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Q. 相手が黙り込むと、拒絶されたようで焦って質問攻めのようにしてしまいます。

    Q. 相手が黙り込むと、拒絶されたようで焦って質問攻めのようにしてしまいます。そんなとき、お互いのために、本当はどのようにすればよいのでしょうか?

    前の記事では、沈黙は言葉を待つ創造的な時間になり得るというお話をしました。
    しかし、日常の人間関係の中には、どうしようもない不安や恐怖を伴う沈黙も確かに存在します。

    自分が何かを問いかけた直後、相手が口を閉ざしてしまう。
    そのほんの数秒の沈黙が、待つ側には途方もなく長く感じられます。

    「私は今、何か取り返しのつかないことを言ってしまっただろうか」
    「本当は、私に対してどう思っているのだろうか」

    答えの返ってこない沈黙を前にすると、想像は悪い方向へとばかり膨らみます。
    見えない相手の心を探ろうと焦りが募り、その重たい空気を少しでも埋めようとして、「どうしたの?」「私が悪かった?」「何か言ってよ」と、相手を問い詰めるように言葉を重ねてしまう。

    もし、あなたがそんなふうに焦って質問攻めにしそうになったときは、まず一度、自分の中の湧き上がる言葉をグッと飲み込んでみてください。
    そして、問い詰める代わりに、目の前の相手にこう伝えてみてほしいのです。

    「今は、無理に答えなくても大丈夫だよ」
    「少し、時間を置こうか」

    相手が沈黙しているとき、私たちはどうしても「答えをもらえない自分の苦しさ」にばかり目を向けてしまいます。
    しかし、相手もまた「伝えたいのに言葉にできない」「どう伝えればいいかわからない」という苦しみやもどかしさを抱えていることがあるのです。

    そんな時は、「今は話せない」「今は答えが出ない」という状況そのものを、言葉にして互いに確認し合う。
    それだけで、お互いが「今すぐに向き合って答えを出さなければならない」という無言の制約から解放されます。

    なぜ、私がこれほどまでに「問い詰めず、待つこと」の大切さを痛感しているのか。
    それは私自身に、ひどく焦り、大切な人を追い詰めてしまった苦い記憶があるからです。

    まだ若く、自分の感情の扱い方もよくわかっていなかった学生時代。
    当時お付き合いをしていた彼女が、ある日突然、深くふさぎ込むように沈黙してしまったことがありました。
    若かった私は、その沈黙の重さに耐えきれませんでした。
    彼女の心がすでに私から離れてしまったのではないかとパニックに陥り、自分の不安を和らげるために「私に何かできることはあるか」「少し距離を置いたほうがいいか」「どれくらい待てばいいか」と、矢継ぎ早に質問を浴びせかけてしまったのです。

    彼女は何も答えず、ただじっと押し黙ったままでした。
    私は自分が完全に拒絶されたように感じ、悲しみの中で途方に暮れ、やがて二人の関係は終わってしまいました。

    それから、およそ二十年近い年月が流れました。

    ごく最近になって、とても幸運なことに彼女と再会し、ゆっくりと言葉を交わす機会に恵まれました。
    長い時を経て、私たちはようやく「あの日の沈黙」について話すことができたのです。

    当時、彼女にはどうしても私には話せない、彼女自身の深い事情がありました。
    彼女は「あの時、ただ『待ってほしい』ということだけでも言葉にするべきだった」と謝罪してくれました。
    そして私もまた、自分の不安に任せて彼女を問い詰め、言葉を急かしてしまったことを心から謝罪しました。

    実は、この二十年の間にも、顔を合わせる機会は何度かありました。
    しかし、その時々の私には「あの時のこと」を尋ねる勇気がありませんでした。
    過去の沈黙の理由を聞き出してしまったら、その時にようやく成り立っていた日常が、音を立てて崩れてしまうような気がしたからです。

    言葉にできなかったのは、彼女だけでなく、私の方でもありました。
    そして同時に、当時の私には、彼女の事情をまっすぐに受け止め、聴くための「準備」が全くできていなかったのだと思います。
    私と彼女がお互いに無理なく言葉を紡ぎ、過去の出来事に向き合う準備が整うまでに、実に二十年という長い時間が必要だったのでした。

    相手が私だからこそ話せない、という状況は起こり得ます。
    そんなとき、相手の領域に無理に踏み込んで聞き出そうとするのは、相手の領域を犯すことになってしまいます。

    しかしだからといって、誤解しないでいただきたいのは、沈黙した相手の目の前に立ち止まったまま、あなた自身の人生まで止めてしまう必要はないということです。

    「相手を待つこと」と、「自分の時間を止めること」は違います。

    答えが出ないからといって、相手を自分の目の前に縛り付けることはできませんし、あなたが縛られ続ける必要もありません。
    二十年待てば必ず関係が修復する、誠実に待っていればいつか必ず良い関係が訪れる、といった約束などどこにもないのです。

    それぞれが、自分の人生の歩みを進めていくために、一度その場から離れる。
    お互いを自由にしてあげる。
    そこには、胸を締め付けるような痛みや深い寂しさがあるかもしれません。
    それでも、そうして距離を置き、あなたはあなたの生活をしっかりと生きていくこと。
    それこそが、お互いのための誠実な判断になることがあります。

    言葉を形にするためのペースは、本当に人それぞれです。
    答えを急かさず、「今は話せない」という相手の境界線を守り、自分は自分の時間、人生を歩み続ける。
    分かり合えない沈黙を抱えたまま、それぞれの場所で生きていくこと、それもまた、ひとつのやさしい関係性の形なのだと私は思います。


    連載『答えを急がず、言葉を紡ぐ』
    第4章:Q&A(日常のつまずきと「対話」する) - ⑯


    【連載・記事一覧は以下】


     
     
    対話ファシリテーター。牧師として10年間で延べ500名の声に耳を傾けてきた一方、自身もまた正論に苦しんできた過去を持つ。現在は「正解を説く」立場を手放し「言葉が生まれるまで待つ」スタンスへ転身。分かり合えないことを前提に、答えを急がず自分と他者に向き合う実践的なヒントを伝えます。

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