っていたことを、そのときの光景とともに思い出したのだ。
ただ、それは、私がひとえに「いい子」に思われたかったから。
もっと言えば、両親、特に母親の機嫌を損ねたくなかったからだった。
私にとっての朝の挨拶は、自然体で行っているというよりは、両親の機嫌を損ねないための処世術でもあったのだ。
その癖が、今もなお自分に残っているが故に、息子たちの態度が目についてしまうのかもしれない。
そして、もう一つ分かったこと。
父親となった私は、夫婦喧嘩も多かった両親の機嫌を常に窺うような親子関係にはしたくないという思いが強かった。
このため、(両親には申し訳ないが)彼らを反面教師にして、そのような余計な気苦労をさせないよう、自分なりに心配りをしてきた。
そのお陰もあってか、息子達は良くも悪くも、私とは違ってのびのび育っているし、他愛もない日常会話なら、結構普通にしてくれるではないか。
普段親目線で気に入らないところばかり見てしまっていた自分に、遅ればせながら気づけた。
要は、我が家が、挨拶という「儀礼」を必要としない場所――もしかしたら、安心して過ごせる場所――になっているということなのかもしれない。
そう、思えるようになった。
私にとっての家は、「気を遣う場所」
息子達にとっての家は、「気を遣わずノビノビしていられる場所」
それなら、それでいいではないか。
「うぃ」でも、「うん」でも、返事を返してくれるなら十分。私としては、そのくらいのゆったりとしたスタンスでいようと思う。
つい、私も妻も、あるべき「理想の姿」を息子達に求めてしまいがちなところがある。
それもそれで必要なときはあるだろう。
でも、私としては、愛する息子達に、これからも我が家を安心できる場所と思ってもらえるよう、親として接していきたい。
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