
「わかるよ」のひと言で上書きしない。私とあなたの物語の境界線
誰かがぽつりぽつりと、自分の抱えている悩みや、過去の辛かった出来事について話し始めたとき。
私たちはつい、相手を安心させたくて「わかるよ、私も似たような経験があるから」と声をかけてしまうことがあります。
目の前の人が孤独を感じないように、少しでもその荷物を軽くしてあげたい。
それは、聞き手の優しさや善意から生まれる温かな言葉です。
しかし、その「わかるよ」というひと言が、時に相手の口を重くさせ、見えない壁を作ってしまうことがあります。
励まそうとしたはずなのに、相手がふっと黙り込んでしまったり、どこか寂しそうな表情を浮かべたりする。
それは、相手が自分のために時間をかけて絞り出そうとしていた切実な痛みが、聞き手の「私も同じだ」という箱の中に、すんなりと回収されてしまったように感じた瞬間かもしれません。
「わかるよ」という言葉そのものが悪いわけではありません。
相手の痛みに寄り添いたいと願う心は、とても尊いものです。
ここで気をつけたいのは、「私も同じだ」と無意識に決めつけ、相手が話し終える前に、その人の物語を自分の経験の枠組みで「まとめてしまう」ことです。
表面上はどれほど似たような出来事であったとしても、その経験が持つ意味合いや、感情の色合いは決して同じにはなりません。
ある出来事をどう受け止めるかは、その時の状況や、過去に似たような困難をどう乗り越えてきたかという、その人だけの歴史によって変わります。
単なる「事実」としての出来事に、その人独自の解釈と感情が結びつくことで、初めてその人だけの「固有の経験」になるからです。
それにもかかわらず、相手の話の途中で性急に「私にもその気持ちが分かる」「私も辛かった」と伝えてしまうこと。
それは、あなた自身の経験が持つ意味を使って、相手の物語を無自覚に「上書き」してしまうことを意味します。
主語を「相手」から「私」にすり替え、話のスポットライトを奪ってしまっている状態です。
だからこそ、相手の話を聞いていて「私にも似た経験がある」と心が動いたときには、少しだけ立ち止まってみてください。自分の経験を語り始めて相手を励ます代わりに、あなたのその経験を手がかりにして、こう尋ねてみてほしいのです。
「私にも似た出来事があったけれど、そのとき、あなたはどんな風に感じたの?」
「あなたにとって、それはどんな経験だったの?」
自分の経験はあくまで「私のもの」として手元に置き、目の前の相手が「その人自身の経験」をどう捉えているのかに静かに耳を傾ける。
それこそが、相手の物語の主役を奪わず、スポットライトを相手に当て続けるための境界線の引き方です。
前の章で、「私たちは完全に分かり合うことはできない」というお話をしました。
しかしそれは、相手に共感してはいけないとか、分かり合えないのだから相槌を打つ意味もない、ということではありません。
私たちは、相手の物語をそっくりそのまま理解することはできなくても、相手の言葉を否定せずに受け止めることはできます。
「そうなのですね」「それはお辛かったですね」と、ただ評価せずに相槌を打つ。
話の主役を相手にしたまま、そっと言葉の置き場所を差し出すような聴き方が、相手の心に本当の安心感をもたらすのだと思います。
「あなたはそう感じたんだね。そして、わたしはこう感じているよ」
互いの輪郭を独立させたまま、重なり合わない部分をそのままにしておくこと。
相手の物語を自分の枠組みに引き寄せることなく、ただ丁寧に耳を傾けていくことは、あなたと私が「別の人間である」という事実を静かに認める作業でもあります。
なぜ、主役を奪わずに聴くことがそれほど大切なのでしょうか。
それは、人が傷ついた心を取り戻していくためには、自分の経験を「自分自身の言葉で語り切る」というプロセスがどうしても必要だからです。
誰かに物語を奪われることなく、安全な場所で語ること。
発した言葉が空気に触れたとき、「少し違うかもしれない」と自分の感覚とのズレに気づき、今の自分にしっくりと馴染む言葉を探し、選び直していく。
その繰り返しのなかで、角張っていた記憶は少しずつ丸みを帯び、冷たかった過去に静かな温度が宿っていくことがあります。
私たちが自分自身を取り戻していく「生き直し」は、こうした物語の静かな変化によってもたらされます。
無理に「わかるよ」とあなたの経験で上書きして、手っ取り早く答えを出してあげなくても大丈夫です。
境界線を守り、相手が自分自身の言葉を紡ぐのを、ただ静かに隣に座って待つ。
人の中でゆっくりと回復が起こっていくためには、それだけで充分なのかもしれません。
連載『答えを急がず、言葉を紡ぐ』
第3章:答えを急がない対話の技術 - ⑫
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