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許せない相手とは向き合わなくてもいい。遠くから背景を眺めてみる

    ​「許すことは大切だよ」
    「許してあげたら、きっとあなたの心も楽になる」
    「歳をとれば、そのうち相手も丸くなるものだから」
    「もう少し、相手の立場も理解してあげなよ」

    ​誰かとの関係に行き詰まり、どうしようもない痛みを抱えて立ちすくんでいるとき、周囲からそんな言葉をかけられた経験はないでしょうか。

    声をかけてくれた友人や知人に、悪気はありません。
    心配し、力になりたいという善意から言葉を選んでくれたのでしょう。
    どれも道徳的で、一見すると疑いようのない「正しい言葉」に思えます。

    ​しかし、その「正しさ」に触れた瞬間、胸のあたりが冷たく重くなるような感覚を覚えることがあるかもしれません。
    相手を許せないでいる自分や、顔を思い浮かべるだけで心が波立ってしまう自分が、どこか未熟で冷酷な人間であるかのように思えてくるからです。

    ​スマートフォンの画面に名前が表示されただけで息が詰まる相手。
    それは家族であったり、長い付き合いの人であったりすることも少なくありません。
    繰り返し苦しい気持ちになるにもかかわらず、「家族だから」と自分に言い聞かせ、無理に相手の正面に立ち続けようとすれば、心はさらにすり減っていきます。

    ​結論から言うと、許せない相手、顔を合わせるたびに心が削られる相手とは、無理に向き合う必要はありません。

    ​世間には「膝を突き合わせて話し合えば、どんな人ともいつか分かり合える」という考え方があります。
    しかし、実際の関係性というものは、双方の協力がなければ成り立ちません。
    もし片方が歩み寄ろうとしても、もう一方が自らの正しさを疑わず、こちらの痛みに目を向けようとしないのであれば、そこにあるのは有意義な対話ではなく、ただ消耗させられる時間です。

    ​あなたばかりが我慢を重ね、境界線を踏み荒らされながら譲り続ける関係を維持する必要はありません。
    相手がどれほど話し合いを迫ってきたとしても、あなたが苦痛を感じているのなら、距離を置く権利があります。
    正面からぶつかることだけが、誠実さの証ではありません。
    直接対峙するのをやめ、少し離れた場所から相手を間接的に眺めてみることも、ひとつの静かな向き合い方です。

    ​とはいえ、誤解しないでいただきたいのは、「今すぐ相手の立場や背景を想像しなさい」と言いたいわけではないということです。

    相手への怒りや恐怖で心が波立っているときは、相手の背景など知りたくもないと思うのが自然です。
    今はまだ、背景を知る必要はありません。今はただ、距離を置くだけで十分です。
    ​ただ、いつか少しだけ心に余裕ができたときのために、私自身を救ってくれたひとつの「選択肢」として、私のお話をさせてください。

    ​私自身、両親と顔を合わせるたびに激しい痛みを覚え、傷つけられ続ける日々に苦しんでいた時期がありました。
    子どもの頃から続いてきた否定的な言葉や重苦しい空気は、大人になっても変わることはありませんでした。
    これ以上向き合えば自分が壊れてしまうと感じた私は、あるとき、両親と直接向き合うことを完全にやめました。

    ​その代わりに試みたのが、両親の背景を知るために、両親の兄弟である叔父たちに会いに行くことでした。

    駅前の喫茶店や静かな食事の席で、昔の家族の様子をぽつりぽつりと尋ねてみました。
    叔父たちから語られたのは、私が今までまったく知らなかった両親の子ども時代の姿でした。
    ​家の中で親がどのように扱われていたのか。どのようなプレッシャーの中で育ち、何を諦めざるを得なかったのか。

    話を聞くうちに分かったのは、叔父たち自身もまた、その家庭の中で深く傷つき、苦しい思いを抱えながら生きてきたという事実でした。

    ​「あの人も子どもの頃、親からひどく厳しく当たられていたんだ」
    「あなたがそんな思いをしていたなんて気づかなかった。つらかったね」

    ​そんな言葉を叔父たちがかけてくれたとき、胸の奥の固いものが少しだけほどけたような気がしました。
    叔父たちとの時間を通じて、私は両親という存在を「絶対的な親」という立場ではなく、傷を抱えたまま大人になってしまった、ひとりの不完全な人間として客観的に眺められるようになりました。

    ​そして何より大きかったのは、叔父たちと親しくなり、彼らが私の良き理解者となってくれたことでした。
    両親と直接向き合うのを手放したことで、かえって親戚との関係が豊かに広がり、心強い味方ができたのです。
    直接ぶつかるのをやめて、遠くから背景を眺めてみたことで、閉ざされていた人間関係の中に新しい風が通った瞬間でした。

    ​ここで心に留めておきたいのは、相手の生い立ちや背景を知ったからといって、相手を許す必要はないということです。
    「あの人もつらい過去を抱えていたのだから」と自分を納得させ、受けた傷をなかったことにする必要は全くありません。
    どれほど過酷な背景があったとしても、あなたが傷つけられたという事実は消えませんし、その痛みが帳消しになるわけでもありません。

    ​許すことや和解をゴールにしなくていいのです。
    分かり合って手を取り合うことだけが、人間関係の正しいあり方ではありません。
    大切なのは、相手を許すことよりも、あなたが安心して今を生きていられることです。

    ​「どうしても許せない」という感情は、これ以上自分を傷つけさせないために、心が懸命に働かせている防衛のサインです。
    その感情を無理に手放そうとしたり、道徳的な言葉で塗りつぶしたりする必要はありません。
    許せない思いを抱えたままの自分を、そのまま認めてあげてほしいと思います。

    ​直接ぶつかるのをやめ、遠くからその背景をただ眺めてみる。
    それは相手のためではなく、相手と自分との間に静かに境界線を引き、自分自身の心を守るための知恵です。

    向き合わないという選択肢を手元に置きながら、まずは今のあなたが安全で、穏やかに呼吸できる場所を大切に選んでみてください。


    連載『答えを急がず、言葉を紡ぐ』
    第2章:自分を取り戻す「生き直し」のプロセス - ⑨


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    対話ファシリテーター。牧師として10年間で延べ500名の声に耳を傾けてきた一方、自身もまた正論に苦しんできた過去を持つ。現在は「正解を説く」立場を手放し「言葉が生まれるまで待つ」スタンスへ転身。分かり合えないことを前提に、答えを急がず自分と他者に向き合う実践的なヒントを伝えます。

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